「手足麻痺克服し富士登山」の男性が、26日フジテレビ奇跡体験アンビリバボーに出ます | 艶(あで)やかに派手やかに

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フジテレビ 奇跡体験アンビリバボー

9月26日(木) 19:57〜21:54

仲間たちとの12年越しの約束を果たすため富士登山に挑む!

2007年8月、慶應義塾大学ラグビー部で起こった悲劇。
当時1年生の杉田秀之さんは夏合宿の練習試合中にスクラムが崩れ、頚椎、頚髄を損傷。手術により一命を取りとめたが、生涯歩くことはできないと診断された。そして、合宿の最終日にチームワークを強化するために予定していた富士登山は急遽中止となった。「一人でも欠けたらチームじゃない。杉田が良くなったら皆で行こう」 杉田さんと監督はそう約束をした。
その後、再度手術を行うも変化はなし。しかし、手術の約10日後、奇跡的に右足の親指がぴくりと動いた。希望が見えた瞬間だった。その後も懸命にリハビリをした甲斐もあり、少しずつ運動能力が改善してきた。しかし自分の“障害”と向き合う時間も増え「どんなに頑張ってもラグビーはもう一生できない」と悟った杉田さんは、お見舞いに来てくれたラグビー部の仲間たちにも辛く当たってしまう。そして、仲間たちもまた、突然ラグビーができなくなった杉田さんにどう接すればいいのか戸惑っていた。

そんな中、杉田さんに連絡をし続ける部員たちもいた。「戻ってこい」という声に押されて怪我から約2年半後、データ分析係としてラグビー部に帰ってきた。杉田さんはプレーでチームに貢献ができなくなった今、自分が仲間たちのために何ができるか考え、徹夜でモチベーションビデオを制作した。チーム一丸となって挑んだ因縁の早慶戦で10年ぶりに早稲田大に勝利。その後、杉田さんは大学卒業も果たし、就職した。10年以上が経ち、30代になったラグビー部の仲間たちはそれぞれ結婚。式で顔を合わせることも多くなった頃、急遽中止にした富士登山の約束がどうなったか、実現しようと話しすることも増えた。…と言っても、まだまだ体に麻痺が残る杉田さんは、またいつもの冗談だと笑っていたが、次第に杉田さん自身も本気でチャレンジしたいと思うようになった。
こうして「富士登山計画」は10年以上の時を経て動き出した。
あの悲劇以来、蓋をしていたそれぞれの想いが溢れ出す。
チームの絆を本当の物にできるのか!?