(1)奨励会3段から小児科医に、立石径さん
立石は径さん小学校3年生の夏から将棋を習い、小学生名人戦3位を経て、奨励会に入会しました。
中学卒業時には二段となりました。高校に進学するも両立できずに高校を2か月で中退しました。
その後すぐに三段となり三段リーグに進むも昇段のタイミングが悪く、半年間の待ちぼうけをくらい、好きだった学校の勉強を独学で行い、16歳で大学検定を取得しました。
立石さんは当時久保利明九段、矢倉規広七段とともに「関西の三羽烏」と呼ばれ、将来を嘱望されていました。その3人の中で誰よりも早く三段になったのが立石さんでした。
南芳一棋聖に谷川浩司竜王が挑戦した1991年の第59期棋聖戦第1局、相矢倉からの際どい終盤戦を先手谷川が制しました。感想戦でも両対局者、立会人ら7人がかりで谷川王は詰まないと結論付けられましたが、その後記録係を務めた当時三段の立石さんが、谷川王の23手での即詰みを副立会人を通じて伝えました。南、谷川はともに2冠。打ち上げの席で、連盟会長も務めた原田康夫九段が2冠と2冠を合わせて「立石4冠王」と称えた、というエピソードがあります。
しかし、医師になることを目指し、17歳で奨励会を退会し、受験生活に入りました。ホームページの記載によると
「医学部の難易度が高いことすらわかってない状況で、2,3か月勉強すれば受かるかもと楽観していました。事態を把握してからは真剣に取り組み、ほぼ自宅学習でしたが現役生に遅れること3年(遅れすぎ?)神戸大学に合格医学部生となりました」
その後、小児科医になり大学病院、総合病院勤務などを経て、現在は兵庫県三田市で開業されています。
お子さんたちが将棋に興味を抱く姿に触発され、再び将棋の世界に戻ってきました。
2023年9月のアマ名人戦に続き、本日(2024年6月4日)加古川青流戦トーナメント戦で、立石径アマ(49)は貫島永州三段(25)に112手で勝利し、公式戦初勝利を飾りました。
「伝説の三段」49歳立石アマが公式戦初勝利 17歳で奨励会退会、大学進学、小児科開業を経て(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
(2)棋士になる?医師になる?
15歳か、16歳で3段になっているわけですので、将棋のプロにはほぼ確実になれたと思います。
久保利明九段に先行していたのですから、同レベルの棋士になれた可能性もあります。
しかし、立石さんは医師になる道を選びました。医師という仕事に「やりがい」を感じたからでしょう。
もしかするとそれだけでなく、棋士という職業の不安定性も選択の一因だったのかもしれません。
将棋は非常に面白いし、「棋士」という仕事は魅力的です。
しかし、競争は激しいし、成功するのは一握りです。
トップで活躍できる期間もそれほど長くはありません。
2023年将棋獲得賞金・対局料ベスト10 | ADHDの小児科医が伝えたいこと (ameblo.jp)
将来の職業として考えた時、「棋士」と「医師」とでは安定性があまりに違いすぎると思います。
(職に就く難易度も「棋士」の方が大変だと思います)
(立石さんの例では、もう少し早く将棋の道を諦めれば、回り道が短くてすんだと思います)
(3)「やりがい」と「安定性」
仕事に「やりがい」を求めるのか、「安定性」を求めるのか。
各人各様でよいと思います。
しかし、それぞれの職業の持つメリットとデメリットを慎重に検討して選択すべきだと思います。
大学の進学先も同様だと思います。
大学は「職業」に直結する面があります。
「〇〇が学びたいから」と自分の興味だけで大学の進学先を決めるのは、如何なものかと思います。