書呆子のブログ -82ページ目

負け犬の反対語はフケ犬

負け犬論争について

私は負け犬の反対語は勝ち犬じゃなくて、フケ犬だと思う。
ふけた、というのは、老いた、という意味ではなく、花札なんかで、たとえば、(何点を基準にするかはローカル・ルールによって違うが)20点以下しか取れない人が一人でもいると、その勝負自体がなかったことになる、ていうのがあるじゃないですか、それですね。
通常は、一点でも多く点を取った人が勝ちだから、みんな高得点になる役(猪鹿蝶とか)を狙って一生懸命ゲームに参加しているのに、あまりに手が悪すぎる場合、逆に低得点でふけて、「負け」るのだけは避ける、という戦略があるのですね。もちろん合法的な作戦です。

女性が仕事を辞めて専業主婦になるって、花札でいう「ふける」という行為ではないか、とずっと思ってきた。働いている人間は、仕事上の業績ややりがい、つまりachievementを尺度とするが、主婦たちは「子供ってかわいいわよ」という全然違う価値観を持ち込み、こちらを脱力させる。achieveしようと必死にがんばっていることを否定されたような気持ちになる。

私の大学の同級生の女性の中には、少なからず、出産や夫の海外転勤等でキャリアの中断を余儀なくされた人がいるが、私も取材を受けた先日のアエラの「東大女子40歳の現実」にもあったように、東大卒のプライドが邪魔して、中小企業に再就職するぐらいなら、エリートの夫(ほとんど同じ大学出身者)を支える優雅な専業主婦生活、という道を選んでしまう。そして、年賀状等には誇らしげに「子供がピアノの発表会で云々」と子供のことばかり書いてくる(写真だけなら別に腹は立たないが、子供自慢のコメントは物心身のあらゆる犠牲を払い、体外受精を5回やっても妊娠できない人間にあまりに思いやりがないと気づいてほしい)。

つまり、仕事をするかぎり、会社、肩書き、仕事の内容等で勝ち負けが判断されてしまうので、負けそうだと思ったら、その勝負自体に意味がなくなるような価値観の生き方(専業主婦)の方にシフトするということだ。つまり、勝負から降りてしまうのだ。

日本では、社会保障や男女の役割分担意識等、あらゆる制度・環境が、働く女性に不利にできているから、女性が勝負を挑んでも、たいてい「負け」てしまう。
酒井順子氏のいう負け犬とは、「しかし、だからといって、勝負を降りたりしないわよ。堂々と負けるわよ」という気概のある生き方を選んだ女性のことをさしているんだと思う。

宮尾本・平家物語

今年の大河の原作というので、年末年始に全4巻を読んだ。

といっても義経はあまり出てこない。
弁慶との出会いの場面もなく、第4巻でいきなり弁慶が1シーンだけ出てきたりする。
別途「義経」という小説もNHK出版から出るらしい。

以下、思いつくままに。
1.清盛が、権謀術数家というよりは、人情に厚く、同族・友達思いで、強運による栄華を彼らとshareしているうちにああなった人物、という描き方をされていたこと。
有名な「頼朝の首をわが墓前に供えよ」という遺言も、一族を発奮させるための時子の捏造であったという解釈が、女性作家らしく斬新だった。
2.平家の血筋を絶やさぬため、二位の尼(時子)と西海に沈んだのは、安徳天皇でなく、異腹の弟守貞親王で、安徳天皇は守貞親王を装って生き延びた。
3.ドラマではいつもすごく美化されている、建礼門院徳子が、わりとボーっとしたあまり賢いとはいえない人物に描かれているのも新鮮だった。
4.木曽義仲がものすごい野蛮人、uncivilized personとして描かれているが、木曽は当時信州の一部、信州人ってやっぱり歴史的にこんなものなのか?と思った。
5.お徳という狂言回し的に使える人物が出てくる。これを大河でナレーションも兼ねて白石加代子がやるのが一番の楽しみ。
6.でも、なぜ肝心な大原御幸がカットされているのだろう。最後の方で作者が息切れしてしまったとしか思えない。これが平家の白眉と思うのに。
7.知盛の人間的魅力をもっと描いてほしかった。個人的には木下順二『子午線の祀り』の知盛が大好き。1999年に野村萬斎(同じ高校の後輩。姉上が同学年で隣のクラスだったので、父兄会で万作氏をよくみた)が新国立で演じた時、「見るべきほどのものは見つ」という科白に鳥肌がたった。
8.敦盛と熊谷直実のエピソードももう少し詳しく書いてほしかった。私は名前が似ているので、昔からこの場面には執着がある。ちなみに、通信販売等で「名前の漢字を教えてください」と電話で聞かれるたび、いつも「敦盛の敦です」といっているのだが、わかる人はめったにいないのが非常に嘆かわしい。最近信長がドラマに出るたびに舞っている「人間五十年下天(化転ともいう)のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て滅さぬもののあるべきか」は幸若舞(司馬遼太郎は「謡曲」と誤記しているが)『敦盛』だし、現に「敦盛をひとさし」なんて科白もあるのに。「新平家物語」では勘九郎がやっていたが、今回は誰がやるのだろう。
9.電車のキセルのことを薩摩守忠度から「薩摩守を決め込む」といったりしたが、もう死語になっているようなのは残念(斬り?!)。でも、西に落ちる前に俊成に和歌を託したというエピソードには毎度泣ける(『新平家物語』では中尾彬がやっていたのよね)
10.滝口入道と横笛のエピソードは、20年前嵯峨野の滝口寺に行ったとき、えらく感動して、入道の「剃るまでは恨みしかども梓弓、まことの道に入るぞうれしき」という歌を絵皿に描いたりしたな(今もリビングに飾ってある)と思い出した。
11.義経は義朝の八男だが、叔父鎮西八郎為朝(滝沢馬琴の名作で、三島由紀夫が歌舞伎にした「椿説弓張月」の主人公)既に八郎を名乗っているので、九郎にしたとこれで初めて知った。

それにしても、あの、親子兄弟で殺し合う時代を、巧みな権謀・裏切りで泳ぎきった後白河法皇のあの節操のない政治力、あれこそ現在の私が最も見習うべきものなのだろう、とわかってはいるのだが…。

【おまけ】
大河の義経と静といえば、
『義経記』の尾上菊五郎:冨司純子(これが縁で結婚)
『新平家物語』の志垣太郎
『草燃える』(1979年)の国広富之:友里千賀子(『おていちゃん』ヒロイン。朝ドラのヒロインは一度は大河で使ってやるという暗黙の了解があるらしい(今回の静も『てるてる家族』の石原さとみ、中越典子も建礼門院役で出ている。「新選組!」おその役の小西美帆もそのせいだろう)が、このキャスティングはあんまりだという声が高かった)。源義時役で松平健がブレイクした作品でもある。その恋人で大場景親(加藤武)の娘・茜が松坂景子。最初は伊東祐親(まだブレイクしていない滝沢栄)の思われ人で頼朝との確執の理由として設定されている。
当時はビデオなど自宅になかったから、修学旅行中に困ったことを覚えている。
『武蔵坊弁慶』(かつてNHKでは水曜日も歴史ドラマをやっていた)の川野太郎。
弁慶は中村吉右衛門で、その妻が荻野目慶子、娘が高橋かおりで、那須与一の標的になるという設定。荻野目も当時は清純派だったが、男を死に追いやるくらいの凄みが女優の仕事にはプラスに働くこともあると思う。高橋も後に三田村邦彦との不倫報道があってちょっとびっくりした。

『炎立つ』の野村宏伸
などがあるが、歴史的には『炎立つ』のちょっと軽薄な義経像が最も実像に近いらしい。

あと、ドラマになると、主人公の女関係を奇麗事にしすぎるのがいや。
跡継ぎがなければ滅びるのが武家社会なのだから、また、息子もいつ死ぬかわからない乱世なのだから、たくさんの子供を作るために蓄妾するのは当時の常識であり棟梁の義務。それを、現代の一夫一婦制イデオロギーから合理化するための不自然な設定を作ったりするのがどうも苛つく。

「常盤御前判決」という裁判例は今考えるとものすごいジェンダーバイアスむき出しの考え方だ。やっぱり司法界ってジェンダー的には遅れている。

担保法

今日は1月4日だが、第1時限目から担保法の講義があった。

担保法は昨年度に続き、2回目。
昨年度は、初めて教壇に立つ上に、改正民法が公布はされたが施行はまだという、新法と旧法を両方教えなければならないという大変な課題に挑戦することになった。
その上小テストを毎回やって、全部採点して、学生ごとにコメント(あなたは保証は理解できているが、抵当権をもう少し復習するように、等)を書いて最後の講義までに全部返したので、結構タフであった。
また、銀行取引約定書を初めとする契約書式や新聞紙上の競売物権情報等を用いた授業を去年に引き続き、今年も行っている。

とくに、任意規定の場合、特約による変更は可能であり、最も周到な債権者である銀行の用いている書式では、債権者に不利な民法上の任意規定を全て特約で変更するようになっていることを、それぞれの該当条文を示して解説したりする。
大学の授業ではあまりとりあげられないが、実務上は、任意規定か強行規定かの区別は大変重要。なぜなら、前者なら特約で排除できるから(といってもあまり一方的にやると消費者保護の観点から無効にされるので、さじ加減も必要だが)。
また、債権管理という観点は大学の民法の授業からは抜け落ちている気がするが、実務では非常に重要。せっかく債権があってもそれが時効等により消滅したりしたら、何の意味もなくなるから。連帯債務より連帯保証の方が好んで用いられるのは、時効中断しやすいからだ、というような話を講義でも行ったりしている。

これらにとどまらず、銀行法務を長年やってきた経験からは、大学で習う民法と実務で使う民法の間には懸隔がある。それをこのような講義方法で埋めようと努力している。

ただ、限られた時間内で、基本を押さえつつ、実務的な話をするというのは、至難の業。
でも、法科大学院でもこのモットーを貫いていこうと思う。
新司法試験の問題を見たら、実際の契約書等を使った問題になっており、自分のやり方は正しかったのだと大いに自負を感じた。


今日は日にちが日にちだから欠席者が多いかと思ったがそうでもなかった。

レポートは、昨年は、自分の家や下宿のの不動産登記簿謄本を取ってそれを分析するという課題を出したが、今年は、受講生の多くが昨年1年生の社ゼミの授業で同じ課題を既にやっているので、違うものにした。

昨年に引き続き、短期賃借権、滌除、執行妨害を扱った、
『ナニワ金融道』青木雄二
『理由』宮部みゆき
『女たちのジハード』篠田節子

の該当部分を配り、新法と旧法を対照させながら、法的論点を解説させるというもの。

漫画や文学作品を使った方がより身近に法律がどのように適用されるか感じることができる(少なくとも私はそうだった)と思うからだ。

今日提出させたのだが、どれも非常に出来が良くてうれしい。
1年生の社ゼミのとき、「この子は大丈夫か」と思った学生も、前期の契約法でどんどん力をつけてきて(毎回小テストをやるから手に取るようにわかる)、今では見違えるようなレポートを書くようになってくれたのが、本当に教師冥利に尽きる喜びだ。

こういう幸福があるから、どんなに辛いことがあっても教師はやめられないな、と思う。

(久しぶり)