1960年代に金の場所が印された宝の地図 | アフリカで働く社長のブログ。

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金の投資で、ケニアで3000万騙され、
「アフリカで取られたものは、アフリカで取り返す」
精神で、主に東アフリカ(ケニア・タンザニア等)を開拓しています。

 

じゃんぼー じゃんぼー

 

アフリカ社長ですーー

 

最近、皆様のお陰でアクセス数が増えてきております。

ありがたき幸せでございます。。お願いお願い

 

”ケニア”や”金鉱山”というキーワードに関わって今年で8年目に突入するわけですが、

まだまだ勉強不足な事が多くあるようです・・・。ショボーン


先日、ネットでめっちゃ興味深い資料を発見しました!!!おいでおいで

 

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/65_02_07.pdf

 

なんと、1960年代にケニア国内の地質調査を翻訳した資料です!!!本

 

恐らく、ケニア入りした当初は、目にしたのかもしれませんが、、、、

しかし、当時、地質学的な知識やケニア国内の地理に乏しかったことから、

気に留まらなかったのかも知れません、、、、笑い泣き

 

以前も度々お伝えしていたかも知れませんが、

ケニアは1960年代独立以前、イギリス植民地時代に、欧米人によって開発されていた鉱山がたくさんありました。

 

地元住人は、その跡地や周辺を掘り起こして、ゴールドの採掘をしているエリアも多くあります。

特に、ビクトリア湖に沿ったタンザニアとの国境など非常に盛んに行われています。

 

この資料を読んでいると、1940年代にはトン単位で採掘されているではありませんが!!!

しかも、この資料に限ってみると、”鉱山”として操業しているのは2ヶ所のようです。

 

って、ことは各鉱山トン単位の生産をしていたのかな??と想像を膨らませてしまいますよね。。

 

私どもの鉱山も都市伝説的は言い伝えとして、植民地時代に欧米人が掘り起こしていた場所と言われていました。

たしかに、当時の設備が遺跡のように残ってはいます。

そして、近くには月産30kgを生産している会社も存在しています。

なんでも植民地時代には、私どもの場所が本部で、月産30㎏の方は支部のような扱いだったとか。。。

 

そして、なと!!!!!!!!!笑い泣き笑い泣き

 

その一カ所の鉱山が、まさに、私どもの開発しているエリア?というかピンポイントなんです!!!グラサングラサン

 

ほれ

 

 

 

ほれ

 

 

 

 

 

というわけで、たまには一歩戻ってみると、新たな発見があるものだなぁと、思い直すのでした。。。口笛

うっひっひーーー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

アサンテサナー爆  笑爆  笑

ありがとうございましたー爆  笑爆  笑