みなさん、こんにちは。
Your Advisor, Mimiです。
K-POPを語る上での
文化的混合(cultural hybridity)を
少し考察してみたいと思います。
2000年初頭から2015年ごろまでは、
POST -IMFのネオリベラリズムにおいて
韓国が国を挙げていわゆる
ソフトカルチャーに投資をすることに
より、KPOP エンターテイメントが
どんどんクオリティーの
高いものが産まれ、テクノロジーの面からも
ビジネスの面からも世界的に成功したと
賞賛されています。
単純に知名度だけでみても
そうですよね。私もそう思います。
その中で、2015年以降から
あることを懸念する方も
増えてきていることは確かです。
これは、この「文化的混合」に
関することですが、
特にKPOP音楽に関しては、
ビジネスの面での成功とは反して、
KPOPにおける
Kの部分が必ずしもしっかりと輸出されて
いるわけではない、ということです。
ハイブリッド文化は、混ぜ合わさった文化の
割合に多少の偏りはあっても、ほとんどの場合、
優劣や上下関係がないことが指摘されます。
KPOP音楽に関しては、そうではなく
結局、オリジナルの文化よりもアメリカが
「優れている」と認識されているのではないか
ということです。これは本当の文化的混合ではない
という主張です。つまり、オリジナル文化の
輸出が成功しているわけではない。
また、「アメリカ進出=世界進出」
という認識そのものがアメリカ主導のヘゲモニー
である、と。なんでもかんでもアメリカがいい
というのは戦後の日本もそうでしたね。
確かに音楽市場で言うなら、アメリカは大きいです。
ですから、世界で成功を、となれば
アメリカ進出は必須です。
しかし、その代償もある。
つまり、アメリカで「売れる」ために
アメリカに寄らなければならなくなる。
アメリカが好むものを意図して作る必要がある。
となれば、文化でいうと、
オリジナルの文化(言語)そのものの要素を抑える
ことも必要。歌詞も英語を多くオリジナル言語を
控えめにしたり、もしくは全部英語歌詞にする。
文化の輸出(文化そのものを
広めるということにはつながらない)ではない、
ということ。
これは、どこからこのような考えが出てきた
かというと、たとえば、
Kim (2017) (from International Journal
of Communication)の中では、
2012年にアメリカデビューを
した「少女時代」について取り上げられています。
彼女たちのステージ衣装(露出が多かった・・・)と、
男性を誘うような振り付け(セクシャルアピールをしていた・・・)
というものです。(アメリカにおけるセックスアピールを
利用したものだ、と・・・)
(はい、分かりますよ。そうかなぁ?と思われたでしょ?)
しかし、Kim (2017)の主張は、それまでの
KPOPが韓国のソフトカルチャーが全世界に
広まったんだ!という賞賛ばかりの論文が
多かったことに「ちょっと待った!」をかけ、
私たちに考える猶予を与えてくれています。
確かに、今もアメリカで流行る
KPOP音楽だけを見れば、
いわゆるヒップホップベースの
トラップミュージック
が使用されていることが多いですし、
ラップもダンスもヒップホップから
来ているものです。
私の友人にリンディーホップダンサーが
いるのですが、今、最もリンディーホップが
盛んな国で、優秀なダンサーがいるのは
韓国だそうです。これはすごいですね!
例えば、BTSのDynamiteは、ヒップホップでは
ないじゃないか、という方もいらっしゃると
思います。しかし・・・
よくよくコード進行を聞いてみると
アメリカで80年代に流行ったボーイズグループの
曲のコード進行に似ている・・・
一度流行ったものがまた戻ってきた感覚です。
お年寄りにも人気が出るわけだ。
そのアイデアと戦略がすごいわけで、
文化が輸出され広まったとは言えない、と。
もちろん何度も言いますが、
KPOPのクオリティーは高いです。
グループとしての団結力が見せる技であり、
グループ力と結束力が高いというのはもしかして
韓国の文化がうまく出ていると言えるのでは
ないかと思います。(しかし、英語論文は
そこに触れられていないですね。)
つまり、どこまで行っても、いくら
売れてもアメリカ支配・優位から
自由になることはない、
ということになるのでしょうか。
日本らしさとは何か。
日本文化とは何か。
アメリカを意識しつつも日本の
アイデンティティをアメリカにひれ伏さずに
出す方法はあるのだろうか。
JPOP音楽が世界でより多くの方々に
受け入れられるには
やはり、KPOPがしたようなことを
して、Jの部分を薄くしていく必要が
あるのか。ないのか。どちらでもいいのか。
Jの部分が変化することはあるにせよ、
戦略だけに走ってしまうと、「日本文化」という
独特なものを知ってもらうということから
離れる気もします。
私が日本文化を教えていて、自分でも
わからなくなる時があります。
「日本文化」って一体何?
日本という土地のような気もするし、
そこに住んでいる人だけが得られる何か
ユニークな感性があるような気はしています。
もちろん「日本語」という言語もそうです。
言語に関してはまた後ほどお話しします。
それが、難しいことではあるけれど、
音楽の中に入れることはできるのではないか、
という可能性は感じますね。
それでは、また次回。
〜Your Advisor Mimi