2024.3.29(金)小林研一郎指揮 関西フィル「わが祖国」 | Concert memory

                                             ザ・シンフォニーホール
 
 昨年8月15日に亡くなった飯守泰次郎氏が指揮をする予定だった今回の定期。「飯守泰次郎を偲ぶ」と題し、代わりに関係が深かった「炎のコバケン」こと小林研一郎の指揮で行われた。曲目はブルックナー5番からスメタナ「わが祖国」に変更された。故人とゆかりのある曲だという。コンサートマスターは木村悦子。

 追悼としてメインの前に演奏されたグリーグ:「オーゼの死」では長く静かに指揮台に向かって頭を下げ、台に乗らずにタクトを振った。 本来そこに立っているはずであった故飯守氏に対するものだったのだろう。演奏が終わっても拍手を求めず、しばしの沈黙の後静かに舞台から下がっていった。演奏は重厚で飾らない、どこか高貴なものであった。

 私はまさにこの公演で飯守指揮のブルックナーを聴くつもりであった。1つの目的を失ったあの8月の喪失感は忘れられない。結局実演を聴くことは叶わなかったが今年絶対に聴くと決めていたのだ。昨年は慌ただしく、なかなか飯守氏を偲ぶことが出来なかったため一つ節目が出来て良かったと思う。今日の指揮台には何故だか飯守さんがいたような気がする。

 連作交響詩「わが祖国」では雰囲気をがらりと変え、笑顔で指揮台に立ち、タクトを振った。これまで聴いたことがないほど濃厚で大迫力である。この曲はCDで何度も聴いているが、情景が浮かぶという経験はあまりしたことがない。しかし、今回様々な光景が脳裏をよぎった。ヴィシェフラド城の発展と衰退、ヴルタヴァ川の流れ、フス戦争、、、、、もちろん前提知識があるからだろうがこれまでにない経験である。
 
 Ⅱ”ヴルタヴァ”は合唱曲にもなっているから聴いたことはあるけど、いざオーケストラで聴くとあっさりとしていたという感想をよく聴く。私自身一番初めに聴いたときは同じことを思った。しかし、コバケンが作るヴルタヴァ川は水量のある大きな川のように感じた。所謂イメージ通りのヴルタヴァである。母校の世界史の先生(スメタナ好きであった)が「モルダウ川を普通の川だと思っているだろ。実際は500mの大きい川で水の勢いは意外とある。」と言っていたなと思い出しながら聴いていた。

 私にとって今回の白眉であるⅣ”ボヘミアの森と草原より”では、見事な休符に心を惹かれた。tutti‐休符‐tutti-休符といったように一瞬の静寂がこの曲にはある。単純に見えるが、この休符を音楽にするのはかなり難しい。オケと指揮者の息が完全に合っていないと出来ないだろう。双方の絶大な信頼が感じられた一面であった。

 終演後会場は熱狂の嵐。定期でここまで大盛り上がりのコンサートは初めてだ。コバケンはマイクを手に取り、「関フィル史上一番の演奏」と明言し、「アンコール用意できなかったけど一分半だけ」とⅥブラニークのLargamente maestoso.(確かここからだと思う)から先を演奏した。

 いくつか荒っぽさを感じる部分はあったが、素晴らしいアンサンブルで他では絶対に聴けないコバケンサウンドを堪能させてもらった。是非ともまた聴きたい。

 余談だが、このホールはとにかく自席までの道が複雑。今いるのが2階なのか3階なのか分からなくなってしまった。今までいくつかホールは見てきているがホール内で道に迷うのは今までにない。しかも階段が多い。私自身はまだ特別困ることはないのだが、年齢層が高いクラシック専用のホールなのだからどうにかならないのだろうか、、