雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう
雨があがるように
しずかに死んでいこう
クリスチャン詩人・八木重吉。
彼の詩は短く、素朴である。しかし、その一つ一つの詩には、人の心にすっと染み込み、いつまでも忘れることのできない、森羅万象への柔らく暖かい眼差しが溢れている。
この詩と始めて出会ったのは、私が中学生の頃。部活のない日の放課後、通い慣れた県立図書館の視聴覚ルームで、ヘッドホンを耳にあて、何とはなしに、選択ボタンを押した。聴こえてきたのは、多田武彦作曲の男声合唱組曲『雨』の終曲。テキストは、この八木重吉の詩だった。
私は、この短い曲を聞き終わったとき、いつの間にか深く椅子に沈み込んでいる自分に気づいた。そして、胸の奥底から、春の風のように、暖かく柔らかなものが、ゆっくりと全身に広がっていくのを感じた。図書館の窓の外に見えるプラタナスの葉は、いつもより優しくそよいでいた。
感動的な長編小説や大作映画にも負けない、確かに人の心を震わせる深い魅力、がこの小さな詩には詰まっていた。
それ以来、ことあるごとに、何度もこの詩にふれてきた。
この詩にふれるときにはいつもこう思う。
人は、いつか、終わりの日を迎える。そのときには、私も、雨があがるように、しずかに、最期を迎えたい、と。
そして、それまでは、あのおとのように、そっと、世のためにはたらいていなければ、と。
そう、今は、そっと、世のために、はたらいていよう。