人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史 -2ページ目

人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史

<人生100年時代の後半をちゃんと生きる!>ちょっと恥ずかしいですが、これまでの人生経験を「自分史」で振り返ってみることにしてみました。このブログを書く事で、私にどのような変化がおきるのか?試してみようと思います!どうぞお付き合いください。

 

自分史の続きを書く前に・・・。

 

2022年、まさかこの時代に本当に戦争が

起きてしまうなんて思ってもみませんでした。

私に今、何かできること・・・。

まずは、わずかでも寄付ができる。

ということでした。

 

色々な寄付先がある中
寄付金が正しく使われる団体への寄付を
見極める事も重要ですよね。
寄付金が武器購入の資金に
なってしまう事のないように・・・。

私の場合は、
人道支援や医療支援に限定して
活動している以下の団の中から選択し
寄付をさせていただきましたお願い

・UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
・日本ユニセフ協会
・WFP(世界食糧計画)
・日本赤十字社
・セーブ・ザ・チルドレン
・アドラ・ジャパン
・難民を助ける会
・ピースウィンズ・ジャパン
・国境なき医師団

etc.

 

色々な支援の仕方や、
お考えがあると思いますが、

 

そんな中、私と同じように

何かできないかな・・・
と悩まれている方もいらっしゃるかと
存じましたので、自分史の前に、

冒頭で、ふれさせていただきましたにっこり

 

 

 ▼ここからは、自分史の続きです▼

 

離婚が成立して、一人暮らしで

再出発するための引っ越しも完了ニコ

 

出向先から本社に戻ったものの、

一度も自社で仕事をしたことがなく、

新入社員のような状態がつづき、

自社なのにイマイチなじめず・・・。

 

思い切って、転職をすることにしましたおねがい

 

 

転職先は、

経験値のあるCADオペレーターの

仕事でも良かったのですが、

 

6年間携わってみて感じたのが

出向先での仕事だったこともあり、

 

汎用性のない受け身の

ルーチンワークのお仕事で、

他での仕事に応用することが難しい。

 

この先、スキルUPをして、

お仕事の経験値をあげたり、

対応力をあげたり、

給料や立場をUPさせたり・・・

色々な面で、行き詰まりを感じる。

 

といったことでした。

 

そこで、今度は

汎用性のある「事務職」で転職するのが

経験も積めて、良いのではないか?

と考えはじめんたんです。

 

とはいえ、事務職の経験がなかった私は、

いきなり正社員での転職は

難しいと考えました。

 

そこで、まずは研修制度の充実した

派遣会社に登録をして、

そこで研修を受けてから、

事務職に転職しようと

派遣会社の登録会場に

面談に向かいましたニコ

 

 

ところが・・・

 

とても甘い考えだと気づかされました。

 

派遣会社の登録会場の受付で

担当してくださった男性の方が

厳しくも、とても有難い

アドバイスをくださったんです真顔

 

 

「新卒ではなく、経験のない状態で

事務職につく事は難しいですよビックリマーク

 

「派遣は、即戦力が求められます。

事務職は特に人気がある職種なので

20代で経験のない方は難しいです。」

 

「別の業種で、正社員で

転職を探されたほうが良いです。」

 

真顔 甘々でした。

   事務職での転職は難しい・・・。

 

そこで早々に、

事務職での転職と派遣の登録は諦め、

別の職種で考えることにしました。

 

この時の私は、

汎用性があって、応用ができる仕事。

で転職できれば良いと考えていました。

 

志望動機が曖昧で、

何をやりたいのか明確でない状態。

このような甘い考えでの

転職活動でしたから、

 

当然のことながら書類選考の段階で

数社、落とされることが続きました真顔

 

 

離婚して再出発。色々とリセットしたくて

自分の事しか考えていなかったのです。

 

転職先の会社で、どんなことに貢献でき、

どんな活躍が期待できるのかはてなマーク

考える事ができていませんでした。

 

また、転職対策なども

全く何もしていませんでした。

 

書類選考で落とされてから、

転職アドバイスの本を読んでみるなどして、

ようやく真剣に転職について

向き合えるようになりました。

 

そもそも、何故、今、転職したいのかはてなマーク

そこからもう一度、考え直してみました。

 

そこで出た結論は、

改めて「転職するビックリマーク」でした。

今の会社では、この先、どうしても

希望を感じる事ができなかったんです。

 

 

では、私は新しい会社で、

 

・何ができるかはてなマーク

・どんなスキルを活かせそうかはてなマーク

・将来、どんなことをやりたいのかはてなマーク

・会社に求める譲れない条件ははてなマーク

 

などを考え直してみました。

 

CAD以外の実務経験が乏しい

当時の私には、

とても難しく感じていました。

 

しばらく悩みながら転職先を探す日々・・・。

 

そんな中、目に飛び込んできたのが

電話営業」の仕事でした。

 

右矢印新規事務所の立ち上げメンバー

右矢印未経験OK

右矢印​​​​​​​ジャンルが「アロマ・リフレクソロジー」

右矢印​​​​​​​通信&通学の受講生募集

右矢印​​​​​​​基本給+歩合給

 

正直、営業はやりたくない仕事の1つでした。

でも、それ以外は魅力に感じたんですニコニコ

 

アロマセラピーとカウンセリングを

ちょうど学んでいましたので

知識を活かせると感じました。

 

また、私の中に

ほんの少しでも、

教育にかかわりのある仕事がしたい。

といった思いがあることに

気づく事もできました。

 

家が貧しくて大学進学を諦めたものの

学費が無料の専門校への進学。

新卒の就活でも、学歴のせいで

魅力に感じる会社に

応募すらできずにいました。

 

だから、「学歴」が影響しない

「実力勝負」の職種を選択したい。

とも感じていることにも気づけました。

 

そう考えてみると、

 

こちらの会社の「電話営業」は、

基本給+歩合給制なので、

成果をあげられれば

収入も増やせそうですし、

 

新規事務所の立ち上げメンバーなら

学歴に左右されず、転職組でも、

会社の中でのポジションも、

頑張れば掴める可能性が

高いようにも感じられました。

 

よし!営業はちょっと怖いけど

採用試験に応募してみよう!

 

思い切って応募してみました。

 

すると、即、採用!

が決まりましたおねがい

 

そうして無事に、20代後半に

転職することができました。

 

ここから、「仕事」において

大きく人生が動き出しました照れ

 

 

今思えば、派遣登録を

キッパリ断ってくださり、

正社員での転職活動を

勧めてくださった受付の男性の方に

感謝しております。

 

そもそも「事務職」は、

私には合っていなかったことにも

後から気づけましたしニコニコ

 

 

続きはまた次回・・・。

不定期の更新ですが、

これからもよろしくお願いしますおねがい

 

2022年あけましておめでとうございます晴れ

今年も自分史をボチボチ書いていきます。

これからも、

どうぞよろしくお願いいたしますニコニコ

 

 

前回のブログ(昨年12月)は

ちょっと悲しいエピソードの途中でした。

 

その続きとなると、新年にはそぐわない

お話しかもしれませんが・・・

「自分史」の続きということで、

ご理解くださいニコ

 

****************************

 

今だからこそ、

こんな表現ができるのですがにっこり

 

ちょっとしたエンターテイメントかはてなマーク

と、思えるくらいビックリの連続でした。

 

新年ですし、どうぞ暗くならずに

驚いて、笑ってやってくださいにっこり

 

****************************

 

 

離婚の手続きに入る前に、夫と

きちんと話し合いをしようとしましたが、

 

借金をそのまま残し、

身の回りの荷物以外を全て残して

夫は実家に帰ってしまいましたガーン

(逃げられたあせる

 

連絡がとれないまま時間が過ぎ・・・
 

しばらくすると返済催促の

電話が入るようになり、その対応に、

ストレスが増していきましたショボーン

 

仕方がないので、

夫の実家を直接訪ねましたが、

それでも話し合いに応じませんでした。

 

 

借金のこともあり、困っていたので

このままズルズルと時間が

過ぎていってしまうことに耐えられず、
 

やむを得ず、家庭裁判所から

離婚調停に応じるように

命令してもらいました真顔

 

それでも、夫は引きこもったまま・・・

 

 

 

そしたらなんと、、

 

本人ではなく、

義母が話し合いにきました叫び

 

 

話し合いになんてならず汗汗

 

「あなた(私)が悪いビックリマーク

「あなた(私)のせいで、

息子がダメになってしまったむかっ

 

と、義母からの怒りの言葉を

浴びせられただけで、話しは終わりました。

 

 

えっ、自分の事なのに

わざわざ母親が出てくるのはてなマークはてなマーク

 

呆れて、ものが言えない!

とは、このことでしたアセアセ

 

 

そして、しばらくすると、

郵送で離婚届が送られてきましたガーン

 

結局、まともな話し合いもないまま、

サインと印鑑を押して、

私のほうで、役所に提出。

 

すぐに離婚が成立しました。

 

 

家賃の負担も大きいので

早く引き払って、一人暮らし用の家に

引っ越す必要がありました。

 

夫の荷物を実家に送らなければ・・・

と、荷造りを始めていました。

 

 

そしたら今度は、

 

元義母と、元夫が、軽トラで

家にやってきました。

 

いきなり家に上がり込みびっくり

(元夫が鍵を持ったままだった)

 

次々に、荷物をトラックに

運んでいきました。

 

この時、元夫は、

ブツブツ文句を言っていましたゲロー

 

 

結局、しばらく一人で

家賃を払いながら引っ越し先を探し、

 

 

なんとか、やり直しの

「一人暮らし」がスタートしました真顔

 

元夫とは同じ職場だったこともあり、

離婚後、早々に退職することにしました。

 

 

退職日が決まると、職場仲間からは、

 

「おめでたはてなマーク

「子供ができたのはてなマーク

 

なんて聞かれてしまいましたが、

何も言わず、(多分ひきつった)

笑顔で退職しましたグラサン

 

 

私は、別の会社に出向していたので、

このタイミングで、自分の会社で初めて

仕事をすることになりました。

 

自社の先輩の指示で仕事をする。

こんなことも、当時の私にとっては

当たり前ではありませんでしたニコ

 

出向先での仕事よりも

自社での仕事は居心地が悪く、

正直、なかなかなじめませんでした。

 

 

何年も出向先にいたので、

誰も私の事を知らず、社内での

キャリアをつめておらず、

まるで新入社員のような

状態だったんです。

 

 

それでも、ようやく一人暮らしや

自社での仕事のリズムがでてきました。

 

 

そんな時に、郵便の転送で

ハガキが届きましたメール

 

 

元、義母からでした不安

 

 

ビッチリ文字が印刷されていました。

 

 

あなたへ渡した財産一覧

 

TV、食器棚、冷蔵庫、洗濯機・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

etc.

 

家電や家具などの生活品が

ズラリと書かれていました。

 

これらは全て、

元々私が買ったものばかりでした。

元夫が残してくれたのは、

借金だけ・・・無気力・・・ですネガティブ

 

あと、直筆で、

「あなたのせいで息子がダメになった。」

 

と、書かれていました驚き

 

 

人生で一番、

 

ぞっ~~滝汗 としたハガキは、

自分史の中でこのハガキでした。

 

怖いびっくりマーク怖すぎるびっくりマーク

もう離婚も成立しているのに・・・。

 

元義母には、

色んな意図があったかと思いますが、

よほど悔しかったのだと思います。

 

・・・・その後は・・・・

何事もなく時間が過ぎていきました。

 

後で、元職場の同僚に聞いた噂話では、

 

私が出向先から

退職(自社に戻った)あと、

元夫もすぐに会社を辞めて

しまったそうです。

 

その後のことは、存じません汗うさぎ

 

 

つくづく、

離婚して良かった!!

心からそう思えました。

 

お祝いしてくださった皆様には

本当に申し訳なかったのですが、

 

今、振り返ってみても

改めて、

早めに離婚できて

よかったですニコニコ

 

 

そして、いよいよ20代後半、

人生の転換期を迎えることになります。

 

引き続き、

お楽しみいただけましたら幸いですニコニコ

 

 

このブログは「自分史」です。

過去の経験や体験を振り返って

書いています。

 

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家庭が貧しかったので、

 

成人して結婚してからは、

もう「お金」で

苦労したくなかったのですが悲しい

 

残念ながら、もうしばらく

お金の苦労を手放すことが

できませんでしたネガティブ

 

 

 

 

ある日、

銀行からお金を引き出そうと

財布の中にあるカードを見ると、

 

アレはてなマークカードが無いあせる

 

ということに気づき、

失くしてしまった・・・不安

と凄く不安になってしまったんです。

 

 

どこで落としたんだろう?

失くしてしまったんだろう?

 

 

でも最近、カードを触ってなかったし

何処でなくしてしまったのか・・・

見当がつきませんでした無気力

 

 

 

急いで

銀行の預金通帳を確認したところ

知らぬ間に数十万円、

引き出されていましたガーン

 

 

 

 

生活費がピンチです!

 

すぐに夫に報告して、謝りました。

 

「ゴメンナサイ。

私の銀行のカードを盗まれて

しまったみたいで、

今月の生活費が出せないぐすん

 

 

すると夫からは

その場での返事はなく、

 

ばらくたってから・・・

 

「大丈夫だよ。

今月は俺がお金出すから。」

 

と、言ってくれたんです。

 

申し訳なさと同時に、

今月は夫が生活費をだしてくれる…

と、少しホッとした気持ちにもなりました。

 

 

 

 

それからまた、しばらく経った頃、

なぜか、

やけに冷静になっていったんです。

 

 

なんだか嫌~な感覚を覚えて、

急に、なんだか嫌~な想像と考えが

頭に鮮明に浮かんできましたうーん

 

 

 

なんか、やっぱり変だな・・・。

 

 

私は、カードを使っていないし

落とした場所も思い浮かばないニコ

それに暗証番号って、

そんなに、すぐにわかるのかな?

 

引き出された金額も中途半端だし・・・。

 

 

もしかして・・・と、、夫を

 

疑う」のと同時に、

身体中に「」回ったような

気持ち悪い感覚になり、

吐き気がしてきたんですショック

 

 

そこで、

 

何も聞かずに過ごすことはできず、

思いきって、夫に確認してみました。

 

「ごめん!

 

もしかしてなんだけど・・・あなたが

私の財布からカードを抜いて

銀行からお金を引き出したはてなマーク

 

 

すると、

 

そうだよ。

 

と、自分がカードを盗んで

現金を引き出していたことを

アッサリと認めたんです驚き

 

正直、怖かったです。

よくも平気で人を騙せるな・・・と。

 

 

この瞬間、

 

「この人は信用できない。」

「もう一緒にいられない。」

 

離婚する!と、

決断することができました真顔

 

 

 

そこからがまた、大変でしたネガティブ

 

 

続きは次回・・・。

前回のブログ記事公開から

2か月が過ぎ、気づけば

2021年の師走を迎えていましたあせる

 

自分史ブログの続きを書く前に…

 

2か月の間に、

重なる時は重なる」といった

状況が続いてしまいましたので

記事にしておこうと思いますニコ

 

 

身障者の母が、高齢ということもあり、

賃貸住宅を退去するように

家主さんから通達を受けたんです。

 

 

猶予期間は2週間程度びっくり

 

あまりに突然で、急いで

介護施設を探さなければならず、

バタつきましたあせるあせる

 

弟が手配してくれたので

とても助かったのですが、

運よく見つかったから良かったものの

高齢になると、賃貸には住めなくなる

現実を目の当たりにしました。

 

 

母が介護施設に入って

少し落ち着いてきた頃・・・

 

幼少期にお世話になった

叔母(母の妹)が他界しましたぐすん

 

 

お葬式に参列し、見送った後

しばらくすると今度は、

 

母が腎不全となり

危篤状態に陥り、緊急入院ガーン

 

同時期に、私のパートナーの

お父様も危篤状態になり入院ぐすん

 

 

その後、母は奇跡的に

少しずつ回復して退院し、

介護施設に戻りました。

とはいえ、介護度が上がって、

危険な状態には変わりありません。

 

パートナーのお父様も

危篤状態からは脱したものの

退院することはできず、

 

医師からも「死」を待つのみの

状態であると宣告され、

終活を勧められて、今、その日を

迎えるための準備をしているところです。

 

 

寂しいことではありますが、

 

それでも、「死」を迎える準備と

心構えの時間をいただけたことを

ありがたく思い、

来年を迎えようと思っていますニコ

 

 

今は、母との時間を、

より大事にしていきたい・・・

そう思っています。

 

こういった状況も、

あとから振り返ったときに

「自分史」の1ページになりますので、

ブログ記事に残すことにしました。

 

 

 

随分と前置きが長くなりましたあせる

 

また「自分史ブログ」の

続きを書いていきたいと思いますニコ

 

 

マイペースで書いていきますので

引き続き、お付き合いくださいチューリップ黄

 

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▼ 前回のブログ記事はこちら ▼

 

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結婚式当日、嬉しい気持ちになれず

「違和感」を覚えた理由は、

結婚後、すぐにわかりました。

 

 

「お金」で

苦労することになったからです。

 

 

 

当時は、

「ビデオレンタル」の時代でしたが

返却期限を守れず、

気づいたら、延滞料金が

凄いことになっていましたえーん

 

私も働いていたので、

それぞれ生活費を折半することに

したのですが、

 

給料がいくらなのかを教えてもらえず、

 

結局、家賃などの生活費の負担が

私のほうに大きく偏っていきました。

 

 

そのことを話し合おうとすると、

「暴力」に訴えてきて、

近所の人が警察を呼ぶ事態にもなり、

周りにも迷惑をかけてしまいましたショボーン

 

 

これだけでも十分に

「離婚」の理由になると思いますが、

私が「離婚」を決断にした

事件がおきてしまったんです悲しい

 

 

続きは次回・・・。

 

 

※この記事は「自分史」です。

過去の経験・体験を

ブログ記事にしていますニコニコ

このブログは自分史です。

経験や体験を振り返って書いていますおねがい

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今だから言えること・・・。

あなたにも沢山あると思います。

今でも言えない事も・・・

ずっと言えないことだって、、

たくさんあることでしょうニコ

 

 

私の場合、当時、

結婚式・披露宴をお祝いしてくださった方

お忙しい中、、、また遠方より

わざわざ来てくださった方の

温かいお気持ちを考えると、

簡単に伝えられることではなく

書いて良いものか??悩みました。

 

ですが、、随分と時間も流れ、

少し寂しい事ではありますが、

当時の事を知る人も

少なくなってきたので

「自分史」の1ページとして

正直に書いてみることにしてみましたクローバー

 

 

 

結婚式&披露宴の当日、

 

ウエディングドレスに着替えて

いよいよ新郎新婦の入場を迎えましたニコニコ

 

扉が開いて、会場に入ってみると・・・

 

 

不思議な事に、(演出などではなく)

会場に靄(もや)がかかっているようで

グレーががって、目の前が見えづらいと

感じてしまったのですガーン

 

どうしたんだろう・・・。

急に、何とも言えない不安が

強くなっていきました。

 

ひな壇で、お辞儀をして

席に座った時には、

 

なぜか、

違和感」しかありませんでした。

 

 

時間の経過とともに

来てくださった方に、

本当に申し訳ない・・・ショボーン

 

そんな気持ちも押し寄せてきて、

悲しい気持ちにもなりました。

 

嬉しさや喜び、幸せを感じることはなく、

 

「なぜなんだろう・・・。」といった

疑問もわいてきてしまいました。

 

 

 

緊張しているからなのかもしれない。

これから生活が変わるわけだし

不安に感じても仕方のないこと。

 

そう、思い直して、

来てくださった方のお祝いの言葉を

かみしめるようにしながら、

前を見て過ごすように努力しました。

 

 

 

父が他界して、

喪が明けてからの結婚式。

 

私の家族や親せきの皆が、

「父が生きていたら・・・。」

「父に娘のウエディングドレス姿を

みせてあげたかった」と、

涙を流していました。

 

両親への感謝の手紙や

花束贈呈など、感動的な結婚式で

締めくくりを迎え、違和感を感じながらも

 

無事、結婚式・披露宴を終える事ができました。

 

 

結婚式の後は、船上での

二次会パーティーがあり、

会社の同僚や知人、友人など、

沢山の人が、お祝いに

来てくださっていましたニコ

 

賑やかに場を盛り上げてくださり、

楽しい雰囲気で、二次会も無事に終え、

新しい生活がスタートしました。

 

 

無意識が、察知してたのでしょうかはてなマーク

 

今思い返すと、

結婚式の当日、違和感を感じた理由が

わかったような気がします。

 

 

引き続き、お付き合いくださいニコニコ