三好達治「鐘鳴りぬ」(『朝菜集抄』より) | 侘楼日記

侘楼日記

徒然に日暮し
ひねもす書に耽り
侘しき楼にて
過ぐる空蝉

本好き、映画好き、音楽好きの徒然日記です。

 聴け

 鐘鳴りぬ
 聴け
 つねならぬ鐘鳴りいでぬ

 

 かの鐘鳴りぬ
 いざわれはゆかん

 

 おもひまうけぬ日の空に
 ひびきわたらふ鐘の音を
 鶏鳴(けいめい)か五暁かしらず

 

 われはゆかん さあれゆめ
 ゆるがせに聴くべからねば


 われはゆかん
 牧人の鞭にしたがふ仔羊の
 足どりはやく小走りに


 路もなきおどろの野ずゑ
 露じもしげきしののめを
 われはゆかん
 ゆきてふたたび帰りこざらん


 いざさらば からら

 つねの日のごとくわれをなまちそ

 つねならぬ鐘の音声
 もろともに聴きけんをいざ
 あかぬ日のつひの別れぞ 

 わがふるき日のうた




詩人・三好達治が、徴用されて戦地へと赴く青年の心情を描いた詩。

擬古文による引き締まった文体の中に、青年の焦燥、決意、悲しみが滲み出る。


霜月になり、肌寒い秋風が立つと、この詩がふいに私の脳裡をよぎる。多田武彦作曲による男声合唱組曲『わがふるき日のうた』の一片に、この詩による合唱曲があり、無性に幾度も聞きたくなるのである。


現下のような泰平の世においても、日々の移ろいや世の無常、己の力の及ばぬうつせみの流れに、戦地に赴く青年が感じた焦燥、決意、悲しみと似たような感覚を得るときが、我々にもありはしないだろうか。


殊に、私にとっては、来し方の霜月、枯れはじめた木立に、斜陽かたぶく夕暮れどき、この空蝉を、そっと、独り去った友のことを思い出す。


彼が最期の日々に感じただろう思いをこの詩に重ね合わせ、口ずさむ。


そして、天上にある彼の慰安を祈るのである。


共に過ごした「『われら』がふるき日のうた」。


私にとってはそんな詩でもある。