2024/2/5
前回は脊柱管狭窄症の手術と入院中であることの報告でした。
今回は手術と経過の詳細と、現在についての報告となります。
本来の自動車ネタも今は何もできませんので(泣)
さて、1月22日に入院となり、一夜を病院で過ごした蜂六は23日に手術を迎えるわけです。
手術は午前9時からとのこと。
前日に術式やリスク、合併症などについての説明も受けました。
今さらながらですが、この手術をしたことで逆に悪化してしまう事例などもあるわけです。
今回はボルトで固定する等のことはせず、あくまで狭窄してる部分の骨を削るのみ。
手術としてはいくらか軽い物になります。
だからと言って内視鏡のような物でやる手術とは異なり、一定のダメージは受けます。
手術当日です。
寝かされて麻酔をされる時も、「目覚めた時に今より酷い状態だったら怖いな」なんてボンヤリ考えながら眠りにつきました。
手術中の記憶は当然ながら何もありません。
起きたら体中に管が繋がれています。
正確に言えば右手に点滴。
背中に血抜きの管。(血腫防止のため)
股間には尿を排出する管。
そして口には酸素。
背中が切り口なので仰向けに寝てるととにかく痛い。
だから横向きに寝たいのですが、自力ではどうにも動けません。
看護師さんに頼めば動かしてくれるのですが、これがとにかく痛い!!
コロナの影響で付き添いなども不可な決まりなので相方も帰ってしまい、そこからは痛みとの戦いでした。
回復室と言うのかな?
病室ではない看護師さんの詰所に隣接した場所。
とにかく痛いから寝て誤魔化したいのですが、周囲からはいろんな声が聞こえて来ます。
これは夜中の話。
すぐ近くから「痛い~!痛い~!誰か~!誰か助けて~!」を繰り返す声。
そんなに痛けりゃナースコール押せよ!と思うけどその声は叫び続けるのみ。
仕方なく蜂六がナースコール押して、駆けつけた看護師さんに「あっちで助けてって言ってます」と伝えることに。
こっちも痛くて、寝返りしたいけどできなくて、手伝って欲しくてたまらないのだけど何か自分の用事で呼ぶのが悪くてナースコール押せない…
翌朝は、「朝ごはんが食べられたら水分がそちらから摂取できるから点滴外すことを考えます」と言われたので頑張って、出されたお粥食を完食。
しかし点滴は外れず…
昼も夜も食べたけど点滴は外れず…
看護師さんに素朴な疑問をぶつけます。
「尿は勝手に出るのはわかったけど便はどうなるんですか?」
答えは「ベッド用トイレを使うかオムツですね。」
え?
ベッド用トイレってなに?
そんなのどっちも嫌だと言いたいけど、寝たきりな上にあらゆることが想定外な今の現状。
トイレも行けない。
万一勝手に出ちゃったらどうしようと考えて、オムツを選択しました。
でも心の中では「このオムツは一切濡らすまい」と強い決意を持って。
そして回復室での二夜目を迎えます。
今度は「痛い~!助けて~!」さんの他に、新たな痛いさんが登場。
今度の人はまんが日本昔ばなしや、家政婦は見た等でお馴染みの市原悦子さんばりの声で、関西ナマリで「イタイ~!イタイ~!左足が、イタイ~!」と繰り返しています。
また眠れない…
眠剤もらって寝ようとしたけど痛みと声でほとんど寝られません。
そして朝を迎える。
朝のお粥を食べた後、しばらくしたら回復室から本来の病室へとベッドごと運ばれました。
点滴もやっと抜かれ、尿の管も抜かれ、酸素も無くなり、ひとまずフリーになりました。
昼後に看護師さんに言われました。
「トイレはしました?」
全く尿意も便意も無いのでそれを告げると、それでも行けと言われる。
手伝ってくれるとのことですが、それは嫌なので何とか自力で行きました。
どうにかこうにか単独で便座に着座。
尿意は無いのにかなり出ました。
それまで膀胱にまで入った管のおかげで溜まることなく尿が排出された影響か、尿意を感じなくなってるようです。
ここに至ってオムツは一切汚していません。
便も出てませんので。
で、今度は看護師さんが「便が出てないから浣腸しましょう」と言ってくる。
やだよ…
なんとか拒否しましたが、「明日の午前中に出なければ浣腸します」と言われてビクビクしました。
結局その日は便は出ず。
そして翌日。
なんとか浣腸される前に出ました。
良かったですよ…
この時点では短距離なら歩けるようになってました。
相方が見舞いに来てくれて、病室では禁止なので食堂みたいなとこで話します。
自力で歩行器も使わずに歩いて来たことでかなり驚かれました。
が、椅子に座って話していたけどすぐに辛くなって終了。
この日からシャワーが解禁になり、なんとか1人でシャワーを済ませました。
ここからはリハビリもしつつなのですが、日を追うごとに?
いや、時間が経つごとに。
同じ日でも朝と夜では明らかに夜の方が回復している実感を得て行きます。
驚いたことに手術前は腰が痛くてほんの短距離しか歩けなかったのに、あの痛みはありません。
力が入らなかったふくらはぎと右足の指は何も変わらず力が入らないままですが、痛くないだけで「姿勢が真っ直ぐになった」と言われました。
物凄い改善なのでしょう。
運が良かったです。
隣のベッドの方はヘルニアで手術したのに合併症で血腫ができて再手術か?みたいな状況から、再手術こそ逃れたものの痛みは消えずに歩行器を離せない状況。
それを思えば本当に素晴らしい結果を得たと言えると思います。
そして1月31日に、ついに退院。
仕事復帰はまだ無理なので、今は自宅療養しながらリハビリで公園をグルグル歩いてます。
まだね、同じく公園グルグル歩いてるお爺ちゃんお婆ちゃんにブッチギられるほど鈍足なんですよ。
それでもね、今までは痛くて100mでもヒーヒー言ってたんです。
歩くなんて拷問だったんです。
それがね、今は4キロほど歩ける。
遅くても良いです。
歩けるって本当に、当たり前のことなはずなのにこんなに素晴らしいことなんですね。
いや、当たり前のことを当たり前にできる。
それがどれだけ素晴らしいことなのか?
それを今、実感してます。
リハビリ先生が言うには、腰をダメな方向に曲げるとか、重い物を持つ等しなければ歩くのは歩けるならどんどん歩いて良いと言う。
だからとにかく今は歩きます。
何年もこんなに歩けない状態だったから下半身は弱っていて、疲れるし早歩きすると(それでも遅いけど)筋肉痛にもなります。
今はそれが大事なのでしょう。
少しずつ下半身も強化して、仕事復帰までに体力もつけておきたい。
同じ病気に悩む方へ。
隣のベッドの方の例もあるので「手術が良いよ~!」と手離しにオススメはできません。
しかし、本当にどうにもならなくなった際にはしっかり調べて良い病院を探し、そこで判断を受けるのは有りです。
切る切らないは強制ではないですし、先生の意見をしっかり噛み砕いて理解して、必要とあらば手術は有りだと思います。
少なくとも自分に関して言うなら、今は世界が変わった気分です。
中枢神経はダメージを受けると末梢神経のような回復は難しいとのことなのでふくらはぎや右足の指については今後どうなるかわかりませんが、徐々にでも、ほんの数%でも良いから取り戻して行きたいですね。
とにかく今はリハビリ歩行を頑張ります。
また経過報告します。