angoの世の中フラリフラリと -172ページ目

まだ途中

昨夜は冷えましたのぉ
砂が冷たかった

朝テントの中は蒸し風呂で
海岸にはサーフィンの連中がどっさり居まして
こんな入り江でも最近は波がたつのですね
腰よりは高かった


眺めてたら
10時過ぎちゃって

テントの中整理してたたんで
どっぷり疲れて眺めてたら
11時過ぎちゃって
観光客の振りして大仏見て
インドとロシア
たくさんたくさんよ
ちゅうこくじんいないいない

七里ガ浜のデッキで優雅にジャンクで
おお
江ノ島江ノ島
人ばかっりで詰まんないのは当たり前で
洗濯したくなったので藤沢のほうに行けば
も~しかしてコインランドリーとかあるのかと思いきや
見つからないし
大要見ながら移動していたら何の事は無い鵠沼の駅に出て
海沿いに作ったらしい海岸の遊歩道
ゆるゆる走りながら相模川
そこにキャンプ場がある筈だったけど
そんな感じじゃないし
相模川を渡って平塚大磯
もうどうでも良くなってきて
その頃には日が沈みかけてきて
暗くなると道路の傾斜が気にならずにズンズン進む
もう少しで早川の河口らしい

マックの人がさっき言ってた

じゃその辺りまで行こうと思うけど洗濯がしてない
あの街中で川辺にテント張れるかな
という事はあまり気にしていないのです
洗濯はオバQ式でいいんじゃないの

テントだって
張っちまえばこっちの物さね
朝まで気が付きゃしないでしょう



平和市場

HUAWEI
アメリカへの参入を狙っているが
これにアメリカは真っ向から対抗できない
不当な障壁になるという中国側の言い分があれば
アメリカはこれを受け入れるしかないでしょう

オーストラリアでもこの企業には際限を掛けているし他ではまったく拒否している場合も良くある
日本では
これは世界最大のシェアーをもっている信頼性抜群の商品です
当社としては一応アメリカ製も扱ってはいますがこれはお勧めしません

そう売り込むのは
イーモバイル

そのイーモバイルはソフトバンクが買いに出る
その白い電話がアメリカの企業買収に出ようとして株価をストップ安まで下げた

なんて言ってはいるは私はそのHUAWEIの末端を使っているのである
この企業は
人民解放軍OBの立ち上げた企業である
そんじょそこらの民間ではない
何処の国だって情報の駄々漏れがいやで嫌われている企業だ

私の情報なんて何でも無いからどうでもいいと思っている
今後これがスマホに出るので
アメリカはピリピリしている
不味いぞ拙いぞ

多分日本ではこいつはいいぞで売りに出るだろう
安いに決まってるし
買うんじゃないよ

中国とか
そこの共産党とか
そこと人民解放軍の事とか
知らない人が買えばそれでよろしい

知ってって応援するのもいいんじゃないか!

お前使ってんじゃん!
というでしょな

頑として売りたがらないなら
アメリカ製買えないジャン
どうせ漏れて変な情報で活躍する訳無いしだね
どうでもいいのだよ

意識というのは低いに限る
悟ったね

なんちゃって


どっちにしても
ソフトバンクと中国の関係がまた深まる

携帯?
白いのだよ

何だよお前!

しゃあないでしょ
ポリシー判る前に
急いで買ったんだし
止めるとぼったくるんだし

カラマレタんだよ
知らない内に

ワン!



イブ・モンタン

この爽快な軽快な感じは
胸突き八丁の無い
風の吹かない
暖かでも汗のかかない
そういう感じです

自転車での景色の変化を楽しんでいるようです


何処吹く風 

外に出たら10シーベルトです
収束しました

復興予算は撤回を含めて考え直しましょう

外国に人に援助は大歓迎です

増税もして

その分横領もして

民間活力は便利です
勝手に生きることを模索します


寝よう

酔っ払いの記憶と窓とか 

その日
私は随分加速が付いていましたから
間髪開けずに呑んだのですね

それで
多分色々忘れてしまっていたり
記憶の抜けがあるでしょう

高田渡の口癖は
歌わない事が一番いいんです
だった

歌わない高田渡が居ても
高田渡だったと思うのです
歌う高田渡と同じだったでしょう

私の場合
仮にそうなら
描き続けなさい
そういう事になるかも知れないけれど
描く事は然程大事ではないのです

描かない事が良いではないけれど
描く前に煮詰める事が出来ないのなら
描いても仕方がありません

実は
籠れるのならば日の光などに当たらず
歩かず
ベットの脇にイーゼルを立て
一日の生活を90度の範囲で終わっても良いのだと
そう思えるだけの物に会えるのなら
小さな窓があればそれで事足りてしまう
理想の小さな窓には屋根があるだろうと思うけれど
窓は屋根に勝つだろう

元々絵というのは
壁掛け式の窓だ

窓でいいでしょう
絵という物体にしてしまえば
その絵の存在が物になってしまう

物にならないその窓で
吸い込まれる
それでいいでしょう

お気に入りは
ミロの
月に吠える犬

月に吠える犬というのは
人間という意味だと解釈されるけれど
それがそう描かれているような窓だ

ミロがどういう人だったか知りもしないけれど
それで
それがどうしたと言うのでしょう

窓がよければ
その前に立ち止まるものです

見せる為に絵など描かない方がいい


今日の暗い海には明かりが無い 

コルテオ

この曲は
いつでもそうですが
今日はとてもいいのです

こちらの勝手ではありますが
そういう気持ちなのですね

私はここに居ない

屋根は堕落する
で始まった先ずは一週間
ドンドン居なくなります

既にこの海岸は何処の国でもない只の夜になりました

とても現実的な事を言うと
浅田次郎が本を書かなかったら
一本の映画が出来ず
タイの路上でコピーが売られず
私はそれを見ず
この歌い手を知る事は無く

この曲にも会う事は無く
そういう事です

只それだけの事でしかないのでした
それが総ての時間の中にある出来事の極普通の事なのでしょう

昼間
目の前の水平線に大島が見えました
海の潮風に霞んで見えました

コルテオ




報道から外された情報に怒っている津川雅彦のブログ

津川雅彦が怒っている
私はあの
大江健三郎という人の文字を読みたいとも思った事が無いが
その詳細に付いては此処では書かない方が身の為だと思うので書かない
大人になったのであろう

このノーベルに
どういう意味があるものか知らないけれど
この人遣ってくれた!
しかも新聞各紙はまったく報道を拒否した

それに付いて怒っているのである
もっとも
津川雅彦氏が怒っていない事はあまり無い
怒って更新するのが私は好きで読んでいるのでした

まぁ
日本の事など気にするのは右翼だという人は読まないほうがいい
大江健三郎の心情は兎も角
あのノーベル受賞に感じた違和感からあの人の文字を見たくないのである

津川雅彦氏は
とっても怒っている


ここで
サンタの隠れ家

旧澁澤龍彦邸

今日は
由比ガ浜から離れない事にした

まずはすぐ近くの滑川沿いの小町と言う所にいた頃の澁澤邸を眺めに行った

滑川は私の信じるところに依れば
鮎が遡上するのである
二級河川で由比ガ浜に注ぐ小さな川だけれど
由比が浜には鮎が群れで入り
それにつられて鱸などが入り
その鱸を私が釣ったのがもう四半世紀ほど前なのだけど
滑川の様子は変わらないように思うし

やっぱり今だって鮎が遡上するという事にして置きたいのである

旧澁澤邸は
その滑川に掛かる東勝寺橋の袂にあって
よく本で紹介される写真では
何となく坂を感じていたのだけれど
海抜7メートルほどの平たい今では住宅の沢山になった辺りに残っていたのです

二階の窓から見下ろしたらこの滑川は贅沢な景色だろうと思う
小さな庭の無い二階建てで
今は表札の無いしかし町会の役員の人が住んでいるらしい事だけが判る

とんでもないのが時々カメラを向けに来るのかどうか知らないけれど
私の様なのも居る訳だから
という訳ではないでしょうけど静かな家ではありました





滑川の対岸に下りたところに
小さな一休み出来そうな空間があった
ゆっくり流れる水に鴨が浮いている
覆い被さった枝の向うに
かつて澁澤龍彦が
籠り
書いていたのですなぁ

たまにはミーハーでいいのです




angoの世の中フラリフラリと

angoの世の中フラリフラリと


そこまで来たら後は北鎌倉の澁澤邸か・・・
これも特に面倒な場所ではない
紫陽花寺のすぐ近所なのだ
明月院の拝観料について
どこかで澁澤龍彦が書いていたようにも思うけれど
これだけ寺だらけの鎌倉でひとつ位は入ってみるか
今紫陽花は無いから人がいない
静かでいいと思ったが
こういうところにシーズンオフがあるのか
奥の庭は公開していない
あれもこれも此処より先立ち入り禁止で
用も無ければ本堂に近付くな
兎に角禁煙札と立ち入り禁止の札を見せるのに300円は高いと思ったものです

それでも
明月院やぐら
抉れた洞穴様な空間に直に彫られた仏には
和風のグロッタだと思えば
立ち止まって眺める何かがあるのでした
北条時頼の墓所なども
こじんまり苔生しておりました

澁澤邸は
今でも在るとは思うけれど
しかも迷うような場所でもないけれど
見つからなかった
見つからなかった事が良いのではないかと思って
近所の人が居たのだから聞けばわかっただろうけど

妙にその
見つかりませんでした
という言葉が気に入ってそのまま帰ってきた

家があっても
居ない人には会えないのである

だからそれでいいのでした






海岸で雲 

手が届くのか届かないのか判断できない夜の雲は
ただよう様に綿雲で
海岸の波は小波の白を闇の中に描いては消し描いては消し

私は脇に置いたコップのワインで
雲を眺め
水平線に明かりが浮かんでいる





 

官僚・政治家の構造がわからない

官僚が並々ならぬ努力と不条理の中で篩にかかる事はわかる
その篩の質が変わったとき
篩に残るものもまた変わるだろう

何かと評判のよくない官僚というものへの意識が
篩の質の変化を無視したものだったとすれば
実に巧みな意識操作ではある

政治形態がどう変われどもそのブレーンの形態が変わらずでは政治が機能しない
官僚の小間使いという表現
二人三脚であるという事だってある

そういう事を考えるのは私の無知なのか?
和解してやって行けると発言した事に対するある危惧でしかないのだけれど