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4月10日は「女性の日」、我が国で女性が初めて参政権を行使した日です。
1946年(昭和21年)のこの日、戦後初の総選挙が実施され、
初めて投票した女性は約1,380万人。39名の女性国会議員が誕生しています。
1949年(昭和24年)に労働省(現在の厚生労働省)が「婦人の日」として制定。
その後、1998年(平成10年)に「女性の日」と改称されました。
また、4月10日を起点とした1週間を「女性週間」としており、女性の地位向上を目的
とした活動をするための週間として提唱しています。
🌸 四月十日の朝
四月十日の朝である。町の上を流れる風は、昨日までとほとんど変わらない。
けれど路地の角を曲がる女たちの歩みだけが、どこかきゅっと結ばれていた。
彼女らは新しい靴をはいているわけでもない。子どもの手を引き、
買い物かごをぶらさげ、ふだん通りの顔つきで家を出てくる。
ただ、その足もとには、これまで許されなかった方向へ延びていく
一本の細い道が、まだ見えない線のように敷かれていた。
きょう、女ははじめて一票を持つ。新聞はそれを「歴史的一日」とよび、
役場は早くから旗を出した。だが、列の中ほどに立つ一人の女は、
旗よりも、紙よりも、もっと長い時間のことを考えていた。
その女の名を、市川房枝という。

大正時代から男女の平等、平和、婦人参政権を訴えた市川房枝さん
戦後は国会議員となり、女性の地位向上や汚職追及にも力を注ぎました。
🕊 長い坂道のこと
房枝が坂をのぼりはじめたのは、ずっと前、大正のころであった。
女は家の中にいてよい、と言われていた時代に、彼女は家の外に出て、
会をつくり、ビラを配り、演説を聞かせた。平塚らいてうらとともに、
新婦人協会をおこし、まずは集会に出る自由を、と声をあげた。
請願は何度も退けられ、冬の国会坂を、何度も登りおりした。
それでも房枝は、婦人参政権は鍵であると言い続けた。鍵がなければ、
戸口の前でいくら叫んでも、部屋の中の決まり事は変わらないからである。

⚖ 鶴の一声という噂
戦争が終わり、占領軍の司令官マッカーサーが五つの改革を
日本政府に求めたとき、その中に「婦人の参政権」がまじっていた。
だから女の一票は、あの将軍の鶴の一声で降ってきたのだ、と人は言いたがる。
だが房枝から見れば、それは突然の贈り物というより、長年たたいた戸口が、
ようやく外からも内からも同時に開いた、という出来事であったろう。

戦前から積み重ねた運動の石段の上へ、占領政策という風が吹きこみ、
重い扉を押したにすぎない。鍵穴を見つけ、鍵の形をこつこつ削っていたのは、
やはり国内の女たちだったのである。
📮 投票箱の口
やがて列が進み、房枝もまた小さな紙を受け取る。
鉛筆の先で文字を書く手つきは、若い頃にビラを書いたときとそう変わらない。
ただ違うのは、その紙が今度こそ、まっすぐ政治へ届くという確かさであった。
選挙の日、投票所の前には、晴れ着とも普段着ともつかない
装いの女がならんでいた。戸籍にしか居場所を持たなかった妻も、
工場の油にまみれた娘も、戦地から便りの途絶えた母も、その日だけは
ひとつの同じ名で呼ばれた。有権者、という名である。
投票箱に落ちる一枚の紙は、ことばにすれば頼りない。だが、
その紙を握る手のうち側には、台所の湯気や、工場の煤や、
長い沈黙の年々が、しわのように重なっていた。

「これで、すべてが変わるわけではありませんよ」
市川は、どこかの集会で静かにそう言ったという。
「けれど、変えられるということだけは、はっきりした。」
四月十日の風は、やはりふつうの風である。洗濯物をゆらし、
商店街ののぼりを鳴らし、子どもの帽子を飛ばしていく。
ただ、その風の中を歩く女たちの影だけが、
ほんの少しだけ長く、遠くまで伸びていた。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
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熊谷
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4月10日は「女性の日」、我が国で女性が初めて参政権を行使した日です。
1946年(昭和21年)のこの日、戦後初の総選挙が実施され、
初めて投票した女性は約1,380万人。39名の女性国会議員が誕生しています。
1949年(昭和24年)に労働省(現在の厚生労働省)が「婦人の日」として制定。
その後、1998年(平成10年)に「女性の日」と改称されました。
また、4月10日を起点とした1週間を「女性週間」としており、女性の地位向上を目的
とした活動をするための週間として提唱しています。
🌸 四月十日の朝
四月十日の朝である。町の上を流れる風は、昨日までとほとんど変わらない。
けれど路地の角を曲がる女たちの歩みだけが、どこかきゅっと結ばれていた。
彼女らは新しい靴をはいているわけでもない。子どもの手を引き、
買い物かごをぶらさげ、ふだん通りの顔つきで家を出てくる。
ただ、その足もとには、これまで許されなかった方向へ延びていく
一本の細い道が、まだ見えない線のように敷かれていた。
きょう、女ははじめて一票を持つ。新聞はそれを「歴史的一日」とよび、
役場は早くから旗を出した。だが、列の中ほどに立つ一人の女は、
旗よりも、紙よりも、もっと長い時間のことを考えていた。
その女の名を、市川房枝という。

大正時代から男女の平等、平和、婦人参政権を訴えた市川房枝さん
戦後は国会議員となり、女性の地位向上や汚職追及にも力を注ぎました。
🕊 長い坂道のこと
房枝が坂をのぼりはじめたのは、ずっと前、大正のころであった。
女は家の中にいてよい、と言われていた時代に、彼女は家の外に出て、
会をつくり、ビラを配り、演説を聞かせた。平塚らいてうらとともに、
新婦人協会をおこし、まずは集会に出る自由を、と声をあげた。
請願は何度も退けられ、冬の国会坂を、何度も登りおりした。
それでも房枝は、婦人参政権は鍵であると言い続けた。鍵がなければ、
戸口の前でいくら叫んでも、部屋の中の決まり事は変わらないからである。

⚖ 鶴の一声という噂
戦争が終わり、占領軍の司令官マッカーサーが五つの改革を
日本政府に求めたとき、その中に「婦人の参政権」がまじっていた。
だから女の一票は、あの将軍の鶴の一声で降ってきたのだ、と人は言いたがる。
だが房枝から見れば、それは突然の贈り物というより、長年たたいた戸口が、
ようやく外からも内からも同時に開いた、という出来事であったろう。

戦前から積み重ねた運動の石段の上へ、占領政策という風が吹きこみ、
重い扉を押したにすぎない。鍵穴を見つけ、鍵の形をこつこつ削っていたのは、
やはり国内の女たちだったのである。
📮 投票箱の口
やがて列が進み、房枝もまた小さな紙を受け取る。
鉛筆の先で文字を書く手つきは、若い頃にビラを書いたときとそう変わらない。
ただ違うのは、その紙が今度こそ、まっすぐ政治へ届くという確かさであった。
選挙の日、投票所の前には、晴れ着とも普段着ともつかない
装いの女がならんでいた。戸籍にしか居場所を持たなかった妻も、
工場の油にまみれた娘も、戦地から便りの途絶えた母も、その日だけは
ひとつの同じ名で呼ばれた。有権者、という名である。
投票箱に落ちる一枚の紙は、ことばにすれば頼りない。だが、
その紙を握る手のうち側には、台所の湯気や、工場の煤や、
長い沈黙の年々が、しわのように重なっていた。

「これで、すべてが変わるわけではありませんよ」
市川は、どこかの集会で静かにそう言ったという。
「けれど、変えられるということだけは、はっきりした。」
四月十日の風は、やはりふつうの風である。洗濯物をゆらし、
商店街ののぼりを鳴らし、子どもの帽子を飛ばしていく。
ただ、その風の中を歩く女たちの影だけが、
ほんの少しだけ長く、遠くまで伸びていた。
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