昨日、某タレントさんの長女が交通事故で亡くなった。

通学途中の横断歩道。

近所の方から一報を受けて両親が駆けつけた時、小さな身体の上にはトラックのタイヤが乗っている状態だったという。

愛する娘の悲惨な事故を目の当たりにした、両親の悲しみ。

それはとても一言では語れないほど深く、これ以上ないくらい切ないものだったに違いない。

今回事故を起こしたドライバーは、まだ22歳。

原因は前方不注意と報じられているが、自分の運転に対して過信はなかったのか。

自分だけは大丈夫だろうという過信。

実はこれが重大事故を引き起こす一番の原因だと、私は常々感じている。

今回のケースでは加害者が若者だったが、近頃は高齢者の事故も後を絶たない。

免許を取ってから数十年。

ベテランの自分は上手いんだという過信。

しかし加齢による判断力の低下、反射神経の衰えは誰にでもやってくる。

加えて一番厄介なのが、高齢者特有の自己中心的発想だそうだ。

避けてくれるだろう。

譲ってくれるだろう。

優先権はこちらにある・・・などなど。

アクセルとブレーキを踏み間違えたというような単純なミスは、実は意外と少ないものなのだ。

そしてこのような事態を憂慮した当局は、平成10年から高齢者を対象に免許更新時の特別講習を義務化する。

現行法では70歳以上のドライバーが当て嵌まるわけだが、どうやらこれは近い将来おこなわれる免許制度改革への布石らしい。

運転免許は終身有効という常識。

それが「○○歳になったら返納」という制度に生まれ変わる。

つまりは、年齢制限に上限も加わるということ。

以上は、私が実際にある警察関係者から聞いた話だ。

弱者に優しい社会とは、所詮こんなもの。

単純に引き算で法改正すれば、それで済むと思っている。

しかしそれならば、生活の足を奪われる高齢者はどうなるのか。

きっと警察庁は、「それは厚生労働省に聞いて下さい」とでも言うのだろう。

例えばの話、免許を返納した高齢ドライバーへ、公共交通機関の無料パスを発行する。

バスならば居住している市町村内の発着、そして電車は片道50km以内が全てタダ。

さらに年に数回、新幹線や航空機も無料で利用できるようにする。

これなら病院の行き帰りや買い物、そして故郷や家族の許へ帰る際も無理して車を運転する必要がない。

ついでに宅配便も年間一定の金額まで無料化すれば喜ばれるだろう。

荷物があるから車を使う。

そんなお年寄りだって、少なからずいるわけだから。

ただし、これは全て一律とはしない。

自主的に免許を返納したドライバーへの特典とすればよい。

交通網の地域差、或いは初めから免許を持たないお年寄りに対して不公平感が生まれるという意見も当然あるだろうが、私はこれで構わないと思う。

事故のない社会を目指す後進に、文字通り道を譲った高齢者に対する敬意なのだ。

そして我々が支払っている、道路特定財源。

仮にその比率が増えようとも、悲惨な事故が少しでも減るなら安いものではないか。

先日、あの人からもらったメール。

その中に、こんな一文があった。

あなたを失ったら、私、生きていけないから・・・。

交通事故は命だけでなく、幸せも奪ってしまうのだ。

大好きなあの人のために、如何なる時でも安全運転を心掛ける。

私の一番大切なお守りは、これを見て何を想うだろうか。

第三者の通信を傍受してそれを漏らすことは、れっきとした犯罪だ。
それでは、自分が他人と通話した内容を公にする行為はどうなのか。
たとえ犯罪と言えなくとも、嫌悪感を抱かせるには十分だろう。
巷で話題のバラバラ妻。
毎日垂れ流されるその録音テープには、何か別の思惑が隠されているような気がしてならない。
ご本人は潔白を証明するためだったというが、ホントにそうなのかと。

今聞けば、確かに容疑者である妻の態度は白々しい。
しかし何故、録音した内容をメディアに公開する必要があったのか。
そのことだけは、今でも甚だ疑問である。
録音内容の全てが流されているかどうかは、私にはわからない。
もちろん容疑者である妻を庇う気持ちも毛頭ない。
ただ、他人との通話を録音して、それを公にするという行為。
巨悪を暴く証拠となるなら話は別だが、仮に他の目的があったとすれば、決して正当化されるべきではないと思う。

他人から信頼される人間には、それなりの理由がある。
もし私が彼の仕事先の関係者なら、今後は距離を置いてしまうだろう。
善意があろうとなかろうと、べらべら喋るやつは要らないのだ。
降りかかる火の粉を払った代償として、彼が失ったもの。
正義の味方は、何時だって寡黙だ。

閑話休題。
今日は悩みのタネが、ひとつ摘まれた。
あの人と二人だけの共同作業。
大袈裟な表現ではあるが、少しでも役に立てたなら素直にうれしい。
離れて暮していても、常に身近に感じる存在。
幸せな場所は、今ここにもあるのだ。
天はそんな私たちを、いつか導いて下さるだろう。
愛する人の寝息を聞きながら、心安らげる至福の空間へ。

今日は勝手に3連休の最終日。

シャワーを浴びて身支度を整えた後は、買い物がてら各所を回る。

やたら気持ちのよい月曜日。

こんな日は、家に閉じこもってる場合じゃないよな。


用事を済ませて時計を見ると、ちょうどお昼の時間帯。

滅多にないことだが、今日は外で何か食べて帰ろう。

と、ここで天の声。

野菜ちゃんと食べてね・・・。

はいはい、わかってますよん♪

一瞬サラダでも思ったのだが、道すがら黄色い看板が目に入る。

長崎ちゃんぽん。

よしよし、んじゃ、久々にガッツリと行ってみるか。


入ってみて驚いたのは、女性一人ってパターンの客が多かったこと。

脇に買い物袋を鎮座させながら、黙々と食す姉さんたち。

店の作りが明るいせいもあるのだろうが、最近は女の人も一人でこんなとこ来るんだなぁ。

新鮮な驚き。

そういえば昔、誰かが言ってた。

女性が一人で入れない店は、牛丼屋とラーメン屋と屋台全般。

しかし、近頃はその全てに堂々と進出してるもんね。

スーツ姿のOLさんだって、決して珍しくはないんだからさ。

ってなことを考えていると、お、来た来た!

熱々で野菜たっぷりの、長崎ちゃんぽん一人前。

私は心の中で、あの人に語りかける。

見て見て、今日はちゃんと野菜も食べてるよ・・・。

いくら箸で摘んでも、いっこうに減らないキャベツやモヤシやその他大勢。

するとその瞬間、向かいの席にはいるはずのないあの人の笑顔があった。

仲良く二人で食べる、昼下がりの長崎ちゃんぽん。

私はそっと、テーブルの下であの人の手を握った。