angoの世の中フラリフラリと -229ページ目

たかが電車の座席の話なのに

有線

ではなくて
優先

これではどうも間に合わないらしく
最優先

少し前こんなお話が・・・・・

こうなったらドコまでエスカレートすれば・・・・

何だか公人らしい人まで困っていたような・・


優先列車と最優先列車を交互に運行すれば良いではないの


てかさ

優先席を作らないといけないということがもう既におかしいので・・・


だから
優先席があるのでそれ以外ではシランプリ
そういう使い方もあるってことで
シランプリで行けるのだし
ならば優先席も何も無いわけで
優先席には座ってはいけないという事ではないのに何故か座らない人ってのの偽善者振りが臭いわけで


空いているなら座れば良くて
必要があるなら譲ればいいのであって

そんな事がわかる位なら反対に優先席なんか元々必要が無いんで


あるっていう事は
分かっていないが故に作るんでしょうから
作ってみたところで分からないのは同じだから
最優先であったところで
超ど級の優先だったとしても
そういう事はどうせ分からないのだと思う

要らないと思う
優先席

あっても無くても同じなんだし
人が変わる為のサインだとしても今更人目なんて関係ないのだし

優先席も良くないと思うけど
ヤケニ小まめにあるパイプ
あれ邪魔だし
しかも隣の人と何だか偶然乗り合わせたジェットコースターみたいで

あんた達
思惑通りに座るセンス無いんでこのパイプで仕切りマッセ
見たいで
御陰様で心持ちが窮屈








Walt Nezmey 1951

ネズミーランドという世界には
ルールがあって
そのルールはその国に入ってきた人には感じないのだけれど
すべての人がそのルールにのっていると言うのがあって

そうだったなと思ってフラフラしていたらこれがあったのです

後でゆっくりと見よう

なので自分のためにUP


Follow The Yellow Brick Road

100

私は100なら良いとか500が無謀だとか
そういう判断をするだけの知識はないのです

ただ
500を100にした場合の変化は容易に想像がついたし

何だか仙台湾の鱸 が出荷を取りやめたり言うが
100の基準によってというような感じの報道もあったけれど

もう一年以上前に書いた事がやっと今になって報道に乗ってきたことに驚くのです

あの原発の北にある仙台湾には
北からの海流が陸伝いに逆流して
渦を巻いてその海流が一時停滞し
結果
実は駄々漏れらしい汚染した海水があの湾に留まるので
魚も貝も駄目でしょう

放射能汚染を嫌うことが出来るような国だとして

まぁ
そうなのでしょうけれど

魚もそうだけど
牡蠣
これは養殖が形として復活したけれど
出荷が出来るとは思ってはいなくて

100の話で行くのなら
それほど現場に近くなくても
東京湾の魚は既に危険水域の魚で

今年になっての報道によれば
どこだかの山女がとか
椎茸がとか
本当はそういう事
他も含めてあの瞬間にわかっている筈の事で

あの図がどの程度現状に忠実かは兎も角
11時方向に引っかいたような傷の赤い表現の張本人が今では政商と組んでのメガソーラービジネスの担当者だというのだし

既に現実で
起きてしまっている事に起こってみても仕方がないし
何がどうではないけれど

起こした側の人が安泰というのがどうも納得が行かない

とは言え
起きている事に一々納得を求めていたら限がない
今時は納得の行かない時期で
そういう歴史物語に中に生きた過去の人間として将来記憶されればそれで済むのかも知れない

時の権力者の能力に右往左往して死んでゆくのが市民の役目なのかもしれない

ああ
なんと角の取れたこの今の心境

自分に腹が立つ

かな?


立たないな


こうやって人は駄目になって行くのでしょう



不思議ではない不可思議物語

政治の話は
何かと目立つものにばかり一生懸命になって
しかもそれが難航しているかの錯覚に陥るのです

本当の政治家の人というのは実にこまめに手早く仕事を進めるわけで
日々じわじわと出来上がって行く世の中の殆どは表になんか出ない実に忙しいけれど話題にならない事で出来ている訳で

古い言い方で言えば
市民と為政者というのは別の世界に住んでいるので

一市民から見た為政者
為政者から見た全般としての市民

これはまったく違う感覚で
どこかで交差するような物ではないはずでしょう


市民感覚の政治なんていうのは私個人は信じないのです
要するに 
今の市民感覚を刺激するのなら
別にばら撒きで良いわけで

欲しがるだけの市民をつかめば天辺取れるなら
其れでとって何が悪いという事になる

それで・・・・

そのことでの問題は今感じてもいない


何もかもが
法律だけで決められている訳ではないし
政権が変われば
識者といわれる人の質も変わるし

何もかも官僚が役人がというけれど
役人は出世がしたいのだから大臣が代われな役人だって七変化

表に見えないところでこの国がどう変わって行くのかと言うことをとても気にすれば

せっかくの参政権だ
迂闊には使えないのだけれど

政治が難しいとか解かんないとか
参政権は返納すべき層が約半数もいる

解かっていたところで普段の会話には乗らない

意識が薄いのだからどこで何が起きても不思議なことなんてひとつもない




在日コリアンが日本に要求し実現したもの、まだしていないものリスト

○1.公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)
○2.永住資格(非権利)
○3.犯罪防止指紋捺印廃止
○4.所得税・相続税・資産税等税制優遇
○5.生活保護優遇
○6.永住資格所有者の優先帰化
○7.民族学校卒業者の大検免除
○8.外国籍のまま公務員就職
○9.公務員就職の一般職制限撤廃
○10.大学センター試験へ韓国語の導入
○11. 朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
△12. 民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格
×13.在日外国人地方参政権
×14. 公務員就職の管理職制限撤廃
△15. 掛け金無しで年金受給可能

○:実現済み。
△:実現中。
×:要求中


長閑でよろしいのです

本当に困っているのなら
行かせなければいい

行かせてしまって
外務省も同行で

勝手な行動です
困りましたというのは

タブン困っていないか
なぜ困るのか解かっていないか




困ってはいないと思う




この政権の始まりの問題点は外交上の常識破りのいい加減さで
そうだった筈で
現在外交担当
だから勝手な行動は実は勝手ではないのでしょう

あの人は個人的にうれしいのだろうけど
国民は本当ならば迷惑がるべき事なのだけれど
「いらん外交」
そんな言葉でふざける報道に
ばかだねぇ
そんな調子なのかもしれない

本当の馬鹿は
そういう人が国の顔で外に出ることを傍観している国民だと表の人は思うだろう


東南アジア一帯と比べるなら
我が日本人は最も政治を気にしない
気にしているかどうか知らないけれど口にしない
そういう態度は無関心や無知と同じ

そういう事を知っているから勝手ではない勝手な行動をとりやすい


どこまで何を崩壊させたいのかなぁと思うけれど


やはり今日は雨が降って
傘がないのは良いけれど
こういう中で自転車のパンク
神秘主義者なら
私は何かを試されている
試練だ
頑張ったりしちゃうんだろう

どんな無理をしても苦にならないけれど
我慢はできません


無関心が一番






不真面目に対する真剣な不真面目な感覚

仕事だからとそうされても意味が無い

仕事なので
そういう立場なので

それでは駄目だ

そうでなくなった時
貴方は何になっているか想像すらつかない


こうですが
そういう立場ですが
そういう看板でしょうが

私は私なのでそうはしませんできません

その立場になったのもそういう仕事を請けたのも
誰かではなくて私です

私ではない誰かならそうするのならそうすればよかったし
それだけの事でしょう

貴方の間違えに対する不満は私は解決できません
そうでしょ

あえて言うなら私は貴方をだました訳ではありません

只貴方が私を安く見積もったもです




つまり
良いかそうではないかの判断はつかんのです


つかないけれども有るんでしょう


そうしてもしなくても
どうでしょう
それほど簡単ですか


私は私のとき
貴方は貴方だからとは思わないので
私の人は貴方を解かる事は出来ず


そういうことなので
仕事というのは
何も我慢する事無く無理すれば大凡うまく行くので
だけれど
無理すらせず我慢はしないので



無理できる位面白くないのなら
我慢したところで時間の無駄


無心に遊べる心を取り戻したほうが有意義なのだろうと思う









La Reine De Saba

野良復活 ・・

とがった猫で18年


改めて見ると
丸い上に硬そうだなと思って
近寄ってきてほしいものだけれど

猫と人が遠くて


犬は
近くなんだろうけれど
紐を持たせている人間が
何だか違っているので

交差点の犬が見上げて
どうよ?

どうなのよ

青になったら・・・・・・・・・
緑だけど

青になるまで目で話すと

猫は
犬よりは人間かもな


そうおもう




酔えば書くのこと

また消えたのです
どうせ
銘柄の違う日本酒の所為でしょう




この人は
真剣に的外れで
一生懸命で
然程生きる気も無く

かといって死にそうな自分の様子をやたらと周辺に撒き散らして
心配される中で何等言う事を聞かず
かといって嫌われず

この人の死に周辺は涙したでしょう
生きている時間と
死を境にした時間と
その時の過ぎ去り方がとても落ち着いている
そんな感じの人で

脂汗で生きる様子なんて欠片も見えず
弱く太く
とっても短く













尾崎放哉





 土庄の町から一里ばかり西に離れた海辺に、千軒といふ村があります。
島の人はこれを「センゲ」と呼んで居ります。この千軒と申す処が大変によい石が出る処ださうでして、誰もが最初に見せられた時に驚嘆の声を発するあの大阪城の石垣の、あの素破らしい大きな石、あれは皆この島から、千軒の海から運んで行つたものなのださうです。
今でも絵はがきで見ますと、其の当時持つて行かれないで、海岸に投げ出された儘で残つて居るたくさんの大石が磊々として並んで居るのであります。
石、殆ど石から出来上つて居るこの島、大変素性のよい石に富んで居るこの島、……こんな事が私には妙に、たまらなく嬉しいのであります。
現に、庵の北の空を塞いで立つて居るかなり高い山の頂上には――それは、朝晩常に私の眼から離れた事のない――実に何とも言はれぬ姿のよい岩石が、たくさん重なり合つて、天空に聳えて居るのが見られるのであります。
亭々たる大樹が密生して居るがために黒いまでに茂つて見える山の姿と、又自ら別様の心持が見られるのであります。
否寧ろ私は其の赤裸々の、素ツ裸の開けツ拡げた山の岩石の姿を愛する者であります。恐らく御承知の事と思ひます、此島が、かの耶馬渓よりも、と称せられて居る寒霞渓を、其の岩石を、懐深く大切に愛撫して居ることを――。

 私は先年、暫く朝鮮に住んで居たことがありますが、あすこの山はどれもこれも禿げて居る山が多いのであります。
而も岩石であります。之を殖林の上から、又治水の上から見ますのは自ら別問題でありますが、赤裸々の、一糸かくす処のない岩石の山は、見た眼に痛快なものであります。山高くして月小なり、猛虎一声山月高し、など申しますが、猛虎を放つて咆吼せしむるには岩石突兀たる山に限るやうであります。

 話が又少々脱線しかけたやうでありますが、私は、必ずしも、その、石の怪、石の奇、或は又、石の妙に対してのみ嬉しがるのではありません。
否、それ処ではない、私は、平素、路上にころがつて居る小さな、つまらない石ツころに向つて、たまらない一種のなつかし味を感じて居るのであります。
たまたま、足駄の前歯で蹴とばされて、何処へ行つてしまつたか、見えなくなつてしまつた石ツころ、又蹴りそこなつて、ヒヨコンとそこらにころがつて行つて黙つて居る石ツころ、なんて可愛い者ではありませんか。
なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛惜を感じて居るのでせうか。
つまり、考へて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々としてだまつて居る……其辺にありはしないでせうか。
いや、石は、物が云へないから、黙つて居るより外にしかたがないでせうよ。
そんなら、物の云へない石は死んで居るのでせうか、私にはどうもさう思へない。反対に、すべての石は生きて居ると思ふのです。
石は生きて居る。
どんな小さな石ツころでも、立派に脈を打つて生きて居るのであります。
石は生きて居るが故に、その沈黙は益※(二の字点、1-2-22)意味の深いものとなつて行くのであります。よく、草や木のだまつて居る静けさを申す人がありますが、私には首肯出来ないのであります。
何となれば、草や木は、物をしやべりますもの、風が吹いて来れば、雨が降つて来れば、彼等は直に非常な饒舌家となるではありませんか。
処が、石に至つてはどうでせう。雨が降らうが、風が吹かうが、只之、黙又黙、それで居て石は生きて居るのであります。


 私は屡※(二の字点、1-2-22)、真面目な人々から、山の中に在る石が児を産む、小さい石ツころを産む話を聞きました。又、久しく見ないで居た石を偶然見付けると、キツト太つて大きくなつて居るといふ話を聞きました。
之等の一見、つまらなく見える話を、鉱物学だとか、地文学だとか云ふ見地から、総て解決し、説明し得たりと思つて居ると大変な間違ひであります。
石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。
必ず異口同音に答へるでせう、石は生きて居ります……と。
どんな石でも、木と同じやうに木目と云ったやうなものがあります。
その道の方では、これをくろたまと云って居ります。
ですから、木と同様、年々に太つて大きくなつて行くものと見えますな……とか、石も、山の中だとか、草ツ原で呑気に遊んで居る時はよいのですが、一度吾々の手にかゝつて加工されると、それつ切りで死んでしまふのであります、例へば石塔でもです、一度字を彫り込んだ奴を、今一度他に流用して役に立てゝやらうと思つて、三寸から四寸位も削りとつて見るのですが、中はもうボロ/\で、どうにも手がつけられません、つまり、死んでしまつて居るのですな、結局、漬物の押し石位なものでせうよ、それにしても、少々軽くなつて居るかも知れませんな……とか、かう云つたやうな話は、ザラに聞く事が出来るのであります。
石よ、石よ、どんな小さな石ツころでも生きてピンピンして居る。
その石に富んで居る此島は、私の感興を惹くに足るものでなくてはならない筈であります。

 庵は町の一番とつぱしの、一寸小高い処に立つて居りまして、海からやつて来る風にモロに吹きつけられた、只一本の大松のみをたよりにして居るのであります。
庵の前の細い一本の道は、西南の方へ爪先き上りに登つて行きまして、私を山に導きます。
そして、そこにある寂然たる墓地に案内してくれるのであります。
此の辺はもう大分高みでありまして、そこには、島人の石塔が、白々と無数に林立してをります。
そして、どれも、これも皆勿体ない程立派な石塔であります。
申す迄も無く、島から出る好い石が、皆これ等の石塔に作られるのです。
そして、雨に、風に、月に、いつも黙々として立ち並んでをります。
墓地は、秋の虫達にとつては此上もないよい遊び場所なのでありますが、已に肌寒い風の今日此頃となりましては、殆ど死に絶えたのか、美しい其声もきく事が出来ません。
只々、いつ迄もしんかんとして居る墓原。
これ等無数に立ち並んで居る石塔も、地の下に死んで居る人間と同じやうに、みんなが死んで立つて居るのであります。
地の底も死、地の上も死……。あゝ、私は早く庵にかへつて、わたしのなつかしい石ツころを早く拾ひあげて見ることに致しませう、生きて居る石ツころを――。