選考試験
今日は再び三宮へ。
前回は24日に協力隊OBを対象とした
「伝え方講座」なるものに出席した。
「子ども多文化共生サポーター選考試験」
を受験するためだ。
日本の学校で、主に言葉の壁が原因で
なじめない生徒を、学校の先生、保護者の間にたって
うまくコミュニケーションがとれるようにお手伝いする仕事。
「子ども多文化共生センター」のHPはコチラ↓。
http://www.hyogo-c.ed.jp/~mc-center/
せっかく教員を目指すなら、今のうちから
学校を見ておくのもいいことかと思ってのことだが・・・。
しかし、スペイン語はやたら下手くそだ。
試験官のスペイン語のわかりやすいこと。
そして、口頭での問題は
「明日は運動会なのでお弁当を持ってきてください」
だった。
まず、「お弁当」で悩み、
続いて「運動会」でどーでもいいやってかんじ。
そういや筆記試験では
「2本の直線が垂直である」
の訳で困った。
まぁ、私のスペイン語レベルもこんなものかと
ちょっとがっかり。
3級を目指して勉強をする気持ちはどこへ行ったのやら。
ネットでスペイン語のラジオでも聞いて耳だけでも
慣らしておこうとは思うが・・・。
とはいえ、大学院の授業計画次第では、
この子ども多文化共生サポーターに関わってられなくなるが、
ぜひやってみたいものだ。
なにかしらスペイン語圏、特に中南米の人たちのために
できることがあるなら、少しでも役にたちたいんだがなぁ・・・。
入学金
本日入学金を振り込んできました。
しめて28万2250円(振り込み手数料込み)。
授業料は年間で56万ちょい。
郵便局に腰掛けて、通帳の数字とにらめっこし、
貯金の底が見えてきたことに
少しの不安を抱えつつも、
南米培われた「なんとかなるさ」精神でやり過ごす。
一年は働かないと決めたものの、
教科書代やらなにやらかんやらの足しにしようと
バイトをしようと思ってインターネット検索をかける。
なんと登録には携帯番号と携帯メールが"必須”。
今時携帯を持ってない日本人は時代遅れか。
ほんの10年前は携帯よりもポケベルが幅をきかせていた時代。
その前はそんなもの持ってるのはどっかの大金持ちやら
車についてるでっかい、ぶっとい移動電話。
この携帯社会が行き着く先はどこなのか?
そのうち"体内埋め込み式”なんてのが
販売されたりして・・・。
さておき、携帯もたなきゃね。
でも、4月に持てば学割プランがあるんだよなー。
契約して1ヶ月後に変更できるのかな?
2月9~12日 その3
11日(この旅の最終日)
さて、今日は朝からべジャス・アルテスへ行き、
フォルクローレ・ショーを観賞。
お土産を少々買い込む。
そして、相棒の今旅メインである
第2回目のルチャ・リブレを見るため
アレーナ・コリセオへ行く。
こちらのほうが9日にいったところよりも小さくて、
リングが近いし、日本人も居るし
(2年前に見たOKUMURAがまだがんばっていた)、
個人的にはコチラをお勧めする。
帰りにガリバルディ広場も寄れるし・・・。
そう、この広場ではマリアッチが
60~80ペソ(600円~800円)で演奏を
してくれるのです。
すぐ近くには安食堂街もあるし、
ま、人の集まるところ輩もいるので
手ぶらで行くことだけはお勧めしますがね。
さてさて、こうしてメキシコ最後の夜、
この中南米旅行最後の夜が終わっていくのでした。
飛行機の移動もすっかり慣れたものだが、
どうもアメリカン航空の食事は好きになれない。
さらにはバスの方が座り心地がいいし・・・。
ま、こうして移動日含めて66日間の旅行は幕を閉じたのでした。
日本で心配をしてくれた皆さん、Blogを楽しんでくれた皆さん、
本当にありがとうございました。
2月9~12日 その2
10日
ソチミルコ、国立人類学博物館。
メキシコ・シティは昔も昔、
大昔は湖に浮かぶ都市だったそうな。
その面影を残す遊覧船をメインにしている
観光地であるソチミルコを訪れた。
船に揺られて何にも考えず、すれ違っていく
とうもろこし売りのおばちゃんや
タコス売りのおっちゃんの声が
マリアッチの演奏の溶け込み、
空と水路に吸い込まれていく。
ゆったりと浮かぶ雲を見上げながら
ディエゴ・リベラの書いた壁画を思い出す。
日本でもこんなにゆったりとした
時間の流れを感じることができのかなぁ?と
少し不安になる。
その後国立人類学博物館に行き、
口が市場の食堂に慣れたのか、
あまり美味しいとは思わなかった
ユカタン地方料理を出す
ちょっと高いレストランに行き、ホテルに戻った。
2月9~12日 その1
メキシコ/メキシコ・シティ
9日
オアハカから夜バスで6時間。
この旅最後の街、メキシコ・シティに到着。
夜が明けていないメキシコ・シティは不気味だ。
家や木までもが寝静まった雰囲気の日本とは違い、
物陰に潜む強盗や貧困、不満と暴力に
注意を注ぎ続けなければならない。
さて、無事に早朝の移動を終えて、
安宿も見つけ(どうもシガナイ売春宿エリアのようだった)、
さっそく行動開始、と言いたい所だが、
日本に帰りたくない病の発作か、少し体調がよろしくない。
だるいし、ねむい。
標高の高さと夜バスによる移動のためと思われる。
ま、それでも時間は有限。
あまり疲れないコースを考えて移動。
あちこちで、ディエゴ・リベラやオロスコの壁画、
歩くだけで楽しい町並み、メキシコ料理など、
刺激がありすぎたこの連日のおかげで、
予定していた美術館巡りもちょっとうんざり。
ということで、今日(9日)はほんの少しだけの散歩に。
まずは日曜日のべジャス・アルテスでの
フォルクローレ・ショーのチケットを購入し、
国立宮殿、メトロポリタン・カテドラル、
文部省とまわり、「カフェ・デ・タクーバ」で休憩。
TACUBA通りにあるこのカフェ・デ・タクーバは
ディエゴ・リベラが結婚式を挙げたらしい。
さらには、メキシコのアーティストである
「カフェ・タクーバ」の名前のゆらいであるとか。
そういえば、アルバムの名前は「クアトロ・カミーノス」だったけど
このカフェ・デ・タクーバの最寄り駅は地下鉄2号線で、
西方面は「CuatroCaminos」行きだった。
アルバム名もココから取っているのかな?
相当この場所が好きと見える。
さて、夜はアレーナ・メヒコで
ルチャ・リブレ(プロレス)観戦。
カメラの持ち込みは禁止なので
残念ながら写真はない。
11日は上手くボディ・チェックをかわして
持込に成功したけれど、
隣のおばちゃんの密告により回収された。
なので良い写真はない。
パンフレットだけ。
そういえば、メキシコにも
オタバレーニャ(エクアドルの人)がいた。
2月7~8日 その2
メキシコ/オアハカ(エル・トゥーレ、ミトラ遺跡、ヤグール遺跡、メスカル酒蔵)
8日
パッケージツアーに参加した。
朝の10時に出発し、17時半ごろにオアハカへ戻ってくるツアー。
第1ポイントはオアハカから車で20分ほどの「エル・トゥーレ」。
樹齢が2000年以上といわれている木が教会の横にそびえ立っている。
教会を挟んだ反対側にも樹齢1000年ほどの木がある。
第2ポイントはエル・トゥーレからまた20分ほど行った、
サポテコの血を引く家族が経営している織物の家を訪ねる。
伝統的な織物に使う染料や糸のつむぎ方などを説明してくれた。
ちなみに敷物は大きさではなくデザインによって値段が違う。
第3ポイントは「ミトラ遺跡」。
モンテ・アルバンに次いで歴史的に重要な遺跡だそうだ。
サポテコ人によって建設されたミトラ。
モンテ・アルバン建築から200年から300年後の建築とあって、
その技術がより精巧になっていることが伺われる。
第4ポイントは「メスカル酒造」。
テキーラとも違う製法らしい。
手前のでっかいパイナップル(ちなみにココまで成長させるのに8年かかる)
みたいなのを土の中に埋めて5日間。
それを掘り起こして磨り潰し、
釜で炊き出し、蒸留する。
樽につめて寝かすこと数年。
『メスカル』の出来上がりだ。
あまり好きな味ではない。
やっぱりテキーラのアニェホがうまい。
第5ポイントはヤグール遺跡。
ミステコ人の影響下にあったとされる遺跡。
でも建設はサポテコ人だとか・・・。
見張りとして使われていたとされる遺跡を見下ろせる
ところからの景色が綺麗だ。
この茫漠とした景色からは日本人とは全く違う
気質をもった人に育つのもうなづける。
こうして楽しいツアーも終わりオアハカに
戻ってきたのですが、嬉しいおまけがついて来たのでした。
ソカロ(町の中心の広場)ではブラスバンドの演奏。
そして学生のパレードが見れたのでした。
この学生のパレードで動く“モヒガンガ”と、
オアハカの民族衣装を見ることが出来た。
デモ運動なんかが必要の無い政治と、
ツーリストが戻ってくる治安のよさを
早く取り戻して欲しいものだ。
グァナファトに引き続き
素敵な街に来れたことを嬉しく思った。
2月7~8日 その1
メキシコ/オアハカ
6日の午後にグァナファトから一路メキシコへ移動。
そのまま夜バスを使い7日の早朝にオアハカへ到着。
グァナファトの終盤から青空続きの旅。
ようやく運がよくなってきたのかな?
宿泊先を決定し、夜バスの疲れを取るために
少し寝てから観光開始。
まずは宿泊先の目と鼻の先の世界遺産、
「サント・ドミンゴ教会」へ。
その壮麗さが、少し“豪奢”という印象を与えそうだが、
ひんやりとした印象を与える教会独特の雰囲気と、
控えめに窓から入る日差しがとても神妙な雰囲気を
作り出している。
その後、遅めの朝ごはんを食べた後、
ザポテコ文明の遺跡モンテ・アルバンへ行く。
以前訪れた時にティオティワカン、チツェン・イツァーと
メキシコの2大遺跡を見ていただけに感動は薄かったが、
物思いにふけるにはよい場所だ。
市内に戻り市場でジュースを飲み、
ルフィーノ・タマヨ博物館で発掘物を見、
民芸品売り場でモヒガンガを発見した。
以前に少し書いたが、オアハカでは
昨年の5月から12月にかけて
教師によるでも活動が行われ、
その運動の激しさから軍隊による鎮圧行動があり
20名ほどなくなった。
その中にはアメリカのジャーナリストもいたそうだ。
そのときの傷跡が(それ以前からもあったかもしれないが)
街角の壁はもちろん、カテドラルの壁にも、道路標識などへの落書き。
撤去されていないのか、デモ活動再燃の不安から準備されているバリケード。
治安維持のために街角に多く配置されている警官たち。
ツーリストの訪問も戻りつつあり、
それに伴いホテルや飲食店も活気を取り戻しつつある。
フェリペさんやミカさんが話してくれたでも活動前の
華やかな、落ち着きのあるオアハカに
すぐに戻ってくれることを願う。
2月4日~6日
メキシコ/グァナファト
グァナファト到着は3日の夜18時ごろ。
州の名前と同じ州都である。
日が沈みかける時間に到着したのだが、
到着前から降りかけた雨を夕日が照らし出して
虹でお出迎え。なにやら良いことがありそうな兆し・・・。
残念ながら雨が降るところへ到着したが、
バスを降りてみて息を呑む。
グァナファトは地下道があちこちに張り巡らされており、
石を積み上げたアーチ、石畳が異国情緒を引き立てる。
アジア人が珍しいのか、案内人のように後ろを振り返りながら
階段を登る少年に付いて地上へ出ると、
これまた素敵な公園が目の前に広がる。
ライトアップされる教会
や路地は
どこを切り取っても絵になる街だ。
夜は『エストゥディアンティーナ』と呼ばれる楽団による
演奏を聞きながらの街の散策は参加する全ての人を
お伽話の主人公にさせてくれる。
話は前後するがグアナファトに来た理由のひとつに
ニカラグアでお世話になった『リオ』の友人に会うことがあった。
ま、泊めてもらえるという事と、
その2人の仕事がとても興味を引いた。
「モヒガンガ」というメキシコのお祭りのときに使われる巨大な人形を
ただの張りぼてからもっと芸術的なもの、より実用的なものへと
進化したものを普及させようと活動している
フェリペさんとミカさん夫妻を訪れることだ。
グァナファトの美術館でも見ることができたし、
数日後になるがオアハカでは
実際に動いているモヒガンガを見ることができた。
それらをみて思ったのは、
確かにフェリペさんのモヒガンガは
美術品、芸術品と言えるものだと思った。
※左からミカさん、フェリペさん、美人の骸骨モヒガンガ、あどりあーの。
※グァナファトの美術館にあったモヒガンガ。
グァナファトをココだけでは書ききれないものが
いっぱいあるけれど、最後に1つだけ。
Muchas garacias a Felipe-san y Mika-san.
Nos vemos en Japon,Mexico o donde tendran la taller de Mojiganga.
Espero que bailaremos con sus Mojigangas.
そしてこの出会いを演出してくれたリオにもお礼を言いたい。
Muchas Gracias Rihhi!!
こんな風に人との出会いが繋がって、広がって、
穏やかな気持ちがこの世界に少しずつ融けこんで
いけばいいのになぁと、ぼんやり思うあどりあーのでした。