※このブログは「自分史」です。
過去の経験を体験や経験を綴っています
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父の寿命がいつ尽きるか…
落ち着かない
心配ばかりが募る状況の中、
今日は、母と一緒に
病院に泊まることにしました。
眠れない状態ではあっても
少しでも横になったほうが良いので
母と交代で仮眠がとれる部屋で
ウトウトすることにしました。
少しずつ
眠さが身体を巡ってきた時でした。
母が慌てて、
仮眠室にいた私を呼びにきました。
「お父さんが危ない」
急いで
病室に駆け付けようとしましたが、
脚がしびれて思うように
身体を動かすことができずにいました。
母に支えてもらいながら、
なんとか病室にたどり着くと、
医師や看護婦さんが
父を取り囲んでいました。
妹や弟、そして伯父にも連絡をして、
病院に来るように伝えました。
家族は何とか間に合いました。
その後、あっというまに、
父は息をひきとりました。
「ご臨終です。」
TVドラマで見ていたような
私が想像していたシーンとは
全く異なりました。
私自身は泣き崩れる事もなく、
自分でも怖くなるくらい冷静で、
涙も出ませんでした。
看護師さんに
「しばらくこのままにしますか?」
「すぐに身体を綺麗にしますか?」
と、聞かれました。
最初は
「伯父が到着するまではこのままに・・」
と伝えたのですが、
しばらく到着しなかったので
やはり、
「身体を綺麗にしてください。」
とお願いをして、
身体を拭いて綺麗にしてもらいました。
朝になったら
自宅まで父を運んでもらい、
お通夜の手配と
お葬式の手配をしなければならない。
色々とやらなければならないことが
頭を巡っていました。
悲しんでいる暇はありませんでした。
その日の朝は、地震がありました。
なんだか凄く記憶に残ってます。
地震のあと伯父が到着し、
弟の死を悲しんでいました。
お葬式は、
伯父が手配してくれていました。
父の死を覚悟して、万一のために
予め準備をしていたようでした。
・・・凄く助かりました。
父が自宅に帰ってきてからは
亡くなったことを親戚や知人に伝え、
お通夜の準備をして
お葬式のお知らせを伝えました。
慌ただしい、
長い一日が過ぎました。
そうして
お通夜が終わってから
ようやく涙がでてきました。
「もっと話しておけばよかった。」
後悔の涙がとまりませんでした。
今、当時を振り返ると
それでも…少しの間だけでも、
家族と父との時間がとれたことは
幸いだったように思います
結局、最後まで
父とは仲良くできずにいましたが、
冷たい関係で終わったわけでなく、
父が、わざわざ横浜まで
私に会いに来てくれて
二人で食事ができたこと
婚約者を紹介できたこと
自宅で、
家族で一緒に食事ができたこと
このことは、ガンという
父が病気でなければ
できないことだったように思えます。
そして、当時は今の自分の姿を
全く想像できませんでしたが・・・
この24年後、
私は
8/9の日に会社を法人化しました。
本当に、、先のことなんて
誰にもわからないものです…。
こんなわけで、私にとっては
8/9は父の命日であり、
法人設立という
特別な日になりました。
今日という
特別な日にブログを公開できて
良かったと思っています。
ご縁をいただき、
ご覧いただいているあなたにも
心から感謝いたします
<追伸>
このブログ記事を書く時に
数少ない父の写真を
見返していたのですが・・・
ちょっと自分でもビックリな
意外な感情の変化がありました
まだ幼い私と一緒に写っている
40代の父の写真を見た時に、
今、40代を終えようとしている
私はこんなことを思ったのです。
ん??
お父さんって、実はちょっとだけ
カッコよかったのね
イケメンとかではないですが、
雰囲気カッコイイ・・・ように
見える写真があったことが
新しい発見で、嬉しかったです
案外、カッコよかたんだぁ~と、
もっと早く気づけてあげていれば
良かったのですが、
それにしても、遅すぎですね。
今頃になって、こ
んなことを感じるなんて
これも不思議な感覚でした。
自分史を書いていると
時間の経過とともに、
今まで普通と思っていた感情に
大きな変化がおきたり、
色々なことが変化していきますし、
多くの事に気づかせてくれるので
ホント不思議で面白いです
このあとも引き続き、
お付き合いください