※この記事を読む前に上の記事を読むともっと楽しめるので、まだ読んでいない方はどうかご覧下さい(天狐より)



 •立花道雪

 天「日本人でも最強を謳われる人間がいる。最初に紹介するのは、雷を切った九州の怪物。

 立花道雪だ。」


 ツ「眼力の強い方ですね…。それにしても雷を切るなんて、そんな馬鹿な…。」

 天「いや!彼の愛刀には雷を受けた時の傷が残っていて、事実だと確認が取れているよ。」

 ツ「一体なにがあったら雷を切ることになるんですか?」

 天「ある時道雪は木の木陰で昼寝をしていると、たちまち暗雲垂れ込め道雪の昼寝をしている木に雷が落ちた。

 しかしその瞬間、かたわらにおいていた愛刀「千鳥」を引き抜き雷を一刀両断!一説には雷の中にいた雷神を切ったとも言われたんだ。」 

 ツ「雷に咄嗟に剣は向けられないでしょ普通!」

 天「しかし雷と戦った代償からか、下半身が不自由に…。しかし、道雪は神輿にのり更に勇猛果敢に戦場に出て戦った。

 その姿から『道雪こそが雷神だ』と恐れられていたらしいよ。」

 ツ「強すぎるでしょ…。」

 天「男としては憧れる存在だね。」

 •本多忠勝

 天「次に紹介するのは、生涯無傷!家康最強の配下!本多忠勝だ。」


 
ツ「無傷!?どれほどの猛者なんですか?」

 天「かつて57度の合戦に参加するが無傷で生還。特に姉川の合戦では1万の大群に単騎で突撃し、それを見た家康が『忠勝を死なせるな!』と慌てて参戦するほどだった。

 さらに三方ヶ原の戦いでは戦国最強と呼び声高い武田軍に互角の戦いを見せ、敵の武田軍から『家康に過ぎたるものは2つあり。唐の頭に本多平八(忠勝)と褒め称えられたんだ。」

 ツ「1万の軍に突撃は中々出来ませんね。しかも相手が褒めるなんて…。」

 天「他には一言坂の戦いでは武田軍でも『不死身の鬼美濃』と謳われた豪傑馬場信春の部隊と戦い、なんと互角!まさに一騎当千の武将なんだよ。」

 ツ「こうなると強さの秘訣が知りたいですね。」

 天「勿論本人の強さもあるけど、彼の愛槍『蜻蛉切』を持った時が一番強いだろうね。」

 ツ「蜻蛉切?」

 天「これが蜻蛉切。なんと6m以上の長さを持ち、これを振り回して前線で暴れたんだ。
 ちなみに蜻蛉切の由来は、この槍の先端に止まった蜻蛉が勝手に真っ二つになったことから名付けられたと言われているよ。」

 ツ「いや長い!こんなの振り回せませんよ!」

 天「実際様々な場所で目撃され、『蜻蛉が出ると蜘蛛の子散らすなり。手には蜻蛉、頭の角の凄まじき。鬼か人か、しかと分からぬ兜なり。」

 と言う川柳が出来るほどだった。」

 ツ「触れただけで切れる、6mの槍を持った怪物…怖すぎます。」

 天「しかし、彼の死に際は儚いものでね。ある時小刀で名前を彫っていると、誤って左手を切ってしまう。すると忠勝は『本多忠勝も傷を負ったら終わりだな』と死期を悟り、数日後に亡くなってしまったんだ。」

 ツ「うーん、最期は以外にもアッサリですね。」

 天「その際に辞世の句を残しているがこれがまたね…。

 『死にともな 嗚呼死にともな 死にともな
深き御恩の君を思えば』

 これが辞世の句なんだ。」

 ツ「どういう意味なんですか?」

 天「意味としては『死にたくない。ああ死にたくない 死にたくない まだ拾っていただいた恩を返してはいないのに』…って感じだね。」

 ツ「亡くなる寸前まで家康公を案じていたんですね。」

 天「彼ほど忠臣と言う言葉が似合う者もそうはいない。まさに徳川の守護神だね。」

 •島津義弘

 天「最後に紹介するのは、朝鮮を恐怖に叩き落とした鬼神、島津義弘だ。」


 ツ「なんか貴族みたいな格好してますね。」

 天「確かに見た目はね…。しかし、中身は貴族とは程遠く、あまりにも強くあまりにも暴れたために付いたあだ名が鬼島津!一対一では並ぶもの無しと謳われた男の中の男なんだ。」

 ツ「鬼島津…。」

 天「そもそも島津家は今で言う薩摩の前身に当たるものであり、中でも島津4兄弟と呼ばれる義久、義弘、歳久、家久がそれぞれ有能だった。

 義久を総大将とし、一致団結した島津を止めることは誰にも出来なかった。」

 ツ「そういえば、朝鮮がどうとか言ってましたね?」

 天「そう、秀吉が命じた朝鮮出兵にて、凄まじい戦いを見せた。

 泗川の戦いと呼ばれるこの戦では、様々な事情により日本軍はかなりの苦戦を強いられていた。

 と言うのも数かあまりにも多かったり、秀吉が亡くなったり、陸と海から挟み撃ちされたりとトラブル続きな上、川上忠実と言う武士が撤退に出遅れたりしたからね…。」

 ツ「川上さんは無事だったんですか!?」

 天「全身に矢を36も受けたがなんとか無事だった。しかも何百倍もの敵兵にも怯まず猛攻をしかけ、敵の将を討ち取る活躍をしたんだよ。」

 ツ「に…人間じゃない…。」

 天「更には食料の焼き討ちを行い連合軍を苦しめた。

 そんなこんなで始まる泗川の戦いだが、島津軍は5000〜7000人なのに対し、連合軍はなんと4〜20万人!圧倒的な人数差があったんだ。」

 ツ「弱い者いじめみたいな人数ですね。」

 天「しかし義弘はこの人数を『釣り野伏せ』と言ういわばおとり作戦でひっくり返し、連合軍は総崩れ。撤退する連合軍に対して義弘自らが現れ瞬く間に四人を討ち取り笑いながら敵を追いかけ回したそうだよ。」

 ツ「これはまさしく鬼島津です(戦慄)」

 天「資料によると、連合軍側が討たれた数はおよそ4〜8万、斬り捨てられた数は数知れず、島津側の死者は2人と言う島津軍の大勝だったそうだ。」

 ツ「バーサーカー集団じゃないですか!」

 天「更に島津は関ヶ原の戦いでも活躍した。西軍についた島津だったが、家康が勝つのが確実になったところで『島津には島津の撤退がある!』と言い、なんと家康の本陣を真っ二つに割り、前進しながら撤退すると言う化け物じみたこともやってのけたんだよ。」

 ツ「島津家全員サイヤ人でしょもう…」

 天「島津家のこの強さは厳しすぎるルールにある。

 「数人のチームを組み、誰も敵を討てなければ死罪」

 「チームメイトが殺された場合、殺した相手を殺さなければ死罪」

 「大将の首を敵に委ねてはならない。敵討ちが出来なければ1隊丸ごと討ち死にせよ」

 「大将の命令があったならば、全滅しても持ち場を離れるな」

 …とまあこんな感じだったみたいだよ。」

 ツ「これは戦闘民族もびっくりですね。」

 天「こんなヤバい家だから、『戦国ドリフターズ』と言う漫画にもかなりヤバい感じで出ている。更に知りたい方はそちらを読んでみるのもいいかもしれない。」



 ツ「ちょっと読んでみたいです。」

 天「さて、そしたら今度は人間の枠を飛び越えた怪物達を紹介しよう。」

 ツ「いやもういないと思いますよ?」

 天「甘いね。まさに真偽不明の怪物揃いだよ。

 さて、そしたら紹介していこう…。」

(都市伝説考察日誌第四十六頁に続く…)