みだりに話しかけてくる老人が苦手です。
因みにみだりにとは・・・
・軽率に
・無思慮に
・自分勝手に
・むやみやたらに
・度を超して
・許可なく
・必要がないのに
かねがね上記の意味合いだそうです。(ネット調べ。)
子連れでいると高齢者に話しかけられることが多いのですが、子どもが赤ちゃんの頃から私は正直迷惑しています。
特に赤ちゃん時代は勝手に息子の足や顔に触られたり、そんな服装で風邪ひかせないでよ?とか言われたり
え・・・勝手に触らないでもらえます?
大きなお世話なんですけど。
みたいなことを言う高齢者が多く不愉快でした。
一番嫌だと思うところは、人の休息を邪魔してくるところ。
子育てで疲れて果てている時、精神的に落ちている時、無になりたい時、やっとの思いで外出したその先で、バス停などの逃げられない場所で話しかけてくるのも本当に嫌でした。
ボーっとしたいのに、そっとしておいて欲しいのに、
こちらが会話に対応するのを前提に当たり前のように話しかけてくるので
最初は相手には悪気はないのだし、、、と思って社会的な自分で精一杯対応していましたが、
なんで私はいつも見知らぬ他人に愛想良く対応するのが当たり前みたいな感じで近寄って来られてそれに応えなきゃいけないんだろう?と
怒りが沸いてきまして。
仕事でもなんでもねえのによ、
私のエネルギーをためる時間
感じ良く対応する優しさ、
私から何でもかんでも奪いやがって
もう許さん!
って。
私の生い立ちが、祖父母の人間性が悪かったため祖父母と同年代の人が苦手というのもあるかもしれませんが。
チャットレディでも歳上男性の相手ばかりしていたので、
見知らぬ人の話し相手をさせられることにうんざりしていました。
『させられ感』が凄かった。
そして今日、体調があまり良くない中事情があって息子と二人で外出したんですが
体力が持たずすぐに疲れてしまい喉が乾いたのでファミレスに入ったんです。それまで息子のペースで動いてるのですぐには休めず喉がカラカラ限界な状態で
そして席に着いたその瞬間、
一息つく間もなく
隣の席に座っていた高齢者が狙ったように話しかけてきました。
私はうんざりして、聞こえないふりをしました。
でも席は隣。
距離も1メートルもなかったように思います。
人はパーソナルスペースに入られると不快に感じると言いますが、物理的にだけでなく心理的にパーソナルスペースが侵害されている感覚になりました。
またいつ話しかけてくるか。
話しかけないでオーラを精一杯出して、隣を見ないで、取り合わないことに決めましたが向こうはこちらに興味を持ちすぎているのをひしひしと感じました。
しかも私がドリンクバーに行ってる間に勝手に息子に話しかけていて。
それを遮るように私は息子と老人の間にズイッと座り、老人に背を向ける姿勢で息子をガードしました。
もう、この時点で余計なエネルギー使って身体が怒りで強ばって気が抜けない状態。
食べ終わったならさっさと帰れと思いました。
なのになかなか帰らないし、私だってお金出して休みに来てるのに全然気が休まらずとても居心地の悪い思いをしました。
相手を思いやる心とは、想像力のことだと思います。
相手の気持ちより自分がしたいことを優先し、相手のことは微塵も考えない高齢者は愛せません。
チャットレディの仕事でも50代後半以降の男性会員にサービス以上の欲望を押し付けられる体験を数えきれないほどしてきた。
今の私には高齢者の話し相手を強要されることはエネルギーを吸いとられるだけの剥奪行為に感じる。
私は最後まで、高齢者を一瞥もしませんでした。
隙を見せてはいけない。
そう思った。
息子と、Twitterがどうたら、Xがどうたら、インスタグラムがどうたらと、隣の高齢者には入る隙のない話をわざとしておきました。(私もよくわかってないけど!)
こんなことをしなければいけないなんて。
もっとパーソナルスペースを尊重してもらえたらこちらもこんな苦しい思いも、強い拒絶もしなくて済むのに。
拒絶したいわけじゃなくて、相手の気持ちも考えてほしいということ。
休みに来てるんだよ。
話しかけて来ないで欲しいオーラ出してるんだから、それ以上絡もうとしてこないでほしい。
老人が帰り際に絶対話しかけてくると思ったら予想通り話しかけてきてしつこい!もう諦めろよって感じだし、でもこっちは来ることわかってたんで目を合わさず軽く会釈だけした。
老人が帰った後は老人からこちらに向けられる視線や意識がなくなりスッキリした。
やっと楽になって、やっとリラックス出来る時間が訪れた。
でもファミレスにいた前半の時間はとても苦しいものになってしまった。
休みたい時くらい休ませてくれ。
ファミレスは話し相手見つける場所じゃないんやで。
個人が個人の時間を過ごす場所だ。
子連れだから自分の興味本位で話しかけても大丈夫なんて思わないで欲しい。