被災地に行ってまいりました。
予定通り、福島県いわき市の被災地を訪問してきました。
ゴスペルライブの様子や、大好評だったポトフや珈琲の様子はこちらを参照・・・
らいらのブログ 被災地に行ってまいりました。
矢萩さんのFacebook いわき市訪問公演 ゴスペルを届けに行こう!を終えて
この企画の代表二人のバイタリティ溢れるレポートを見れば、この旅がどれほど楽しく、有意義だったかが理解して頂けると思います。避難された方の写真は遠慮がちに撮ってるので少なく見えるけど、実際にはもっとたくさんいらっしゃいます。
ただね、私はこの度で改めて思った事があるのです。当たり前なんだけど、わかってたんだけど、本当はわかってなかったこと。
被災地にゴスペルを届けよう!の企画が始まった当初、候補地は二箇所ありました。それは、
陸前高田、そして大船渡。
とちらも壊滅的な被害を受け、連日テレビで放映されてる場所です。こんなにひどいんだ、何とかしなきゃ、してあげなきゃと、日本国民、いや世界から注目された場所でもあります。
結果、陸前高田は「壊滅的で、行くにはあまりに凄惨すぎる」という理由で断念。
次の大船渡は一度は日程まで決まるも、逆に思った以上に復旧(復興)が早く進み、避難所が早々に解散。もちろん喜ばしいことではあるけれども、同時に我々が音楽を届ける場所が無くなったということ。
そこで第三の地、「福島県いわき市」
他に比べるとそれほど大きく取り上げられておらず(最近は住宅地に温泉が出たと騒がれてるけど)、それほど壊滅的ではないにしても、今でもたくさんの住民が非難されてると聞き、予定変更。
我々にとっても大きな危険もなく、今でも避難所が存在し、ものすごく失礼な言い方かもしれないが、「訪問するにはちょうどいい」状態だと判断した。
が、それが間違いだって事に気がついた。
◯◯市は死者がウン千人。△△市は市民の◯割が行方不明。それに比べればいわき市はまだ被害が少ないから大丈夫、なんて考えが甘かった。
わかっていたのに、わかってなかったこと。
住民の9割だろうが、1割だろうが関係ない。自宅を無くした方は100%の被害、家族を失った人も100%の悲しみを背負って生きてる。住民レベルからすれば何パーセントの被害でも、被害を受けた個人からすると100%の被害なんだ。そんな当たり前のことに改めて気がついた。
完全に崩壊した家屋。看板だけ残して水圧でガラス戸を破られた店舗。今でも放置されてる大破した自家用車。行き場を無くして幼子と共に避難所に暮らす親子。知人や友達を全部亡くして孤立した初老の女性。
言葉を失った。、◯◯は壊滅的だからかわいそうとか、いわき市だから被害が小さくてよかったとか、そんな比較は全く意味を成さないってことにようやく気がついた。恥ずかしかった。
パーセンテージとか全く関係ない。家を失った人、家族を失った方、仕事を無くした人、避難所で気が狂いそうになるのを抑えながら日々を過ごす人達。
念願だった訪問で、歌を届けて、ポトフや珈琲を届けて大満足した顔の我々が、あんな短い時間でいったい彼らにどれだけの満足感を与えることができたんだろう?
とある人の言葉が頭を過ぎった。
「支援する側とされる側のギャップが問題になってるんですよね・・・。」と。
テレビで見えない部分にもたくさん苦労されてる人がいることを本当に知ってほしい。
東京で支援物資を集めた際、「なんか現地ではモノが余りまくって、廃棄処分されてるらしいよ。むやみに物資を集めても無駄になるだけ、意味ないよ」と言われた。
だれがそんなデマ流したんだよ!
たしかに有名な場所だけに支援が集中し、物資が溢れ、保管に困って処分されると言われる中で、このいわき市のみなさんの物資に対する欲求はすごかった。眼の色を変えて喜んでくれた。缶詰もサッカーボールもポトフも珈琲も。
やっぱり、今の日本に一番不足してるのは、情報だな。大きな愛情が行き場を無くして現場で腐ってる。片や、そんな愛情が行き場を探していることすら知らない人達もいる。
こんな事ならもっと色んな物を持って来てあげればよかった。