書呆子のブログ -80ページ目

ランカウイ島のクロ


私たちが初めて会ってから10年目だったので、記念に旅行に行った。

行き先はランカウイ島、久しぶりにダイビングを楽しんだ。

バンガロー型の部屋だったが、滞在中何回か野良猫がベランダに来て、入れてやって「クロ」と呼んで遊んだ。
やんちゃで、お湯を沸かしたりしていると、飛びついてくるのが危なくてしょうがなかった。

大津波で、命を落としたのではないか、と心配している。

今回被害にあった場所は、いずれもダイビングに訪れたところばかり。
他人事でないなと、犠牲者の方々に哀悼の意を表します。

お正月・護国寺・忠臣蔵


正月は、旅行に行くこともあるが、私が大學教師になり、収入が激減(その前の外資系コンサルに比べ3分の2になった)してからは、高い正月の旅行は避け、家にいることが多い。

家で迎える正月は、夫がおせち料理や雑煮を作ってくれる。

今年も、(夫は京都出身なので)京都風の紅白なます(結婚して初めて食べた)、ごぼうの胡麻和え、きんとん等、三段重にいっぱいのおせちと、しょうゆ味の雑煮を作ってくれました。

買出しは、去年まではアメ横に自転車で行っていたが、初めて築地に行ってみた。

初詣は近所の護国寺に。

護国寺といえば、綱吉の母桂昌院が発願した由緒ある寺。
桂昌院は、前クール「大奥第一章」で、星野真里演ずるお玉が後の桂昌院なのだが、ドラマの始まりから、お万の方との篤い主従関係から、どうやってこのお玉が綱吉を産む設定にもっていくのだろう、と疑問だった。しかし、最終回を見ると、公家の勢力の伸張を恐れた徳川方の配慮により、お万の方の生んだ綱吉の生母をはじめからお玉とし、お玉は「命に代えてもこの若君を守る」と誓う、ということになっていた。つまり、生さぬ仲だからこそ、息子を命がけで守という春日の局の生き様をお玉が引き継いでゆく、という第三部(があるかどうかわからないが)につながるようなおわりになっていて、うまいな、と思った。
しかし、前作の「大奥」を含め、江戸城の天守閣(1607年に作られ、1657年明暦の大火で焼失)がいつの時代でも出てくるし(といっても姫路城の映像だが)、仏門の尼だったお万が何の抵抗もなくロザリオを身につける、等演出の難はたくさん気になった。

前作「大奥」の主人公だった天璋院篤姫(菅野美穂)は、大奥総取締滝山(浅野ゆう子)と対立するという設定だったが、1990年の大河ドラマ「翔ぶがごとく」では、仲の良い主従関係(富司純子と樹木希林)で、島津斉彬(加山雄三)の命を受けて大奥入りするもの、という設定だった。
宮尾登美子の「天璋院篤姫」を読むと、大変英明な女性だったらしい。

桂昌院といえば、年末ドラマ「イヌと呼ばれた男」。堤真一が大石内蔵助役だったが、映像では珍しく、浅野内匠頭(陣内孝則)が馬鹿殿として描かれていたのが胸がすく思い。
史実では、てんかん気質の困った主君だったようで、井上ひさし「不忠臣蔵」つかこうへい「つか版忠臣蔵」等が面白い。
とくに、丸谷才一「忠臣蔵とはなにか」では、討ち入りは御霊信仰(恨みを抱いて死んだ感情の激しい人物の霊を慰めないと祟る、という菅原道真以来の信仰)に基づく行動だった、という分析がものすごく面白かった(大學1年のとき、丸谷氏は東大の非常勤「ユリシーズ」という講義で、この話ばかりしていた)

4日の一限から講義があったので、3日の午後にはもう東京を発つ慌しい正月でした。

夫がバスターミナルまで見送りに来てくれたが、同じバスに担保法を取っている2年生が乗っていた。

亡国のイージス

が、今度真田広之で映画化されるらしい。
仙石伍長の役だが、原作では、主人公は如月行で、仙石はそれを助けるわりとおじさんキャラだったのでちょっと意外だった。

原作は大変傑作と思うが、ずっと気になっていたのは、1996年、ショーン・コネリーとニコラス・ケイジが主演した映画The Rockに似ているということだ。
これって、誰も指摘していないのだろうか。もししていたらぜひご教示いただきたい。

○どちらも、軍隊(自衛隊は軍隊ではないが)の上官が、部下を思うあまり、国家に反逆する。
○どちらも、洋上に立てこもる(亡国は戦艦、映画の方はアルカトラズ島)
○どちらも、若者と年上の二人のコンビが決死の覚悟で反逆者と戦う。
○どちらも、反逆者のリーダーは途中で非を認めて自決する。
○どちらも、反逆者に便乗して別の目的を果たそうとする悪者がおり、最後は高所から落下する際鋭いポール様のものに、串刺し状になって死ぬ。

もちろん、これらの類似性だけでは到底盗作とはいえないし、法的には問題ない。また、亡国の方は、反逆者リーダーと若者(実際の父子関係には恵まれずそこから悲劇が生まれるという設定)の間に父子のような交流ができたり、デビュー作で江戸川乱歩賞受賞の「トゥウェルブYO]でも父子関係にこだわった作者の系譜を引いている等の深みがある。

でも、出版(1999年)に3年先立つこの映画から何らかのインスピレーションを得ているのは確かなのだろう(全部偶然というのは難しかろう)から、そのことはむしろきちんと公言した方が、創作者としては潔いのではないかと思うが、いかがだろうか。