心は傷つかない | アカデミアからのぞくJ-POP, K-POP, HIP-HOP

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このブログではアカデミックな立場から(主にアメリカで)どのようにJPOP, KPOP, HIP-HOPが認識・議論されているかを文献なども紹介しながらお話ししていきます。のんびり書いています♪

こんにちは!

 

本日は、

 

 

心は傷つかない

 

ということについて

お話しします。

 

まず、『心』というのは

なんであるのか。

私たちの『意識』とします。

 

では、『意識』はどこにあるのか。

 

これは脳に関係していることは

確かなのですが、まだわからない

部分もあります。

 

ただ、局所的ではないというのが

大体の主張です。

脳に関わっていることですが

『意識』が脳に局所的に

存在しているかというと

そうではないのです。

局所的ではない、というのは

なんなのかというと、ある

体の特定の位置にない、ということです。

または、ある体の特定部分に

とどまっていない、ということ。

体の中にないということに

なります。

 

しかし、人は心が「傷ついた」

と、よく言います。

 

アメリカでもよく起こる無差別

シューティング事件。

ショッピングモール、映画館、

教会、学校・・・

このような密閉された場所で

突然、発砲事件が起こったりします。

逃げ場のない場所で。。。です。

そうすると、何人かが怪我をしたり、

または無惨にも亡くなったりすることも

あります。

三十人いたとして、三人が事件に

巻き込まれて致命的な怪我をした、とします。

残りの二十七人には怪我もありませんでした。

 

が、

 

怪我もなかった人に対して

心に傷がついたから(トラウマ)

カウンセリングをします。

 

ですが・・・心は体の中にとどまっている

ものではありません。

体の一部の部位にはないものなのに

なぜ「傷つく」のでしょうか?

外傷がないのに、

一体何が「傷ついて」いるのでしょう。

 

私たちの意識というのは

体の外にも存在できるものなので

3次元にとどまらず時空・次元を超えて

存在しうるということも言えるのです。

 

と、なると『心が傷ついた』

という表現はおかしいということに

気づくはずです。

 

心は傷つきません。

 

では、何が傷ついているのか。

トラウマはどこからくるのか。

 

実は、これは

「あなたの物の見方」なのです。

物の見方を「映画のフィルム」に

例えます。すると、

「思い」(というフィルム)に傷が

ついているのです。

「思い」というフィルムを変えると

世の中が変わって見える=変わった現実が

出てくる。

つまり、心はフィルムを照らす

プロジェクター、光です。

思ったものが自分の光に映し出されて

色々なものが映ります。いろんな

嫌な人物が出てきたり、起こったり

しますよね。

それが映画ですから。

思いを変えれば何かが変わります。

思いを変えて行動に移すことで

あなたが見ている映画も変わってきます。

つまり、

あなたの「思い」がこの世を

映し出すだけであり、

心というのは傷つきようがないのです。

 

心は傷つかない。

傷つけようがない。

 

もしも、「あなたはブサイク」と、

一日一回言われたら、5万円もらえる、

という企画があれば、喜んで、

「ブサイク」と言われにいきませんか?

これはもちろん、例をわかりやすく

極端にはしていますが、そういうことです。

ブサイクだという言葉も条件によっては

OKになる。

ということは、「ブサイク」という言葉

があなたを実際傷つけるのではなく、

あなたの思い(物の見方)が傷つかせた、

ということになるのです。

フィルムを取り替えればいいのです。

 

もちろん、それができれば苦労しない!

と、思うことはありますよね。

簡単ではないことです。

ですが、このことにまず気づくことが

大事なんです。

ここに気づくと人生が楽になり、

豊かになります。

シナリオは一つだけではない

ということに気づきます。

あなたの思いが人生を変える。

 

楽しく生きることが人生の

目的です。

それは悩みのない人生という

意味ではなく、映画の脚本を

いかに書き換えられるか

(=物の見方を色々

変えられるのか)、気づけるのか

を試されているということです。

 

あなたが今、自作自演している

脚本はどんな物でしょう?

それを書き換えたらどうなる

でしょう?

なぜ生きているのか、という

疑問に答えようとするよりも、

どうやったら楽しく生きられる

だろうと問う方がいいのです。

 

是非とも人生を楽しく生きることを

目的にしていただきたいです。

 

それではまた。