人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史 -3ページ目

人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史

これまでの人生経験を「自分史」で振り返ってみることにしてみました。このブログを書く事で、私にどのような変化がおきるのか?試してみようと思います!どうぞお付き合いください(^^)/

このブログは自分史です。

過去の経験・体験を綴っていますニコニコ

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父に婚約者を紹介できたものの、

父はその後すぐに肝臓がんで他界。

婚約者も父のお葬式に参列してくれました。

 

結婚は父の喪が明けてからとなり、

1年を過ぎてから、

ゆっくり進めることにしました。

 

父を亡くしてしばらくは、

”もっと話しておけば良かった”

”あの時こうしておけば良かった”

などの後悔が続き、

 

 

電車に乗っている時でも

急に涙がでてきたりして、

いたたまれない気持ちを

抱えて過ごしていましたぐすん

 

 

一人で考え続けてしまうと、

ますます落ちこんでしまうので、

 

平日は、仕事やバレエのお稽古に

出来る限り集中するようにしながら

過ごすようにしていました。

 

この時は、仕事や習い事が

私の助けになってくれました。

 

できるだけ忙しく過ごしているうちに

時間の経過と共に、気持ちが少しずつ

落ち着いてきたのを覚えています。

 

 

 

父の一周忌が過ぎてから

中断していた結婚式の準備も

進めることにしました。

 

結婚式はこじんまりと、親戚や友人など

身近な人だけを招いて行うことにしました。

 

当時、私が横浜に住んでいたこともあり

横浜の会場で式を挙げて、

その後、二次会で会社関係の人を招いて、

パーティーをすることが決まりました。

 

 

式場も、招待する人も決まり、

結婚式の当日を迎えましたお願い

 

式は順調に進み、

キャンドルサービスを終え、

両親への感謝の手紙・・・。

 

 

母や妹弟、親戚の皆さんは、

父の事を思い出して、

皆、涙を流していました。

 

感動の結婚式。

この日を迎えられて

幸せだったはずなのに・・・。

 

実は、結婚式会場に到着してから

私の中で何か・・・違和感があったのですガーン

 

続きは次回・・・。

 

 

 

 

父のお葬式も無事に終わり、

父の持ち物などを

1つずつ整理することに

なりました真顔

 

こういった事でもない限り、

人の手帳などを見る事なんて

ありませんよね・・・。

 

 

手帳には、父の細やかな

ところが滲み出ていましたチューリップ赤

 

こまめにメモがされていて、

時々、一言日記のような

走り書きもありました。

 

ページをめくっていくと

色々な思い出が蘇り、

嫌だった出来事も少しずつ

美化されていくような・・・

なんだか不思議な気分でした。

 

 

そして、

父の洋服の片付けている時、

母が何度も口にした言葉が

悲しみを深くしました。

 

「せっかく、沙紀ちゃんの

結婚式に着ていくために

スーツを買ったのに、

結局、着れんかったなぁぐすん

 

新しく買ったスーツを

父は、一度も着ることなく、

旅立ってしまったことを思うと

なんとも言えない気持ちになります。

 

 

書類の整理や、

色々な手続きをしていると、

ある日、生命保険のおばさんが

訪ねてきました。

 

妹が、生命保険に入っていたので

更新手続きの話しと、

父が他界したので、

ついでのお見舞いの訪問でした。

 

 

生命保険のおばさんは、

父の担当でもあり、妹の生命保険の

担当でもありました。

 

 

父は生前、

私が専門校を卒業して

県外へ一人暮らしをする際に、

 

私がお金が足りなくて

困っていることを知って

生命保険を解約して

新社会人スタートのための

生活資金をつくってくれていました。

 

 

○○生命のそのおばさんは、

私に向かって、こんな言葉を

なげかけました。

 

お父さん、残念だったね。

あの時、生命保険を

解約してなかったら、

今頃、お金が

沢山入ってきたのに。

 

薄ら笑いまでして、

嫌みに満ちていた表情を

今でも覚えています。

 

父が亡くなって、

保険金が入って来なくて残念!

などと思うと考えたのでしょうかはてなマーク

 

 

愕然として、

一気に怒りがこみあげてきました。

 

これが、父を亡くしたばかりで

悲しみが癒えていない家族に

かける言葉なのか・・・ショック

 

 

妹には何も伝えませんでしたが、

心の中では、○○生命の保険を

解約して欲しかったです。

 

 

父がどんな想いで

保険を解約したのか…

父の心、気持ちを

踏みにじられたようで

悔しくて仕方がありませんでした。

 

 

この生保おばさんは、

保険の契約が全てで、

それ以外のことは

興味がないのだと知りました。

 

この日をきっかけに、

○○生命は大嫌い、

生保おばさんなんて最悪!

 

絶対に

生命保険なんて

入らない!!

 

そう、思ってしまいました。

 

 

勿論、そんな生保おばさん

ばかりではないことは

頭ではわかっていましたが、

 

生命保険、生保オバサンは

随分と長い間、私にとっては、

最悪のイメージでした。

 

 

昨今のニュースで、

生命保険の契約に関する不利益

などの報道を見るたびに、

このことを思い出してしまいます真顔

 

 

つづく・・・。

このブログは自分史です。

過去の経験&体験などを書いています。

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父が他界し、慌ただしく

お通夜が過ぎていきました。

 

母は身障者で

難しい事がわからないため、

母に頼ることはできませんでした。

 

お通夜やお葬式のための手配や

業者さんとのやりとりは、

長女である私の役割でした。

 

それでも、お葬式に関しては、

伯父が手配してくださっていたので

凄く助かりました。

 

 

当日の流れの打ち合わせが、

淡々と進んでいったのを覚えています。

 

 

喪主は母ですが、

 

ご挨拶(スピーチ)など…

一般的な事が難しいため、

 

参列してくださった方へのスピーチは

最初は、私がさせていただこうと

思っていました。

 

 

でも、よく考えてみると、

父は、生前、長男である弟を

とても可愛がっており、

 

昔の古い考え方の人で、

九州男児、長男ということに

拘りがあったため、

 

私よりも弟のほうが父が喜ぶだろう…

 

ということで、

まだ高校生だった弟が、

最後のご挨拶(スピーチ)を

担当してくれました。

 

 

貧しい家だったので、

現実的な費用を考え、

 

お葬式は、

コンパクトに質素に行う

ことにしました。

 

場所は本家のお墓がある

お寺で行うことになっており、

伯父が手配してくれていました。

 

父は次男なので、分家として、

新しいお墓をつくって納骨を

することになりました。

 

本家とか分家とか・・・お墓なんて、

今まで考えたこともなかったですが、

父が亡くなって、

初めて認識することができました。

 

 

 

今思えば、

 

亡くなった後のことを考える

「準備」が全くできていなかったのは

少し残念だったように思えます。

 

大切な事なのに、ほぼ考える時間もなく

その場で、瞬時に決めなければならず、

とにかく1日が、慌ただしく

過ぎてしまったからです。

 

終活って、亡くなる本人のためにも

家族にとって

大事なことだとも感じました。

 

 

父のお葬式は、思っていたものよりも

とても立派なものになりました。

 

大変ありがたかったことは、

勤めていた会社から、

大きな花輪が届き、

飾ることができたことでした。

 

 

会社って、ありがたいな・・・。

 

たった一人の従業員のために

このようにしてくださるなんて…。

 

感謝の気持ちで

いっぱいになったことを

覚えています。

 

多くの方から、お花をいただいて

飾ることもできました。

 

 

家族だけでは難しかったですが、

 

立派に、きちんと

父を送り出すことができて

本当にありがたかったです。

 

今、思い出してみても

会社が、あの大きな立派な花輪を

送ってくださったことが

救いになったと感じています。

 

こうして、父のお葬式も終わり、

新しいお墓もつくれて納骨もおわり、

 

父の事を思い出して、

ゆっくりと涙する時間ができたと

思っていました。

 

 

でも、このあと、

悔し涙を流すことに

なってしまいました。

 

続きは次回・・・。

 

 

※このブログは「自分史」です。
過去の経験を体験や経験を綴っていますニコ

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父の寿命がいつ尽きるか…

落ち着かない

心配ばかりが募る状況の中、

今日は、母と一緒に

病院に泊まることにしました。

 

眠れない状態ではあっても

少しでも横になったほうが良いので

母と交代で仮眠がとれる部屋で

ウトウトすることにしました。

 

少しずつ

眠さが身体を巡ってきた時でした。

 

母が慌てて、

仮眠室にいた私を呼びにきました。

 

「お父さんが危ないビックリマーク

 

急いで

病室に駆け付けようとしましたが、

脚がしびれて思うように

身体を動かすことができずにいました。

 

母に支えてもらいながら、

なんとか病室にたどり着くと、

医師や看護婦さんが

父を取り囲んでいました。

 

 

妹や弟、そして伯父にも連絡をして、

病院に来るように伝えました。

 

家族は何とか間に合いました。

 

 

その後、あっというまに、

父は息をひきとりました。

 

「ご臨終です。」

 

 

TVドラマで見ていたような

 

私が想像していたシーンとは

全く異なりました。

 

私自身は泣き崩れる事もなく、

 

自分でも怖くなるくらい冷静で、

涙も出ませんでした。

 

 

看護師さんに

 

「しばらくこのままにしますか?」

「すぐに身体を綺麗にしますか?」

 

と、聞かれました。

 

 

最初は

「伯父が到着するまではこのままに・・」

 

と伝えたのですが、

しばらく到着しなかったので

 

やはり、

「身体を綺麗にしてください。」

 

とお願いをして、

身体を拭いて綺麗にしてもらいました。

 

 

朝になったら

自宅まで父を運んでもらい、

 

お通夜の手配と

お葬式の手配をしなければならない。

 

色々とやらなければならないことが

頭を巡っていました。

悲しんでいる暇はありませんでした。

 

 

その日の朝は、地震がありました。

なんだか凄く記憶に残ってます。

 

地震のあと伯父が到着し、

弟の死を悲しんでいました。

 

 

お葬式は、

伯父が手配してくれていました。

 

父の死を覚悟して、万一のために

予め準備をしていたようでした。

 

・・・凄く助かりました。

 

 

父が自宅に帰ってきてからは

 

亡くなったことを親戚や知人に伝え、

お通夜の準備をして

お葬式のお知らせを伝えました。

 

慌ただしい、

長い一日が過ぎました。

 

そうして

お通夜が終わってから

 

ようやく涙がでてきました。

 

「もっと話しておけばよかった。」

 

後悔の涙がとまりませんでした。

 

 

今、当時を振り返ると

 

それでも…少しの間だけでも、

家族と父との時間がとれたことは

幸いだったように思いますニコ

 

 

結局、最後まで

父とは仲良くできずにいましたが、

 

冷たい関係で終わったわけでなく、

 

父が、わざわざ横浜まで

私に会いに来てくれて

二人で食事ができたこと

 

婚約者を紹介できたこと

 

自宅で、

家族で一緒に食事ができたこと

 

このことは、ガンという

父が病気でなければ

できないことだったように思えます。

 

 

そして、当時は今の自分の姿を

全く想像できませんでしたが・・・

 

この24年後、

 

私は

8/9の日に会社を法人化しました。

 

本当に、、先のことなんて

誰にもわからないものです…。

 

こんなわけで、私にとっては

8/9は父の命日であり、

法人設立という

特別な日になりました。

 

今日という

特別な日にブログを公開できて

良かったと思っています。

 

ご縁をいただき、

ご覧いただいているあなたにも

心から感謝いたしますおねがい

 

 

 

<追伸>

 

このブログ記事を書く時に

数少ない父の写真を

見返していたのですが・・・

 

ちょっと自分でもビックリな
意外な感情の変化がありましたニコニコ

 

まだ幼い私と一緒に写っている

40代の父の写真を見た時に、

今、40代を終えようとしている

私はこんなことを思ったのです。

 

チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤

 

ん??

 

お父さんって、実はちょっとだけ

カッコよかったのねキラキラ

 

チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤チューリップ赤

 

イケメンとかではないですが、

雰囲気カッコイイ・・・ように

見える写真があったことが

新しい発見で、嬉しかったですニコニコ

 

案外、カッコよかたんだぁ~と、

もっと早く気づけてあげていれば

良かったのですが、

それにしても、遅すぎですね。

 

今頃になって、こ

んなことを感じるなんて

これも不思議な感覚でした。

 

自分史を書いていると

 

時間の経過とともに、

今まで普通と思っていた感情に

大きな変化がおきたり、

 

色々なことが変化していきますし、

多くの事に気づかせてくれるので

ホント不思議で面白いですお願い

 

 

このあとも引き続き、

お付き合いくださいチューリップ黄

※このブログは「自分史」です。

過去の経験を体験や経験を綴っていますニコ

 

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家族で交代しながら、病院に寝泊まりし、

父の最期の看病をしていました。

 

いつ死んでしまうのか・・・

 

常に緊張や不安がつきまとっている

状態の看病や生活は、

気がおかしくなってしまいそうで、

 

家族も自分も
病気になってしまうのではないか

というくらい辛い経験でした。

 

 

それでもまだ

母や妹や弟がいてくれてよかった。

 

もしこれが一人だったら…と考えると、

いたたまれない気持ちにもなりました。

 

 

 

そして、医師から家族に話がありました。

 

「とても危険な状態です。

そろそろ覚悟されてください。

今日明日にでも

お亡くなりになる可能性があります。

必要な方にはご連絡をされてください。」

 

 

 

父には伯父がいました。

 

父は、

叔父か経営する会社の従業員に誘われ、

家族で神戸から静岡の富士に引っ越し、

3交代制の工場で働いてきました。

 

父と伯父の仲は、あまり良くなく、

父はしょっちゅう

「伯父の会社を辞める!」

などと言っていましたが、

 

結局は辞めることはなく、

最後まで伯父の会社で働いていました。

 

 

伯父も何度か

父のお見舞いに来てくれました。

 

私自身、

伯父と話す機会はあまりなく、

 

伯父といえば、

 

私にとっては、

高校生の時に、バイトで稼いだお金で

コンサートに行っていたら

父から「不良」扱いをされ、

伯父がわざわざ家に来て、叱られた。

 

そんな記憶が残っていたので

あまり良い印象を持っていませんでしたニコ

 

 

 

そんな伯父と、少しだけ話しました。

 

伯父曰く、

 

「父は、若い頃に病気をしたため

戦争で兵隊に行くことができず、

田舎で後ろ指をさされて苦労をしてきた。」

 

「父の父(祖父)、父の母(祖母)が

亡くなった時、弟である父が

葬式をだしてくれた。

私は戦争で船に乗っていた。」

 

「妹がいて、海で、

父の目の前で溺れて亡くなった。」

 

 

父からは、全く聞いたことのない話でした。

父に妹がいたことすら知らない事でした。

 

 

伯父がなぜ、急に、私にだけ

こんな話しをしたのかは

わからなかったのですが、

話をしてくださったお陰で、

今さらながら、

父の事を少しだけ知ることができました。

 

随分と寂しい想いと

苦労をしてきたことがわかりました。

 

学歴がないとか、安月給とか・・・

どうしようもないことだったことも

知ることができました。

 

 

考えてみれば

父や母が

どんな風に過ごしてきたのか?

ほとんど知らずにいました。

 

自分自身の境遇のことばかりで

 

家族の事を

知ろうともしていなかったことに

気づいてしまいました。

 

 

母は、自分の若い頃のことを

話すことはありましたが、

父は一切、語ることがなかった事にも

気づきました。

 

もっと父と話をしていれば良かった・・・。

遅すぎる後悔しかありませんでした。

 

 

 

今日から家族全員、

病院で寝泊まりすることにしました。

 

続きは次回・・・。