こんにちは!
最近、「チョコ脱いじゃったキノコの山」が
発売されるというニュースを見ました。
というわけで、
本日は、
K-POPは"チョコのないキノコの山"みたい
ということをお話しします。
チョコのないキノコの山を
「キノコの山」として
発売するって・・・
どういうこと?
チョコ脱いじゃったらもはや
キノコの山ではないんじゃないの!?
しかし・・・チョコのないキノコの山論争
で思うことは、
キノコの山がすでに意識下に
存在しているので、キノコの山の
チョコをとっても、
私たちはそこにキノコの山の
チョコの存在を感じることができる。
「キノコの山」を容易に想像できる
ということ。
K-POP without the K?
KのないK-POPはアリか?
よく議論になることです。
引用元:
それでも、韓国にルーツがあるなら
歌詞が英語だろうとなんだろうと
K-POPと言っていいんじゃないか、
という主張はあります。
K脱いじゃっても、Kがそこに
あったんだな、とKの存在を
感じることができるから。
BTSのジョングクさんのソロ曲が
完全にアメリカンポップスでも
ジョングクさんが韓国人で、
BTSというK-POPグループの
メンバーだったという事実で
Kの存在を感じる・・・。
例えば、ヒップホップアーティストに
なるのに、アフリカン・アメリカンである
必要はないです。
K-POPアーティストになるのに
韓国人である必要はないし、
英語であってもいい。
それはそうですね。
チョコがないキノコの山のように
そこにかつてあったキノコを
感じつつも、アポロチョコに刺してみる、
のようなアレンジもできる。
そこにかつて韓国があったのだと
韓国の存在を感じながら
韓国語を習ってみる、という
人はいると思います。
ただ、音楽性として、ヒップホップは
聞いて、ヒップホップとわかりますが、
今のK-POPは外の音楽を取り入れることが
多いので、例えば、ヒップホップに寄せると、
そもそもK-POPの音楽性はブレます
けどね。
だんだんK-POPの軸がぶれてきている
ような印象があります。
K-POPは一体世の中に何を伝えたい
のか(伝えたいことはあるのか)。
それとも、K-POP出身者は
ビルボードなどヒットチャートに
入り、「注目される」という
ことにエネルギーを注ぐのか。
何やら危うい部分を持っている
と感じています。
それではまた次回。