2024.5.25(土)京都市交響楽団 首席客演指揮者 就任披露公演 | Concert memory

京都コンサートホール

 

 オランダの指揮者、ヤン・ヴィレム・デ・フリーントの京響首席指揮者就任披露公演。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、シューベルトの交響曲第1番が演奏された。開演の30分前から、デ・フリーント氏自らプレトークを行い、開演5分前まで話していた。通訳をはさんでいるからかもしれないがなかなか長いプレトークでファンたちからするとうれしいことだったのではないか。

 作曲者、クラリネット奏者、ピアニストのデヤン・ラツィックがソロを務めたピアノ協奏曲。この明らかに非凡な肩書きの通り、興味深い演奏であった。序盤は柔らかいタッチで、特別目を引くものがあったわけではないが、2楽章、3楽章と進むにつれて、独特の演奏へと変化していった。最近、軽やかに演奏することが多いなか、彼は鋭くメタリックなサウンドでドイツ的とは遠く離れた演奏を繰り広げた。今回、京響がこれまでに類を見ないほどまとまっており、長いフレーズ感で演奏していたが故、違和感を感じざる負えない部分はあった。サウンドが痛いなと思う部分も多い。3楽章になると、京響も鋭く激しい演奏で応えるようになったため、最終的にはなんとも斬新な解釈のベートーヴェンで終結。賛否が大きく分かれる演奏であっただろう。アンコールはショスタコーヴィチの3つの幻想的舞曲から第一番行進曲。この曲をベートーヴェンのあとに選ぶということもなかなか斬新だろう。

 そして、今回のメイン、シューベルトの交響曲。こちらもなかなか斬新であった。協奏曲であったオケのまとまりは失われてしまっていた。ただとにかく鋭く感情的とでも言おうか、言葉にしようがない演奏だ。シューベルトというと、美しい旋律や穏やかで明るいフレーズ感が思いつくのだが、もはやそれは前面に出てこない。鋭く強烈なアクセント、オケから飛び出る管の旋律、ティンパニの強打、終わりに近づくほど激しくなっていく。なんだかこの曲から恐怖感を感じるほどだ。ソ連時代に作曲された音楽のようだとも。金管がここまで金管楽器を主張する古典派の演奏は聴いたことがない。正直混乱してしまった。終演後も、盛大に拍手する人や、戸惑いながらする人などまちまちで、これも賛否が分かれそうである。アンコールはモーツァルト「アイネクライネナハトムジーク」より三楽章。コンサートマスターは泉原隆志。
 
 京響はこれまでなんどか聴かせてもらっているが、ある意味美しい王道の演奏をするイメージであったため、予想外の公演だった。これからどうなるのか、不安もあるがたのしみである。