聴け
鐘鳴りぬ
聴け
つねならぬ鐘鳴りいでぬ
かの鐘鳴りぬ
いざわれはゆかん
おもひまうけぬ日の空に
ひびきわたらふ鐘の音を
鶏鳴(けいめい)か五暁かしらず
われはゆかん さあれゆめ
ゆるがせに聴くべからねば
われはゆかん
牧人の鞭にしたがふ仔羊の
足どりはやく小走りに
路もなきおどろの野ずゑ
露じもしげきしののめを
われはゆかん
ゆきてふたたび帰りこざらん
いざさらば うからら
つねの日のごとくわれをなまちそ
つねならぬ鐘の音声
もろともに聴きけんをいざ
あかぬ日のつひの別れぞ
わがふるき日のうた
詩人・三好達治が、徴用されて戦地へと赴く青年の心情を描いた詩。
擬古文による引き締まった文体の中に、青年の焦燥、決意、悲しみが滲み出る。
霜月になり、肌寒い秋風が立つと、この詩がふいに私の脳裡をよぎる。多田武彦作曲による男声合唱組曲『わがふるき日のうた』の一片に、この詩による合唱曲があり、無性に幾度も聞きたくなるのである。
現下のような泰平の世においても、日々の移ろいや世の無常、己の力の及ばぬうつせみの流れに、戦地に赴く青年が感じた焦燥、決意、悲しみと似たような感覚を得るときが、我々にもありはしないだろうか。
殊に、私にとっては、来し方の霜月、枯れはじめた木立に、斜陽かたぶく夕暮れどき、この空蝉を、そっと、独り去った友のことを思い出す。
彼が最期の日々に感じただろう思いをこの詩に重ね合わせ、口ずさむ。
そして、天上にある彼の慰安を祈るのである。
共に過ごした「『われら』がふるき日のうた」。
私にとってはそんな詩でもある。