古くから英語の勉強法で争いがあります。
多読派と論理派の争いです。
両者の違いは
多読派「多少いい加減でもいいから、とにかくたくさん読む。毎日読み続ければ、いずれ英語力は上がる」
論理派「きちんと文法的に解体しながら、しっかりとした訳を作って読まなければならない。いい加減に読んでたら英語力は上がらない」
というものです。
どちらも正しい主張だと思います。
ちなみに、自分は前者の多読派です。
しかし現行の入試制度における正解は前者です。
と言いますのも、大学受験の入試問題(特に国立大学)は長文問題ばかりだからです。
故に、遅いけど精度の高い読解力よりも雑だけど速い長文読解力のほうが求められます。
そして、なによりも重要なのは、論理派の丁寧な読み方だと、読むスピードが脳の性能に依存するので、偏差値やテストの点が脳の性能のまま反映されるんですね。
つまり、才能の壁を超えられない結果に。
さらに違いを見ていきましょう。
それぞれが好む勉強法を。
多読派「文法とか単語とか英作文とかめんどくさいな。文を読むだけなら苦じゃないんだけど」
論理派「文を読むだけとか勉強した気になれない。文法や単語を覚えるとか英作文を書くとか、ちゃんとした勉強をしたい」
この段階でお気づきになった方いるでしょうか。
実は、この両者の違いって性格や脳の構造の差なんですよ。
多読派は細々とした理屈が嫌いで大雑把な文脈解釈が得意、論理派は大雑把な文脈解釈が苦手で細々とした理屈が好きで、その結果、得意分野がそれぞれ異なるんですね。
多読派の得意:英語長文、要約、自由英作文、現国、古文、数学の図形、確率、整数、集合と命題、倫理、地学
論理派の得意:英語の文法、英単語の暗記、英作文、漢文、数学の微積、関数系、物理、化学、世界史、日本史、地理
だいたいこんな感じです。
これを読んでる方もご自身を振り返ってみてそうなってはいないでしょうか。
そして、ここがポイントです。
論理派「文法や単語を覚えてから英語長文を読みたい」←いつまでも長文読解をせずに英語の偏差値が上がらない受験生
こんな人を見たことないですか?
反対に、こんなケースも
多読派「先生の説明を何回聞いてもわからない。あの先生の教え方は本当に下手だ」←いつまでも自分で問題を解かずに数学の偏差値が上がらない受験生
何が言いたいのかと言いますと、今回、この二者にカテゴライズした理由は、それぞれの弱点や欠点、またはそれに伴う未来に陥りやすい罠を知っておいて欲しいんですね。
今回は英語の勉強法から、受験全体に及ぼしかねない陥穽について考察してみました。
書き始めた時には想定しなかったラストになってしまいちょっとびっくりです。
この辺のいい加減さも多読派らしい特徴ですね。
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一言余計なことを言いますと、受験業界の人間の大多数が論理派です。英語や古文の教師や予備校講師であっても、その傾向があります。
多読派が主張するような長文読解を数こなす勉強法を軽視する風潮が昔からあります。故に、アンチテーゼとしてスキマ産業的に、多読派の英語塾が中小の塾で点在しています。
広島でも尾崎英語道場が有名ですね。うちもこの尾崎英語道場を参考に高校生のコースをスタートさせました。
では、古文で多読させる塾があるのでしょうか?