『今日は、本社で会議があったからな。』
いるはずのない人が目の前に現れて、しかも元恋人だと動揺しすぎて、体が動かなくなった。
『今から飯か?』
『………。』
『何ボーッと突っ立ってるんだ。飯行くぞ。』
武川さんはそう言うと、社員食堂の方へ歩いて行った。
俺も慌てて、武川さんを追った。
仕事が落ち着いたのが遅くなり、もう2時を回ろうとしていた。
だからか、食堂は、人もまばらだった。
武川さんは、きつねそばを、俺は日替わりを注文した。
俺は、何を話していいのかわからず、淡々と食べ続けていた。
武川さんもただ黙々と食べている。
しばらく沈黙のまま、ほとんど食べ終わった頃だった。
『どうした?何か悩んでる事でもあるのか?』
『えっ?』
『朝見かけた時、少し不安そうな顔をしてたから。』
朝も顔を見られてたのか?
春田さんの事で少し不安になってたの、見透かされた?
『何なら、相談に乗るぞ。』
『あ……あの…。』
思わず春田さんの事を相談しそうになったが、寸前で止めた。
『いや……なんでもない…。』
そんな俺を見て、フッと笑った。
『もう、俺に相談する必要もないか…。そうだよな……。』
武川さんはもう俺の事なんてとっくに好きではないだろうけど、元恋人に相談する事ではないと思った。
『それにしても弁当も作れないほど、忙しいのか?』
『えっ?あ……。』
『春田もコンビニのおにぎり食べてたな。俺と付き合ってた時は、欠かさず弁当を作ってくれたって言ってやったら、ムキになってたがな。』
『武川さん!』
もしかして、武川さんに何か言われて春田さんが気にしてるのか?
俺は思わず武川さんを睨み付けた。
『そんな恐い顔するな。事実だろ。』
確かに武川さんと付き合ってた時、欠かさず弁当作ってた…。
ほんとは今も、もっと早く起きて弁当を作れない事もない。いや、そうしようと思っていた。
だけど春田さんがそれをやめてほしいと言った…。
……………………
『凌太、俺、弁当要らないわ。』
『えっ?どうして?』
そう言われた瞬間、ショックを受けた。もしかして、時間無いから少し手抜きになった分、美味しくなくなった?春田さんの喜ぶ顔が見たくて…と言っても直接は見れないけど、その為にお弁当を欠かさず作っていたのに…。
そう思った俺に春田さんが、思いもしない事を言った。
『だってさ、ただでさえ俺達、営業所と本社で離れて仕事してるし、帰る時間も休みもバラバラでさ、凌太は特に遅くなったりして、会話を交わさない事もあるじゃん。それなのに、弁当の為に1時間早く起きてるだろ?』
『あ…うん。』
『だったらさ、その1時間俺にくれない?』
『どういう事?』
『…その1時間俺の側にいてほしいんだ。喋らなくても寝ててもいいからさ、凌太に触れてる時間がほしい。』
『春田さん………。』
『もちろん、凌太の作った弁当めちゃめちゃ美味しいし、嬉しいよ。だけどさ……起きた時凌太が居ないと…なんか……寂しくてさ。それにさ…そんなに全部頑張らなくていいから。』
照れくさそうに、でも真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる春田さんの言葉は、いつでも俺の心の奥まで沁みてくる。
何度、自分の中に沸き上がってくる不安を消してくれただろう……。
……………………………
その日の事を思い出して、ちょっと顔が熱くなった。
『なんだ……その顔。』
武川さんは目を細めて俺を優しい顔で見つめた。
『……幸せそうだな。どうやら、杞憂だったようだ。じゃあ、俺は帰るから。』
食べ終わった食器を返却口に置き、武川さんは俺を待たずに歩いて行く。
俺も必死に追いかける。
『武川さん!』
『何でお前が朝、あんな顔してたかわからんが、心配するな。最近、あいつはずっとのろけてるぞ。』
『えっ?』
武川さんは、立ち止まって振り向いた。
『俺に少しでもあいつの素直さがあれば……。俺とお前は、少し性格が似すぎた…。』
武川さん…。確かに別れた時、俺も武川さんもお互いを嫌いになったわけじゃなかったのかもしれない。好きだけど…それ以上に怖くなって逃げた。
武川さんも……そうだったのかな。
『悪かったな、凌太……。』
『政っ……。』
思わず名前を言いそうになって、止めた。
武川さんはそんな俺を見て、何かを声にせず言ったような気がした。
そして、そのまま振り向く事もなく、去っていった。
武川さんの言葉はわからなかったけど、俺は心の中で伝えた。
武川さん、ありがとうございました。
武川さんに会ったからか、春田さんに感じていた不安が不思議と小さくなっていた。
春田さんを信じたいと思った。
しかし、その日も残業で帰りが10時になり、結局手作りチョコの材料を揃える事ができないまま、バレンタインの当日を迎える事になった。
つづく