と言って、「うちの塾は理数系に定評があります」と誘い文句にしているとこありませんか?


または個人で。フリーランスや家庭教師の方で。


いますよね。


またはその誘い文句が正しいと思ってる人も。


そして、自分は理数系科目が未だにできないのに自分の子供や生徒にできるようにさせようとする人いますよね。


かの高名な養老孟司が著書の中でこう言いました。


「学生時代、家庭教師やってたんだけど、数学はね、ある段階から解けなくなるんだね。それがその子の限界なんだって思った。数学ほど頭の良し悪しがはっきりと出る科目はないね」


多分、間違ってないです。


となると、前述の「教えればできる」系の人たちは養老孟司に言わせれば、嘘を言ってることになりますよね。


ですが、こうとも思うのです。


偏差値40前後の工学部や薬学部の学生が当たり前のように、大学数学や大学の理科を解きますよね。


じゃなきゃ、卒業できませんから。


高校時代に低偏差値であまり解けなかったはずなのに、大学に入ってから解けるようになった人が卒業生の数だけいるわけです。(部分的だったり、難易度が受験レベルじゃなかったとしても)


でしたら、彼ら大学生と理数系を苦手とする高校生以下にどこに違いがあるのでしょうか。


おそらく覚悟です。


大学と高校以下の明確な違いは単位や試験や資格試験です。


つまり、真剣さが違うと思うのです。


大学生は高校生以下と違って「理解しなければ卒業不可」です。


反面、高校生以下は「理解しなくても卒業は可能」です。


小学生や中学生に到っては0点でも卒業ができます。


故に、態度や姿勢に「甘えや妥協」が入り込み、「嫌いなものや苦手なものはできなくてもなんとかなるだろう」という意識が無意識下に支配するんですね。


大人でも「専門外のことは理解しなくてもいいや」って投げてませんか?


となれば、「上手に教えればできるようになる」などという言葉は、かような意識を助長することに繋がりませんか?


そもそもが「ジムに行って筋トレの説明を上手に受けて理解した(つもりだ)けど、筋トレせずに帰る」で筋肉が鍛えられると思いますか?


断言します。


理数系こそどれだけ多くの種類の問題を解きこなせるようになるかが鍵で、要は量の勝負となります。


頭の良い人は「理解と問題を解くスピードが速い」から量の問題をクリアしやすい=「理数系科目は頭の良さが反映される」と思われるわけですね。


少なくとも、偏差値60未満の人が「ピーチクパーチク勉強法や授業や教師の質」を講釈垂れるのは非常に滑稽です。


小中高問わず、偏差値50台までは教科書の内容を理解する程度で到達しますよ?


そこから抜け出せないのは「基礎的な理解」に穴ができているからです。


受験生は有限の時間と労力の中で勝負をしなければなりません。


適切に頑張っていきましょう☺