命をいただくということ、、、 | エーゲ海・地中海沿いの村の暮らし

エーゲ海・地中海沿いの村の暮らし

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生活の様子、エーゲ海地方の恵みを厳選しお届けいたします!

 

今日、私はとても貴重な体験をした。

 

被災地から避難してきたハタイの家族たちを励まそうと

みんなでお金を出し合って

羊を一頭購入してプレゼントしようと。

羊をプレゼント⁉️

励ますために⁉️

って思うかもしれないけど

これこそがトルコの文化🇹🇷

クルバン=犠牲というのがある。

犠牲祭があるくらいだし、

トルコはお祝い事や結婚式には羊などの家畜を

捌いていただくという習慣がある。

 

夫の昔からの友人に羊飼いの友人がいて、

彼に連絡したら、、、

ぜひ自分が一頭プレゼントしたい。

今回起こった災害で自分も被災地や被災者に

協力したいと思っていたから。と、、、

喜んで引き受けてくれた。

 

 

今日クルバンになるのは

コチ=羊の雄

一頭を捌いたら100kg近いお肉になるから

2つの大家族の食材としてはじゅうぶん。

 

彼は自分のコチを一頭選んで、、、

これからこの子が捌かれる

って思ったら辛くなり、

やっぱり見ないでおく、、、って言ったら

彼は私にお肉食べる?

お肉食べるなら絶対見た方が良いよ。

見れないなら食べるなよ!

って言われてその通りだと思った。

 

 

すごくドキドキしたけど

一頭の動物が捌かれて解体されていくのを

最初から最後まで目の前で見た。

コチは苦しめないためにも一瞬で仕留めてから

捌いていく

仕留めたら血を全部ぬいてから捌くのが

イスラムの捌き方(ハラール)

命を失った瞬間にカラダは生きた動物から

ぬいぐるみのように感じた。

魂が抜けたらほんとそこからは別物みたいに。

そう思ったら生き物って全てカラダすらも

借り物なんだなぁ

とふと思ったり。

 

そんなことを色々感じながら手際よく解体されて

肉屋で見るパーツになっていった。

 

 

 

あまりどう言葉に表現したら良いのか分からないけど。

命をいただくということはこういうこと。

トルコにいるからこその貴重な体験でした。