2024.4.13(土)タバシュニク指揮 大阪フィル定期 | Concert memory

 今シーズンの大阪フィル定期最初を飾るのはスイスの巨匠ミシェル・タバシュニクによるモーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、ベルク:管弦楽のための3つの小品、そしてR.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。コンサートマスターは須山暢大。

 シーズン始めの曲をモーツァルトの「リンツ」にしたのは大正解だったであろう。やはりハ長調の曲であるからとにかく聴きやすく明るい。コンサート前の福山事務局長のプレトークによるとそれを狙って選曲したのだとか。近年よく演奏されるモーツァルトは音を細かく演奏させ、より軽快な音楽を響かせる傾向が強いように思う。しかし、タバシュニクは逆に音を長めにとり、レガートを強調させた演奏であった。テンポも比較的遅めであったように思う。それ故か、弦の旋律が不安定になる部分がいくつか見られたが、、

 一楽章と二楽章は前述の通り穏やかなテンポであったが、三楽章に入ると比較的速めのテンポで軽快に演奏された。その方がやはり演奏し易いのかそこから乱れることなく順調に進んだ。三楽章でいうと、やはりオーボエとファゴットの掛け合いは見事である。暗譜で指揮をしていたタバシュニク氏は、カーテンコールの際一度も開いていない楽譜を観客に掲げ、大事そうに抱えて裏に持って行ったのには、思わずにやりとしてしまった。

 ベルクの小品は福山事務局長によると103人での演奏だとか。この曲というと特徴的な打楽器が使われることで有名である。1つはハンマーで、もう一つは鉄板(楽譜ではカリヨンとなっていたと思う)であろう。どうやらこのハンマーで打ち付ける台は大阪フィルのステージマネージャーが手作りしたのだとか。さらにこの鉄板も30年ほど前に鉄工場で特注して作成したのだそう。このオケはいくつかこのような手作り楽器?を持っているようで本日も京都の某オケに貸し出しているそう。

 演奏の方はと言うと、なかなか興味深いものだった。シェーンベルクが師匠であるから、当然のように無調の音楽であるが、同時にマーラーに憧れていた作曲家であるからとにかく指示が多いのだ。私自身トランペットを吹くので管楽器のことはどうしても見てしまうのだが、いくつものミュートを使い分けたり、ベルアップをしたり、特殊奏法の1つであるフラッター(音を出しながら巻き舌をする奏法。私は吹奏楽部時代この奏法が好きでたまらなかった)があったり、ゲシュトップフト(ホルンにおいて右手を使ってベルを塞いで音を出す奏法)があったり、、とにかく忙しい。だがこれらがあってこそ立体感のある独特の世界観が創造されるのだろう。最後は36分音符のハンマーやティンパニの強烈なsfffの一音で終了。鉄板を聴き逃したのは後悔。

 余談だが第二曲はワルツ、第三曲はマーチというテーマが楽譜には堂々と書いてあるのだが、この曲で踊ったり、行進したりなどどうしたら出来るのだろう、、もとよりこういう意味合いで書いていないのだろうが、シェーンベルクに師事し、マーラーに憧れた男の考えることは分からないなと苦笑いをしてしまう。こういったことを含め、実演で所謂現代曲を聴くことは本当に面白いものだ。

 後半のR.シュトラウスは99人の4管編成。導入部である"Sonnenaufgang"(日の出)では、万人が知っているド‐ソ‐ドの”自然の動機”が演奏される。映画好きからすると「2001年宇宙の旅」での猿人がイノシシ(撮影で使われたのはアメリカバク)の骨を振り上げるシーンがどうしても思い浮かんでしまう。映画で使われたのはカラヤン指揮ウィーンフィルのデッカ盤だったと記憶している。オリジナルサウンドトラックでベーム指揮ベルリンフィルと誤訳されているのは有名な話だろう。その所以は色々あるのだが、またの機会に。

 演奏としては全体的にストレートなものだったと思う。前述した劇的な冒頭もそこまで飾らず開始された。弦はなかなか厚みのあるいい演奏である。「墓場の歌」での弦楽器トップ奏者らのアンサンブルや「舞踏の歌」でのコンマス須山氏のソロは見事なもので心を打たれた。最後の「夜のさすらい人の歌」での人間を表す高音のロ長調の和音、自然を表す低音のハ長調の和音が対置される部分にはやはり哲学的な意図を感じざる負えない。だがプログラムの解説によると音楽を聞き手が受け入れやすくするために詩に頼ったということでニーチェの著作とは直接的な関係は薄いらしい。標題の順も原著とは異なるのだとか。

 初の大阪フィル定期を存分に堪能させてもらった。定期公演はあと9公演。いまから楽しみである。