障がい者を健常者と同じように扱わなければいけないという教育の誤り(ミルマガジン) | 艶(あで)やかに派手やかに

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障がい者を健常者と同じように扱わなければいけないという教育の誤り(ミルマガジン)

 

障害者と健常者を分けるのが差別だからといって、仕事は厳しいものだからといって、「障害者だからといって特別扱いせず一般社員と同じことを求めます」これは正しいことでしょうか。

これは成果を求めることに比重を置きすぎた職場に多いです。軽度のちょっと頭のいい障害者だと、ある程度健常者と同じ成果を出せることがある(というか出させたくなる)のです。本人も障害者扱いされないように成果を出そうと頑張るのです。しかしそれでは障害理解は進みません。「お、できるなら次はもっとやってもらおう」となり、要求水準がどんどん上がっていきます。これではいつか破綻してしまいます。

 

同じように評価するというのは、「給料をもらうからには働くプロとして努力してほしい。」「自分の障害をできない言い訳にしてもらいたくない。」ということではないでしょうか。このような強い思いを持った担当者がいる企業は、たくさんの理解をした結果、それだけの実績を多く残してきたのでしょう。ミルマガジンのコラムは、マネジメントについて、企業成長について、問いかけをしています。

 

管理職に求められる職場のマネジメントに必要だと思うことは、「個々の個性を掴み最大限のパフォーマンスを出すには何を準備してあげられるのかを考えて実行すること」ではないでしょうか。簡単にいかないのは分かっていますが、こういうことではないですか。

本来、従業員のパフォーマンスを最大限引き出すために、最適な部署に配置したり、そこで不足しているものがあるなら補うものを用意するのが会社だと思うのですが、今は現実に合う人材しか必要ないと言い切ってしまう企業が多いと思います。これは、明らかにマネジメント放棄です。健常者の場面でも見られるのですから、障がい者であれば尚更です。

もうひとつの「企業成長の放棄」とは、会社は人で成り立っているという根本的なことを忘れている気がします。個々の個性を掴み、最大限のパフォーマンスを発揮させるためのマネジメントを放棄してしまうということは、個人の成長をストップさせてしまいます。個人の成長がなくなれば、企業はこれまでの惰性だけで進むことになりますので、いずれは企業の成長もストップしてしまいます。

「マネジメントの放棄」「企業成長の放棄」という環境で働く従業員は障がい者と働くことをどのように感じるのでしょうか。個々の個性を尊重せず、自分たちと同じことを障がい者にも求めることになるでしょう。できなかった結果として、受入れることを拒否してしまうのではないでしょうか。(ミルマガジン)

 

最近はそれこそ多様性を方針に掲げながら、個性が認められるのは成果を出していることが前提であり、その成果とは健常者のできる人と同じこととした結果、障害者が誰も入れない・定着できない職場になっている、という話も聞きます。もしあてはまりそうならば、それは見直しを急ぐ必要があるのではないでしょうか。

そういう職場は、障害関係なく負担が非常に大きく、人の入れ替わりが非常に多いことも少なくありません。「健常者も厳しい職場でなんで障害者だからって特別扱い?」となり、合理的配慮なんて起きにくいでしょう。

それでは、障害者雇用率は大幅未達で罰金どころかハローワークから指導が入り、企業名公表処分も含めた非常に厳しい状況になっていきます。また今なんとかやれてる人もいつか体に限界がきて働けなくなり、そして人材不足で苦しむことになります。日本が人口減少社会になって労働人口自体も減っています。それが現実です。

 

けれど現実を受け入れ、新たに変化することで、得られるメリットがあります。

人を育てる仕組みができて人材確保に困らなくなること、障害者以外の人材にも応用できるようになること、従業員の期待値が向上すること、そして企業成長。

 

能力的に限られた人しか働けない職場と、新卒も障害者も女性も外国人も含めた色々な能力の人を育てて戦力化できる職場は、後者の方が強く成熟した職場です。

既定の範囲内に収まる結果が求められる仕事は、ある程度AIに代替できるようになりました。人口が減少し、かたや世の中が便利で快適になってきた分、抑え込む・切り捨てるのではなく活かすマネジメントができる企業が、成長するのではないでしょうか。

 

こうした発信がその気付きとなるきっかけになればと思います。