ナマケモノのつぶやき -3ページ目

2月1~3日

2月1日~3日

メキシコ/パツクアロ・グアダラハラ・トラケパケ

ながぁーい、長ぁーい、ニカラグアからのメキシコへの道のり。

なぜ『マナグア→パナマ→メキシコ』と

コパ・エアラインズでとってくれなかったのか・・・。

ま、それは置いといて、と。

バスのオバハンに上手く騙され、

ウルアパンで一泊した翌日からの話。


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2月1日

ウルアパンから一路パツクアロへ移動。

到着後ホテルを決めて、

荷物を置いて早速散歩に出かける。

長時間の移動による疲れから

あまり歩く気がしない。

けれども、「老人の踊り」を見たいがために

来たこのパツクアロ。

とても小さな町で住むには良いところだなぁと思う。

スペイン・コロニアルを残す町並み。

ラテンアメリカのほとんどの町で見受けられる

お伽話に出てきそうな石畳に、石を積み上げた壁、

そして数世紀前に立てられた教会。

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目的の『老人の踊り』が催されるであろう

ポイントへ回るも空振り。

オフシーズンの上に、平日のど真ん中、

水曜日ということもあって残念ながら

無料では見ることが出来なかった。

さらには、当てにしていたホテルでのダンスショーも

閑散期なので土曜日にしかしていないと言う。

何のためにきたのか・・・。

ま、運が悪かったとしかいえない。

街歩きをしていて、土産物や似は居ると

メキシコらしい骸骨の人形が

所狭しと並んでいる。

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もって帰りたいのは山々だけど

陶製のものがほとんどなので我慢する。

ご当地料理だけでも食べようと入ったのが

El Patio(エル・パティオ)』というレストラン。

『マスのホイル焼き』と「ソパ・デ・アステカ」を頼む。

コレは上手かった。

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ビールの「ボヘミア」はベルギー・ビールを

思わせるフルーティーな味だった。

2月2日

マリアッチ発祥の地といわれるグアダラハラへ移動。

ピースボートで知り合った友人に会おうとしたが

上手く予定が合わず会えなかった。

ここでは、レストラン「ラ・チャタ」での食事と

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ホセ・クレメンテ・オロスコ作の

『立ち上がる僧侶イダルゴ』を見て、

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リベルタ市場を散策して終わった。

市場で見つけた面白いものはこれ。

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日本人コロニーがるのか、

「やきめし」がそのまま使われている。

2月3日

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グアダラハラ→トラケパケ→グアナファト

と移動日。

トラケパケは伝統舞踊を見ながらの食事、

と思ったが、これまた時間が15時からと、

それを見てからだとグアナファトに到着するのが

遅くなるので軽く食べて移動することにした。

どうも、空振りが続くメキシコ旅行のスタートです。

1月30日・31日

グアナバナをメキシコのグアダラハラで買った。

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相棒はカタカナ5文字以上の名前が覚えにくいと言い、

「グアダラハラでグアナバナ、グアナファトでグアヤバ」と

早口言葉のように言ってみた。

ついでに「グラナダでグアバ」も足してやった。

カタカナになれる練習だと思って・・・。



数分後、

「グアランダでグラナディージャ」も追加。

グアダラハラデグアナバナグアナファトデグアヤバグラナダデグアバグアランダデグラナディージャ

まどうでもいいことでした。


さて、現在メキシコを旅行中。

5月末から続いていた教員によるデモ活動を

政府側による鎮圧活動も収まり、

ようやく旅行者が戻りつつある

オアハカ(Oaxaca)に居ます。

そんな前置きをやめて、

旅日記の続きです。

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130

ニカラグアを出発。

31

メキシコ・シティに到着。

ん?

1日どこに居たんだって?

聞くも涙、語るも涙の大旅行。

あー、そうですよ。チェックしなかった私が悪い。

日本を出発してボリビアに辿り着くのと

同じぐらい、つらいツライ辛い飛行機旅行。

ニカラグアのマナグア空港を740分に出発。

2時間前のチェックインなので5時起き)

まずは、第1の経由地のパナマへ。10時着。

ここから(意味不明な???)第2経由地ペルーのリマへ。

14時着。

その後、第3のマイアミへ。

といっても、リマを出発したのは

31日0時45分。

アメリカン・エアラインズのアメリカンパスで

チケットを取ってくれたのかなぁ??と思いつつ、

マイアミに到着したのが31日の朝7時。

30分の到着遅れが乗り継ぎを失敗に導き、

マイアミ→メキシコ・シティの便を

マイアミ→カンクン→メキシコ・シティに変更。

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※通り過ぎただけのリゾート地=カンクン


最終的にメキシコシティに到着したのは

31日14時30分。

いい加減にしてくれよ・・・。

相棒と協議した結果、

乗り疲れついでにメキシコ北部の町、

パツクアロまで移動することになった。

ということで早速、

北バスターミナルへ移動。

しかし、パツクアロ行きはもう無いという。

地球の歩き方には「モレーリア経由がいい」と書いてあるが、

受付のおばちゃん、いや、オバハンに

『どうしても今日中に行きたいんだけど・・・。』と言うと、

オバハン「ウルアパンまで行って引き返せば良い」という。

まぁ、バス会社のオバハンが言うことだし、

地球の歩き方の内容もすぐ変わってしまうのが中南米の当たり前、

と思い込み、ウルアパンまでのチケットを買う。

このバスが16時頃出発して、ウルアパンに着いたのが23時。

『こんな時間にバスがあるのか?』と思い、

下りてすぐバス会社のおっちゃんに質問。

「パツクアロに行きたいけど、まだバスはある?」

これに応えておっちゃん、

「もうないよ。モレーリアで乗り換えたらあったのに・・・」

あのオバハン・・・・・。

まぁ、バス会社も儲けたいのは分かるけど、

もうちょっと親切でも良いよね。

ということで、やっとホテルに落ち着いたのが

31日の24時。


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※ウルアパンのバス停前。

 2月1日パツクアロへ向かう途中。


近くのタコスの屋台で軽く食べて寝た。

ほんとに、マイル貯めに来たわけじゃないんだけど・・・。





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とにかく、メキシコ旅行を楽しんでます。

あぁーあと4日で旅が終わる。


2月1日以降のメキシコ編は

次回をお楽しみに。

1月27日~29日

ニカラグア/マナグア・グラナダ ゆったり観光コース

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27日


お昼ご飯を食べに行った以外は

Ricardoさんの家でごろごろしていた。

そう、Ricardoさんは亮ちゃんの紹介で

5日間宿泊させてくれたとっても親切な人なのだ。


「空気みたいに扱うから自由にしてください」

なんていいながら、気配りを一杯してくれて

ほんとに快適なニカラグア生活を送れたのだ。

この場を借りてお礼を言います。

Ricardoさん、ありがとうございました。

さて、27日。

相棒はプールで遊び、昼寝。

私は一冊の本を読み終える。

『太陽の子』著者:灰谷健次郎、だ。

灰谷 健次郎
太陽の子

沖縄のことをもっともっと知りたいと思わせる

内容だし、心が温まるものだった。

晩御飯をRicardoさんが持ち帰ってくれた

鶏肉のから揚げや揚げシューマイをいただきながら

旅の話、出身地、もちろんニカラグア史など

いろいろいろいろ話し込んだ。

28日

朝ご飯を食べ、マナグア~グラナダ観光スタート。

まずは、マナグア湖を一望できる

『サンディニスタ』の語源となる

アウグスト・セサル・サンディーノ 将軍の

シルエットが飾られている丘に登る。

横からみると???

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まっすぐ見るとシルエットが。
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1972年のマナグア大地震の影響で、

平屋ばかりが建てられたので

街はマンゴーやその他の木々に隠れてしまい、

町並みらしい町並みもなく、

本当にコレが首都か?と疑いたくなる景色だ。

その後、マナグア市の1992年に建てられた

新カテドラルに行く。

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ちなみにコレ↓が旧カテドラル。

(側面から撮影)

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コンクリートで固められ、

屋根には小さなドームがいくつも並んでいる。

壁は赤紫と青色。

なんとも不思議な教会だ。

日本のようにキリスト教の歴史が浅い国ならまだしも、

歴史の深い中南米にあるカテドラル。

『そもそも何故、旧カテドラルの修築をしないのか?』

という疑問が沸いてくる。

1972年のマナグア大地震による「修復不可能」という

状態なのは分かるが、他の国ならオリジナルではないけれど、

レプリカとしてでも修復すると思うんだけど・・・。

さて、そんな疑問も残しつつ、一路マサヤ火山に向かう。

ここは活火山の火口を除くことができる。

モクモクと火口から噴出す煙は硫黄臭く、

しばらく吸っているとむせるぐらいだ。

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注意書きには「岩が飛んできたときは車の下に逃げてください」

なんてことが書いてある。をいをい・・・。

次はグラナダの町でお昼ご飯。

ここはマナグアと違ってスペインコロニアルの雰囲気を残した

穏やかな、中南米でよく見受けられる町並みだ。

その壁の色使いと、レンガ色の瓦がよく似合っている。

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ココで食べたのは『ビゴロン』。

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茹でたユカ芋をマッシュし、

その上にチチャロンとキャベツサラダを乗せたもの。

コレは旨い。

さすがRicardo御用達です。

昼食を終え、さて、どこに向かいますか?

となったときにRicardoさんが

モンバチョ火山に雲がかかってなくて

綺麗に見えるのは珍しいといい、

登ってみましょうということになった。

登山道はかなりの悪路らしい。

どんな道が待っているのやら・・・。

グラナダの町から10kmほどさらに行ったところ。

緑の分かりにくい看板が「MOMBACHO」と示す。

1車線しかない登山道なので

下りの車を待って出発。

途中休憩地点があり、

コーヒーを飲んでさらに上に続く道から

下山中の車を待つ。

そして頂上。

標高1150m。

マナグアで感じる暑さはどこに消えたのか、

じっと立っていると肌寒さすら感じる

良い気候だ。

休火山となり、緑を身にまとい、

すっかり普通の山になったモンバチョ山。

苔やシダも多く群生し、日本の山と雰囲気が似ている。

しばらく歩いていると、

グラナダの町、ニカラグア湖を見渡せる展望スポットに到着。

見晴らし最高です。

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こうしてニカラグアでの

一番旅らしい1日が過ぎて行った。

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この日も亮ちゃんのアテンドで

お昼ご飯を食べに出て、

お土産物をちょっと買いこんで

だらだらしていた。

夜は明日(30日)に出国する4人で

デスペディーダをする。

場所は韓国料理屋。

注文したどれもが赤く、辛く、旨い。

トッポギの山盛りには少しうんざりしたが

ニカラグアの涼しくなった夜には

この汗が引いていくときは心地よかった。

空にはぽっかりと月が浮かんでいた。

1月26日

ニカラグア/マナグア

キューバからニカラグアへ移動。

お昼の12時。ニカラグアのマナグア空港に到着したら、

そこで待っていてくれたのは同じ時期に協力隊に参加し、

ニカラグアに派遣されていたリオ。

彼は日本に帰った4がつから、

協力隊で活動した2年間で撮った写真を

鎌倉や福井県で展示会をしたり、

小学校などで体験報告などをしていた。

その一方でニカラグアの子どもの学習意欲の向上と維持のために

鞄や制服、靴をプレゼントするために募金活動をした。

その活動を実行に移すために2ヶ月ニカラグアを再訪していたのだ。

そんな彼の職場を訪れることをお願いしたら、

快く引き受けてくれ、しかも空港まで迎えに来てくれた。

そして、車で迎えに来てくれたのが

私がエクアドルでの隊員活動をしていた時に

同じ街に住んでいたしっかりものの妹、りょちゃんだ。

現在はニカラグアで仕事をしている。

ひとまず宿泊先(ふちがみ=Ricardoさんの家:ふちがみさんの

ことはまた今度)に移動し、荷物を置き、中華レストランで昼食。

結果、午後から早速リオの仕事に同行させてもらうことに。

彼も実は30日に帰国するのでその準備もあり、

今日中に仕事を済ませてしまうところだったのだ。

ぎりぎりのタイミングに申し訳なかったが、

コチラからすれば運が良かった。

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んなこんなで、暑い午後のマナグアを

タクシーで移動しつつ町並みを見ながら、

コレまでの活動のことや今回の活動のことなど

いろいろリオに話を聞き、

まずは制服や靴のサイズ変更のために

リオが購入した市場に到着。

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目指していたその場所に着いた。

彼のBlogで見知っていた風景が一つ一つ重なっていく。

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マンゴーの木の下の教室。

廃墟の中に並ぶプレハブ小屋。

排水が溜まり淀みを作っている通路。

集まって何やら話し込んでいる子ども。

ここで生活している人たちは

日本でみる大抵の日本人よりは元気そうだし、

楽しそうだ。生きる力にあふれている気がする。

確かに“コチラ”から見れば、“環境”はよくないと

思ってしまうのだけれど・・・。

そんな感想もさておき、

リオのお仕事は進む。

サイズを変更した持ち主を探して

1つずつ確実に手渡していく。

見つからない子を、居場所を知って

いそうな子に頼み呼んできてもらう。

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受け取った子は、

はにかみながらもリオにまっすぐ向いて

感謝の気持ちを伝えて、笑顔がこぼれていく。

1つ、また1つと袋の中が軽くなるたびに、

笑顔がポロリ、ポロリとこぼれていく。

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“モノ”が心を豊かにするのではなくて、

そこに篭もっている気持ちが、

『誰かの為に~』という気持ちが、

人を幸せにするんだと改めて実感する。

この子らが、リオの気持ちをしっかり受け止めて、

学校へしっかりと通い続けて欲しいと願う。

リオのHPはこちら↓。

http://blog.ishonan.com/corazon

1月23日~25日

キューバ/トリニダード


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向かった先はハバナから5時間の

『トリニダード(Trinidad)』という町。

タクシーに乗り込み、

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トラックの荷台が客席のバスをみつつ、

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アレクシィ紹介のオスタル・ボンビーノに到着。

ここは空きがないということで、

ボンビーノじぃちゃんの紹介で別の家に移動。


清潔感のある部屋に、

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綺麗な青空を眺められる中庭。

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旅行者に喜ばれる宿であること間違いなしです。

ひとつだけクレームをつけるとしたら

シャワーのつなぎ目から水が漏れ、

水量はしっかりあるのにシャワーとしての機能が

果たされていないこと。

石畳を残す古い街並み、旅行者に人気の穏やかな街だ。

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街の中心にある公園に近いBARに入り

モヒートとハンバーガーを注文。

食べ終えてまったりしていると、

早番だった店員らしき人が

ハバナクラブの小瓶をぶら下げ

店に入ってきた。

おもむろに蓋を開けると

地面に数滴ロンを垂らす。

そして一口飲み干す。


次に仕事中の仲間に一杯やれと促す。

(日本じゃ考えられんですがね)

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この仲間も一口飲む前に、

地面に数滴垂らす。

沈殿物や、浮遊物があるのか?

でも、2人目もする必要はあるのか?

などと疑問に思い、

「なんで最初の数滴地面に垂らすんだ?」と聞くと

『習慣みたいなもんだけど、神様に捧げるのさ』と返事。

ほぉー。なかなか興味深い。

ビーチまではトリニダードの町の中心から

12kmを1人2Cuc(≒¥240)で行ってくれる。

でもバラデロのほうが綺麗だったなぁー。

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こちらでも、キューバ音楽の生演奏を

無料で聞ける場所がある。

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ハバナの町はあんまり良い印象派ないけれど、

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バラデロとトリニダードは良かったです。

今思えば、サンティアゴ・デ・クーバにも

行ってみたかったな。

キューバは地方が面白い気がする。

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1月22日

キューバ/バラデロ


宿屋のアレクシィに頼り、

キューバ3大ビーチの

バラデロへ行くことになった。

使ったのはViazul(道=VIAと蒼=AZUL)を

合わせた名前のバス会社。

出発時刻を知らせる放送と共に、

経路が青く点灯する。


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乗り込んだバス。

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3時間かけて海岸に到着。

まずは腹ごしらえ、の前に、

のどの渇きを癒す。

飲み物は、ロンに砂糖、

ミント、ソーダを入れた

『モヒート』。


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食事を済ませて向かったビーチは・・・。


緑緑緑蒼蒼蒼蒼蒼蒼

緑緑蒼蒼蒼蒼蒼蒼蒼

藍白藍藍藍白藍藍藍

青青青青青青青青青

碧碧碧碧碧碧青青青

白白白白白白白白白



最高でした。


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1月21日

キューバ/ハバナ 2日目。



オビスポ通りの両替屋へ

日本円を持ち込むのが


一番レートがいい。

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その次がユーロなど。

USドルは一番損をする。

VISAで下ろすほうがまだましなのです。


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さてこの日は、

ハバナ・クラブ博物館

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革命歴史館を訪問。

もちろん、ゲバラさんとカストロさんの活動が展示されているし、

街中の公園にある本屋さんの棚にも

ゲバラさんとカストロさんの本が並べられている。


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タクシーのお釣りをCun(キューバペソ)でもらう。

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上がキューバペソ。

下が兌換ペソ。


アメリカン(左)とキューバコーヒー(右)。


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濃さはそんなに変わらない。



キューバは、

サッカーより野球、

なんだね。

やっぱり

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カサ・デ・ラ・ムシカ(音楽の家=ディスコ)

バンドの生演奏が始まるまでレゲトン。(_ _;
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1月20日


キューバ/ハバナ・バラデロ・トリニダー(ド)


さて、20日。

エクドルのグアヤキル空港から

キューバに向けて出発。

予定を決めないままの移動。

おおよそは決めていたが、

キューバ人コーチのお宅訪問を

しなくてよくなったので、

気持ちが揺れる。

片道15時間(もちろん夜バス)の移動をして

キューバ人コーチの家族にお世話になるか、

それともハバナを起点にまったり旅行をするか。

着いてから考えればいいか?と

とっとと飛行機の中は寝る。

しかし、利用したのはCOPAエアライン。

懐かしい。

2年前にパナマへ、そしてメキシコへ、

さらにエル・サルバドルに行くときに利用した。

もっと言えば、3年前にエクアドルへ行くときに

利用したのもCOPAだ。

この飛行機に乗ると飲みたくなるのが

コレ↓。


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そうです。パナマ産の『PANAMA』ビールです。

すっきりしていて飲み易い。

一口飲み下すと懐かしい記憶で満たされていく気がする。

そんな気分も束の間、修築工事の終わった

パナマのトクメン空港に到着。

キューバ/ハバナ行きに乗り換える。

そして、到着30分ほど前。

眼下に広がる海の碧さに相棒と大興奮。

やっぱりカリブ海は素敵です。

(沖縄が世界一らしいですが・・・)


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そんな興奮冷めやらぬまま、ハバナ空港に到着。

入国審査でひっかかった。

まず入国審査前にあるツーリストインフォメーションで

宿泊先をちゃんと決めろと言う担当。

安宿の「カサ・パルティクラル」は予約できない

と言うインフォ。

しょうがないから地球の歩き方に紹介されている一つを記入する。

そんなところがあるのかどうか、疑わしそうな担当。

日本人団体旅行者や、いかにも怪しげなヒッピー風

外国人を横目に待ちぼうけ。

約30分後、ようやく許可がでたらしい。

パスポートの写真と違いすぎたのかな?と。

髭はぼうぼう、日焼けをして、

サンダル、ジーンズは膝に穴が開いている。

そのくせ、下手なスペイン語が話せて、

無職だけど1000ドル持ってるなんて言いやがる。

そりゃ、ちょっと怪しいか・・・。

まぁ、無事通れたから良しとしようと、

気持ちを楽しいリゾート訪問に切り替えようとした瞬間、

『ブチッ!!!』

ん?あれ?歩きにくい・・・。

そう。サンダルの鼻緒が切れました。

正確に言うと、裏側のソールの部分に

引っかかる丸い部分が取れた。

ないやら幸先の悪いスタート。

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そして荷物を受け取り宿泊先の情報を得ようと

インフォ・カウンターへ。

教えてもらった宿をタクシーの運転手に渡すと、

「ここはトラブルが一杯だからやめとけ!」と一蹴。

そしてどこへ連れて行かれるのか地図を見ながら

心配して到着したのが、

中華街の門からすぐ近くのところ。

Alexiという青年が経営するカサ・パルティクラル(カサ・レンタ)。

部屋は広く、トイレ・シャワーも清潔。

1泊=25Cuc(キューバ・コンベンティブレ・ペソ)。

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旅の相談もいろいろ聞いてくれるし、

スペイン語ができる人は大歓迎してくれるし、

英語でも大丈夫。

宿は決まったし、街を散策だ。

cuba4kesiki

1月18~19日

エクアドル/マチャラ







10ヶ月過ぎて戻ってきたマチャラ。

青年海外協力隊に参加して、約2年住んだ町。

2年の間、日本に一度も帰ろうなんて思わせなかった。

もちろん、職場・住居の変更を考えたこともあった。

それでも2年の任期を途中で放り出して日本に帰るほど

苦になることもなく、むしろ食事は美味しいし、

信用の置けるエクアドルの人が

1人、2人と増えてくると楽しくなっていく。

日本では、裏切られることも少ないが、

腹を割って話す相手を見つけることも難しいのかも。

17日

ガラパゴスからグアヤキル移動し、

良くお世話になった『TOPPI SUISHI』へ。

店は以前の半分のスペースになっていたが、

オヤジさんは酒とタバコを止めたせいか、

以前より元気そうだ。

18日

エクアドル生活2回目となる

コトル・シップ(クーラー付きのミニバン)を利用して、

マチャラへ移動。

14時ごろ家に到着。

ママが嬉しそうな声で応答してくれるのがわかる。

日本の家族ことやその他の協力隊員のこと、

相棒との出会いなど、簡単に話す。

昼からは、再度『コレヒオ・ヌエベ・デ・オクトゥブレ』へ。

卓球コーチがキューバの人で、届けてあげられるものなら

荷物をもって行ってあげようと思ってたので、荷物を受け取りに。

クリスマスに荷物を送ったところで、特にないようだった。

もうちょっと早く連絡してあげたら郵送料が

かからずに持っていってあげられたのに・・・。

残念だ。ま、仕方が無い。

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少し散歩をして家に帰り、久しぶりの我が部屋へ。

ベッドが増えてたり、テレビがあったり、

多少置いてあるものが変わってはいたが、

机やマットレス、イスが同じ。懐かしい。

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19日

午前中は少し街に出て、

午後は家でインターネットを使わせてもらった。

速度が遅いので必要なメールだけチェック。

夜は3月にマチャラを出るときに

食べに行った時と同じお店。

なんだか変な気分。

『これまでホームステイしてきた中で

ジュンが初めて再訪してくれた』といって

とても喜んでくれていた。

名残おしいが、数年後彼らが日本へ来るときか、

またはもう一度私がエクアドルを訪れるときに

再会できることを願って、お別れした。



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それにしても、ママと同じ誕生日でよかった。

コレがなければエクアドルに来ようという

気持ちが生まれなかったかもしれない、

といってもおかしくない。

日本で会いたいものだな。

GALAPAGOS FOTOS vol.5

galapa41mascarado


#41

ピケーロ・マスカラード(NazcaBoobie

孵化時期にぶつかり、生後一週間以内の雛にも

出会えました。


galapa42hunca

#42

噴火。

といっても海水の、です。

溶岩が冷却される時にできた亀裂が

波に浸食され、うまい具合に自然の噴水を作り上げています。

石川賢治さんの写真集にもあったような・・・?

galapa43gavi

#43

ガビオネタ(日本語名知りまへん)

オスがメスを押さえつけているところ。

galapa44onaga
#44

尾っぽが長く、とても早く飛ぶ鳥。

いつ、どこに休憩するのか???

説明を聞き逃した。


galapa45aome
#45

青い目の鳥。

足が短くて歩き方がかわいい。


galapa46kuro
#46

男3人で何の相談中?


galapa47souji
#47

ガイドのJUANが海のお掃除。

ウミガメなどが餌だと思い食べて、

市に至ることもあるそうだ。


galapa48cosina
#48

台所。

もちろん、エンカンターダ号の。


galapa49guncan
#49

グンカンドリ。

胸が大きく赤いのが男らしい印。

galapa50arco
#50


最後の日には虹のおまけもつけてくれたガラパゴス諸島。



船酔いに悩まされたり、

英語圏のパッセンジャーに囲まれ

ちょっとゲンナリする日も会ったけど、

素敵な風景と、動物の生活と、

クルーの陽気さに楽しませてもらった

8日間でした。

サンタ・イサベラ島は我が子に託すかな・・・