ウティカのカトーネ Leonardo Vinci | Mevrouwのブログ。。。ときどき晴れ
Leonardo Vinci (1680-1730)
Catone in Utica
Opera seria in three acts. Libretto by Metastasio
First performed at Teatro delle Dame in Rome on 18 January 1728

Franco Fagioli, Cesare
Juan Sancho, Catone
Max Emanuel Cencic, Arbace
Ray Chenez*, Marzia
Martin Mitterrutzner, Fulvio
Vince Yi, Emilia

Jakob Peters-Messer, direction

Il Pomo d’Oro
Riccardo Minasi, conductor

Royal Opera Château de Versailles
19 June 2015




オペラを観るためだけにベルサイユに行くというのは私にとっては
このうえない贅沢なのだけど、思い切って行って本当によかった。
公演は素晴らしい、いや、それ以上どうやって形容していいのか
思いつかないほど感動的なものだった。

まず、看板役者がフランコ・ファジョーリという逸材であり、
上演されることがほとんどなかったレオナルド・ヴィンチの作品であり、
そして、その時代どおりに男性のみで演じられるオペラに仕上がっているということが、
たいへん貴重。

アルタセルセの上演に続く、チェンチッチ企画のヴィンチ作品二本目。
アルタセルセはある意味歴史に残るんじゃないかと思うほどの珠玉の名作で、
柳の下にもう一匹どじょうがいるものだろうか、と、はじめは疑ったが、
杞憂だった。

ファジョーリのチェーザレはこれ以上ないほどのはまり役で、
思うままに声を操り、
まるでレールに抵抗がなにもないジェットコースターのように
聴衆を乗せてめくるめく世界を疾走する。
アルタセルセを聴いたときよりもさらに声の張りがあり、
ビブラートも、もうバルトリのモノ真似とは言わせないという彼の味が強くなり、
しっとりとしたアリアでも繊細さをより感じられる歌いぶりだった。
アリアが終わるとしばらく拍手がなりやまず、
次の演奏がなかなか始められないという場面が何度かあった。

開演前に不調だとアナウンスされたチェンチッチは、
やはり声に弱さを感じた部分があったが、
彼の歌は丁寧で繊細で、ここぞという部分はきっちり聞かせる。
前回のような女役ではなく、ちょっとマゾ的な
異国の王子役で、愁いを帯びている表情がなかなかよろしかった。
なにより、知的な王子なので声を荒げる場面がなく、
したがって彼が金属的な声を張り上げなければならない必要は全くなかった。

第三のカウンターテノール、マルツィア役の新人レイ・シェネスは、
当初でるはずだったヴァーラー・サバドゥスの代役としてデビュー。
女装姿はほっそりしてノーブルでサディスティックな姫にぴったり。
だがしかし、歌はいただけなかった。
音程すら不安定で、いくら緊張していたのだとしても、はらはらさせすぎ。
もう少し磨きなおしてから出てきてほしい。

エミリアで登場するのはヴィンス・イで、
彼の声はちょっとユニークというか、知人がキューピーさんと形容したのが、
まさにぴったりはまるような歌声。
高くて澄んでいるがどこか笑いがでてきてしまう。
が、このヒステリックな未亡人を演ずるには適役。
技術もあり、演技力もあり、
楽しいキャラクターだ。

カトーネ演じるテノールのサンチョは演技力もあり、
小柄な身体からは信じられないほどの歌声で、
アジリタも見事。
怒り狂う場面もCDとは違うイメージを開拓していて、
ナマを聴くのはやはり面白い、と思わせた。

フルビオ役の若手ミッテルッツナーはめっけもんで、
若くて男前で正統派テノールの道を進みそうなにいさん。
コミカルな演技もできていて好感度高い。

オーケストラは粒よりで若くて勢いもあって、
躍動的なこのオペラに似合う。
ホルンもビシッと決まって安心。
バイオリンを弾きつつ指揮をするミナージかっこよかった。

舞台装置はほとんどなくて、白黒模様の床に、
少人数のキャスト。ノーブルな衣裳。
最小限の小道具。
ダンサーは被り物だけで黒のスーツというすっきりとした舞台。
チェーザレだけが赤と金というド派手ないでたち。

あらすじ
内戦で、政敵チェーザレ(カエサル)に追いつめられたカトーネ(カトー)が
最後のあがきで元カルタゴに渡り、
娘マルツィアをヌミディア(アフリカ)の王子アルバーチェ(こんなイタリア的な
名前のはずはないんだが)に嫁がせて味方につけようと画策中に
チェーザレ本人が和平に訪れるという場面。

カトーネは同じ元老院派で暗殺されたポンペイオ(ポンペイウス)の未亡人エミリア(本当は
たぶんコルネリア)をかくまっている。
実はマルツィアはイタリアにいたときにカエサルと恋仲だった(父子くらいに年齢差はあるが)。そしてエミリアは若いころチェーザレの部下フルビオと浮名を流したことがあった。
という前提。

マルツィアはプライドが高く、あたしがなんでアフリカ人と結婚すんのよ、
ふざけんじゃないわよ、という態度。
アルバーチェは惚れた弱みでマルツィアに「結婚延期したいってあんたがいいなさい」、
と、言われるがままで翻弄されるのみ。
カトーネは娘は絶対に親のいうことをきくもんだと思っている。

いよいよチェーザレが現れ、和平を申し入れる。
そこへエミリアが割ってはいり、夫のカタキ、とチェーザレをののしる。
エミリアはそこでフルビオと再会し、
まだフルビオは自分を好きだと思い込み、チェーザレ暗殺をもちかける。
フルビオはエミリアに気があるふりをしてカトーネの陣の内情をきく。
チェーザレが再び現れ、和平のためにあんたの娘を嫁に迎えるつもりだから、
戦争やめて帰って来いよ、とカトーネを説得するが、
カトーネは皇帝になるお前なんぞと同じ人種と思われたくない、俺が正統ローマ人で、
お前こそ異端。娘をおまえなんぞにやるもんか、
断固戦う、と言い放つ。

こうして負け戦とはわかっていても籠城する覚悟のカトーネは、
マルツィアに実は私チェーザレのことが好きなの、
と告白され、激高し親子の縁を切って娘を殺そうとまでするが、
アルバーチェがなだめすかす。
そうこうするうちにチェーザレも軍を率いてカトーネ陣を囲む。
(砦には昔アクアダクト(地下の水道)だったところが今は城の外へつながる
抜け道になっている。この抜け道で演じられる部分もありなかなかスリルがある)
カトーネはついに胸を刺して自殺を図る。
マルツィアはここへきてようやく、父に言われた通りアルバーチェと
結婚します、と父に告げ、父親は安心する。
そこにチェーザレが現れて瀕死のカトーネを抱き起すが、
カトーネはまさか政敵の腕の中で死ぬとは思わず、
娘の腕のなかだと思い込んで死ぬ。
チェーザレはああまたもローマの財産を失ってしまった、と嘆く。
(自分で殺しておきながら、なのだが)

このオペラは最後あっけなくこのように終わってしまう。
救いも合唱もない。
ずいぶん思い切った作りで、現代的だなあと感心したりする。

カトーネが死ぬシーンでは、胸から赤いリボンを手品のように
シュルシュルと自分で引き出しながらのたうちまわる。
シリアスなのにユーモアがあって楽しい。

どこか、明治にはいっての歌舞伎のようなものも感じられる。
エンターテイメントに徹するその時代の舞台の最前線ではあるが、
このエンディングはそのありふれた世界にすら一石を投ずるようなエッセンスがあって。

とにかく、心から楽しめる舞台で、
しばらく夢見心地だった。
いいものを観に行けたなあ。