今日は国際女性デー | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

この社会では、女性が差別や抑圧など不当な扱いを受けた時にも怒らずに落ち着いて冷静に振舞うことが暗黙のルールになっていないでしょうか。

実は、「怒らず冷静に」とは多くの場合、女性が「周囲に認められるために」と自発的に始めてきたことでした。ここが問題の発端です。男性中心の社会で女性は「引け目」を感じがちでした。女性が周囲に認められるためには、まず自分が相手を理解することが必要だ、という心情から「一歩下がって」そう振舞うということでした。
しかし、女性がそう振舞っても、社会での女性の立場は良くなっていません。そのことに気づけていない人が多いのではないでしょうか。
いま、「怒らずに冷静に振舞う」ことを続けていることが「対話のために必要なこと」から「女性だから沈黙を強いられている」に気持ちが変化した女性が増えています。ツイッター上の国際女性デーに関連した投稿を見ていてそう感じます。

なぜそうなってしまったのでしょうか。
女性の多くが「文句があるなら自分に合った会社に行けばいいです」と言われるのではないか、と恐れるあまり、口に出せなかったからです。「女性は不利な立場にある。我慢しないといけない」になり、我慢だけが積み上げられ、最後にはまるでコップの水があふれるように「これ以上我慢できない!許せない!」となったのです。

このことに、社会はどう向き合えばいいでしょうか。
「そんなことないですよ、思い違いです」では女性は「ごまかそうとしている」となってしまいます。
「誤解させたならすみません」では女性は「形式的な謝罪に過ぎないのではないか」となっています。
これではやがて訴える女性を「モンスターだ」と感じ始めてしまい、面倒だと避けてしまう人も出てきてしまうかもしれません。

「言えばよかったのに」「女性は我慢しなくていい、怒っていい」よりも、 「みんな、女性がひどいことをされても怒らずに落ち着いて振舞っていたことに甘えていた、気付けなかった。申し訳なかった」と女性に歩み寄る。
「私も働いて役に立ちたかった」という女性の心情を叶えようとする姿勢。
それが解決の一歩ではないでしょうか。

これは女性だけに限らず、どの多様性でもそうです。障害者雇用とかでも。

 

今日は国際女性デーです。