この前の記事でアタッチメント形成について書いた続き的な...
今さらアタッチメントとは...
主な養育者との間に結ばれるもので、ネガティブな感情が生まれた時にその人にくっつけば、甘えれば大丈夫!という信頼感。それが上手く形成されないと...とにかくヤバい。メンタルはもちろん身体的な病気にもなりやすくとにかく人生ヤバい(語彙力)
日本語だと愛着と訳されるがそれだとニュアンスが異なるため今はアタッチメントと呼ぶらしい。
めちゃくちゃ大切なのは分かった。
じゃあどうしたら良い?ってところ。
最近は👇これが大事らしいです
情緒的利用可能性
なんて目が滑る単語だ
もう少しこう...感覚的にならんのかね...
情緒的利用可能性とは簡単に言うと...
子供が泣いたり何かサインを出してたら対応してあげてね!(敏感性)
+
子供が1人で楽しんでる時はほっといてあげてね!(非侵害性)
=情緒的利用可能性
ということらしい
今までは1つ目の敏感性ばかり叫ばれていて、その結果敏感を通り越して過敏になる人がいたそう
過ぎたるは及ばざるが如しで、やりすぎも良くないんだって
私だ...私すぎる....だって足りてるか不安なんだもん世の中の育児本は沢山抱っこしましょうふれあいましょうばっかりやん沢山ってどれくらいよって話なのよ
ちなみに敏感性も、赤ちゃんの要求に大体6割くらい答えてたら十分らしい。間違えることも全然OK、むしろ100点は良くないとのこと。
まあ100点だそうとしたら一日中気を張ってるだろうし...そういうのが良くないのかな
我が子のサインなんてわかんないよ〜
答え:とにかく観察しろらしい
スマホ見てないで、我が子が今どんな気持ちかな?とか考えながら見守ってたら分かるようになる、、らしい
これもガン見じゃなく見守る、眼差し位なんだろね
そしてここまで書いといてアレなんだけど、メンタル健康な人なら意識せず普通にできてる気がする
てかそうかそうやって人類は増えていったもんね
あいにく私はバリバリの愛着障害で、人と情緒的に繋がるという事がものすごく苦手
ずっと、普通の人間の振りをして生きてきた感覚がある
ここでは笑う、適度に目を合わせる、ここで頷くなど
普通の人が無意識にやってる事を私は意識して調整する必要がある(そしてよく間違える)
だから我が子とのアタッチメント形成についても、理論が必要なのだ
母ちゃん、みみ太のために手動調整で頑張るね