脊柱管狭窄症手術後の回復を時系列で書いてみる | オンボロAE86と過ごす過酷にして極上の日々を語る

オンボロAE86と過ごす過酷にして極上の日々を語る

若い頃=ドリフト小僧だったオッサンです。
当時の愛車の動かないAE86レビンと、ちゃんと動くAE86トレノは生涯の連れです。
NA6CE、NCEC、アドレスV100、グランドプロフィアネタも多く出ると思います、

2024/2/7


ここ最近同じネタばかりなのですが、前回、前々回の脊柱管狭窄症の発症から手術→退院→自宅療養までの流れを時系列で書いて行こうと思います。


これから手術の方、手術を検討されてる方の参考になればと思います。


今回の病院にての話になるので、その前の状況等に興味のある方は前々回を御覧ください。


まずは初診。


今回の病院は紹介状が無い場合、初診料がかかるのと腰の専門医ではない若い整形外科医の対応となります。


9月5日に初診。


この時点で両足のふくらはぎには力が入らず、右足の親指が自由に動かない状態。


痛みも酷くて100m歩くだけでゼーゼーヒーヒー状態でした。


この日はレントゲンやMRIを撮り、脊柱管狭窄症の確認。


次週、結果を聞きつつ、ようやく「次回からは腰の専門医にバトンタッチします」となる。


10月に入り、専門医に変わり、骨密度検査や担当医師立ち会いのレントゲン、CTなども撮る。


これで骨粗鬆症にもなっていると診断される。


手術までに骨密度を高めるためのテリボン注射を自宅でやるように言われる。


11月~12月で定期的に診察を受けつつ、1月15日の診察で「入院、手術」が最終回決定。


1月22日入院


この日は血液を取られる等の小検査をしつつ、基本的には何も無し。


手術前日はシャワーを浴びる決まりと、22時以降は飲食禁止と言われる。


部屋は4人部屋だが、隣のベッドの人のイビキが酷くてどうにも眠れないまま翌日へ。


1月23日手術


朝の9時に相方と共に手術室へ。


ただし相方は手術室前まで。


麻酔で寝かされる時も不安でたまらないが、そうこうしてる間にすぐに眠りに入る。


手術中の記憶は当然ながら何も無し。


寝てますからね。


起きた時は体に点滴、血抜き管、排尿管、酸素マスクが繋がれている。


麻酔が覚めたらとにかく痛い。


背中を切って、仰向けに寝かされてるのだから当然でしょう。


看護師さんに助けてもらって横向きになる。


コロナの関係で付き添い禁止なので相方は帰らされ、病室には戻らずに看護師さんの詰所の脇の回復室みたいなところにベッドごと移動。


この日は後は寝るだけ。


しかし近くで「いたい~!誰か助けて~!」を繰り返すお婆さんの声が凄くてどうにも寝られない。


変わりにナースコールで呼んであげたがお婆さんの声は止まることなし。


こちらも片側だけ向いて寝てると体か痛いので寝返りして反対側に向きたいのだけど、1人じゃ無理だし看護師さん呼ぶのも何か悪くて遠慮してしまう。


看護師さんは「呼んで良い」と言ってたけどね。


でも看護師さん、メチャクチャ忙しそうなんだもんな…


1月24日回復期

この日も看護師さんの詰所の横の回復室。


看護師さんに「朝御飯が半分くらいでも食べられたらそちらから水分が取れるから点滴を外す方向」と言われる。


回復食はお粥だった。


頑張って完食。


しかし点滴は外れず。


食事の際はベッドを起こして食べるのだが、ベッドを起こす時とまた寝かされる時の痛みはそりゃもう酷いものでした。


動かす度に悶絶。


朝食には牛乳もついていて、ここで疑問。


もし牛乳飲んでお腹こわしたらどうするんだろう…


ちなみにこの時点では下半身にはT字帯と呼ばれるふんどし状の物を纏って、局部には管が繋がれているのみ。


寝たきりだし、手術後だからそのまま排便しちゃったらどうしよう…と言う恐怖が巻き起こります。(汚い話で失礼…)


看護師さんに聞いたら、ベッドで寝たままするトイレがあるとのこと。


だけど自信が無いならオムツをするそうな…


実際手術後なのでどうなるのか自信が持てずにオムツを選択。


でも、コレの中に出したくないよな…と悩む。


結局、腹はこわしませんでした。


昼食のお粥も完食。


相変わらずベッドを起こす度寝かす度に痛くて絶叫。


昼過ぎには相方も来てくれてちょっと和むも、時間の決まりですぐに退出してしまうのでまた痛みとの戦いが始まる。


晩御飯もお粥。


完食。


昼間に、昨夜絶叫してたお婆さんが楽しそうに談笑する声が聞こえる。


「なんだよ!どんだけ重症

なのかと思ったら元気じゃん!こっちは痛くて笑えねーよ!」とちょっとイラついた…


そして回復室の2夜目。


今度は、「家政婦は見た」や「まんが日本昔話」の女性役の声でお馴染みの市原悦子そっくりの声の方が現れる。


その市原悦子が関西ナマリで「イタイ~!イタイ~!左足が……イタイ~!」を繰り返す。


また寝れないや…(泣)


眠れない時間を過ごしながら、「イタイ~」の人には「まんが日本イタイ話」とか「家政婦は痛かった」などとアダ名を考えて気を散らしたりしてみた。


それでも眠れず、点滴で痛み止めと、睡眠剤の飲み薬をもらってなんとか寝るも結局ほとんど寝れず。


この回復室の夜は本当に過酷でした。


1月25日病室に移動


この日、酸素を外される。


と思ったら点滴もおしまい。


朝御飯が終わったら血抜きの管も排尿管も外される。


排尿管は膀胱まで達していたそうで、かなり長くて抜く時はニュルニュルニュルッ!と、股間

からヘビでも出てくるような何とも言えない不快感に悶絶しました。


痛くはなかったけど…


この管が入ってる時は全く尿意が無く、そのために尿意を感じない。


実は結構たまってるのに気づかないで漏らしたら嫌なので一応パッドを付けてもらう。


オムツは結局、一切濡らすこともなく外される。


そしてベッドごと元の病室へ。


昼食も済ませ、寝ていたら看護師さんが来て

「トイレは行きました?」と聞いてくる。


まだ行ってないし尿意も全く無いことを告げると、「一応行ってください」と言われる。


サポートしてくれようとするのだけど立ってみたら1人で立てたので自力でトイレへ。


トイレは病室を出ればすぐ横なので楽勝です。


便座に座るのも1人でできそうなので、看護師さんのサポートを断り、トイレのドアも閉める。


「鍵閉めていいんですか?」と聞いたら「万一の時のために鍵は閉めないで」と言われたので鍵は閉めず、パンツも下ろして座ろうとした瞬間、「蜂六さ~ん!」とガラリと戸を開ける看護師さん。


いや~ん!!


まぁ、全部見られてるので今さらなんですが、このフェイントはやめて欲しかった…


ともあれトイレは1人でできました。


その後、リハビリの先生と言う方が現れます。


「とりあえず立ってみましょう」と言われ、立つ。


「廊下を歩いてみましょう」と言われ、赤ちゃんが使うみたいな歩行器を用意されるが、何か自力で歩けそうなので歩行器は拒否。


ゆっくりだけど歩き、面会時に集う食堂まで歩いて来たら丁度来てくれた相方が歩いてる姿を見て涙ぐんでくれた。


つくづく実際の行動でも精神面でもそんな気持ちに支えられてるんだな、とちょっと感動した。


その後面会。


食堂の椅子に座って話すも、まだ背中が痛くて長時間は無理でした。


病室には見舞い客は入ってはいけない決まりなので寂しいけどそこでお別れ。


病室に帰ります。


傷はまだ痛いなぁ…


その後、晩御飯も終わり。


もうこの日はお粥でなく御飯ですね。


夜は隣のオジサンのイビキが酷いんだっけか…


でも前の晩までの「イタイ~」の大合唱よりはイビキの方がマシだな…と思いつつも一応睡眠剤をもらう。


でも眠れない。


「イタイ~」よりはマシだったけど、イビキもやはり爆音でした…


1月26日シャワー浴びた

この日、朝御飯の後に看護師さんに「お通じは出ました?」と聞かれる。


そう言えばオムツを汚すまいと気合い入れてたけどオムツ外した後も全然出てないな…


すると、「午前中に出なければ浣腸します」と言われる。


いや、浣腸は勘弁してください…


が、この日の朝食の牛乳が良い方向に作用したのか浣腸される前に出ました。


良かった良かった!


昼御飯の後、リハビリルームに連れてかれた。


リハビリルームには家の中のスタジオセットみたいな、居間や浴室やトイレ等があって、そこで日常生活の訓練をする模様。


そこで布団に横になる練習や、風呂場の椅子に座る練習をした。


無難にできてしまう。


どうやら回復はかなり順調なようです。


リハビリ後に相方が来てくれてしばらく談笑。


前日より椅子に座ってられる時間が随分長くなりました。


そして晩御飯の後。


この日は手術後の初シャワー。


これも1人でできました。


シャワーの後は看護師さんを呼んで傷口を見てもらって、傷に貼ったシートかなんかに水が入ってたら張り替えるとのこと。


サッパリしました。


この日も…と言うか、この病室にいる間は隣の人のイビキ対策で睡眠剤を出してもらってました。


それと耳栓。


それでようやく寝られる日々。


1月27日隣のイビキオジサンの正体を知る

このあたりからは日々の暮らしもかなり楽になります。


まだ背中の傷は姿勢によっては痛いけど、かなり楽になって来ました。


土日はリハビリも無いので基本的にはただ過ごすだけ。


昼御飯の後に見舞い。


この日は相方と息子も来ました。


息子も交えて会話に花が咲きます。


が、相方のNAロードスターがなにやら走行中に異音がするとのこと。


見てやれないのが残念です。


帰りに走りながら異音を録った動画が送られて来る。


まぁ、こちらのトラブルシュートの話はまた別の機会に。


晩御飯も終わり、シャワーに行きます。


この病院は予約さえ取れれば毎日でもシャワーが使えます。


非常に助かります。


シャワーが終わって面会で使う食堂でくつろいでたら、なにやらオジサンがやって来ました。


この人が隣のイビキオジサンでした。


この方、蜂六が入院した時にはもういたんですが、なんでもヘルニアで手術したけど血腫ができてしまったとのこと。


手術前に、「0.1%以下の確率で起きることがある」と説明されましたが、まさか隣にそんな事例があるとは…


その場合は今度は血腫を取る再手術になる可能性があると聞いています。


ところでこの方、そんなに詳しく話してませんが他の方との会話から察するにバスドライバーのようです。


運転稼業で腰を悪くするって、ある意味一緒じゃないですか。


他人事ではないですね。


順調に回復できることに心から感謝です。


1月28日日曜日

リハビリお休み。


この日も普通に過ごすのみですが、傷の治癒は日々…と言うよりも同じ日でも朝と夜では時間が経過した夜の方が明らかに回復してるのがわかります。


昼過ぎに相方と息子が来て、この日も談笑。


しかし帰りにNAロードスターがかなりヤバい状態になったらしく、「何とか帰れたけどもう乗れない」とのこと。


症状を聞いて大体原因は特定できたと思うけど入院してる身では何もできません。


あとは普通に3食たべて夜にシャワー浴びて寝ただけ。


寝る時は睡眠剤飲んでからネットフリックスで洋画(ターミネーターとかwww)見ながらウトウトしてました。


1月29日退院が見えてきた

経過が順調なので検査の結果が良ければ退院とのこと。


朝からCTとレントゲン撮りました。


昼御飯の後は相方が原付で来てくれて談笑。


この時間が入院中で一番大事なヒトトキです。


でも夕方からリハビリなのでサヨウナラ。


あとはお決まりの晩御飯→シャワーです。


隣のオジサンはまだとても痛そうで、歩行器を使用して歩いてます。


なんか申し訳ないような…


なんでも再手術と言われたそうだけどなんとかそれは逃れたとのこと。


この方、手術中に麻酔が覚めてしまって、「○○さん起きてください」と言われた時にはとっくに起きてたそうで、それが恐怖で手術が怖いらしい…


そりゃ怖いですよ。


個人的にはこの病院に来て本当に良かったのだけど、この病院ならみんなハッピーなんてほど甘いものではないですね。


つくづく腰の手術の怖いところです。


1月30日退院目前

朝の6時半から看護師さんが来て血液を取られました。


いつもすんなり取れるのにこの日は左腕でダメで右腕から。


一度で二度痛いと言う悲しい思い出になりました。


が、血液も問題無いとのことで、翌日31日の退院が決まりました。


あとはもう普通に過ごしただけ。


昼御飯の後にはいつも通り相方が来てくれました。


結局毎日来てくれた。


ありがたいことです。


このあたりになると看護師さんも熱や血圧を計りに来たりしてたのが来なくなりました。


もうOKなのでしょう。


1月31日退院

朝から荷造り。


朝食が終わってしばらくしたら退院です。


この日は相方がNC号で迎えに来てくれました。


久しぶりの外。


久しぶりの車。


でもNCのシートはちょっと腰にキツかった。


会社で何か書類があると言うので帰り途中に会社に寄りました。


書類を受け取り、退院の報告をする。


復帰を待っててくれるとのこと、本当にありがたいことです。


そして久々の帰宅です。


とりあえずこの日はほとんど寝て過ごしました。


と、ここまでがひとまず入院から退院までの時系列です。


退院後の回復はまた後日。