容疑者の精神障害が報じられているのが気がかり | 艶(あで)やかに派手やかに

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友人らの住所探る 飯森容疑者 事件直前には「体調不良」(産経新聞)

 

容疑者が精神障害の手帳を持っていたことが報じられているのが気がかりです。

ひきこもりの事件もまだ記憶に新しい時に。

 

昨年の新幹線での殺傷事件の時にも「容疑者は自閉症」と報じられ、炎上したことがありました。その時に書いたものをもう一度。

 

精神障害者や発達障害者は「偏見にさらされている」「差別されている」ということに敏感で、健常者や社会に恐怖感をもつ人が多いです。

それが悪いと言っているわけではなく、偏見や差別にさらされてきた人、ひどい虐待を受けてきた人が他人や社会を怖がるのはある意味当然です。「誰かが自分のことを悪く言っているかもしれない」「また悪く言われるかもしれない」と常に緊張しているのです。しかし、それが歪んだ形になり、社会と対峙する方に向かわないようにと思います。人に受け入れられる体験を通じて強すぎる恐怖感が緩和されるといいですね。そういう人がやがて社会を良くするパワーを持てるようになるといいなと思います。

 

ある論調に対して、異論を言うのはありだと思います。

問題はその伝え方と、伝えた後のこと。

「加害者であることを認識して反省しろ」的な糾弾闘争を展開し、批判し謝罪させればいい、というのではなく、当事者と新聞社の溝を埋め、相互理解するところにもっていきたいもの。

メディア側も、彼らが何に困っているのか、何を偏見や差別と感じるのか、どんな表現なら納得するか分からなくて困っているのです。当事者側もそれを理解したいですね。

ここで伝え方を誤ると、当事者の声が健常者側に曲解され、「被害妄想の強い障害者がささいなことでギャーギャー騒いでいる」だけで片づけられ、さらなる誤解や偏見にさらされることがあります。(ささいなことではないですが…)声を上げたことを後悔するなど二次被害に苦しんだ当事者もいます。

あなたが一当事者で、うまく伝えられないなら、言わない方がましです。

つまり、当事者の立場も様々であり、うまく伝えられない人にまで、抗議する「べき」と言うのは逆効果だということです。抗議が絶対正しいという空気になり、よかれと思って、声を上げたくない人にまで「なんで抗議しないのよ」と言う人が現れなければいいですが…。(ちなみにセクシャルマイノリティのカミングアウトにも似た問題があります)

 

そして、一当事者で言うのではなく、実務寄りの人や有名人も一緒になって言うと、より効果があると思います。

障害者報道は障害者だけが考えればいいのではなく、健常者も一緒に考えることです。正直、障害者だけで考えると感情的な糾弾闘争になりやすく、結局「反省しろ」的な人しか参加できない空気が漂う場になりやすいです。そういうパターンを断ち切り、様々な視点を持つ人が混じる方が、良い結果になると思います。

大丈夫です、理解しやすい人は言ってくれます。理解しやすい人から理解します。

 

ひきこもり当事者の声を発信するサイト「ひきポス

ひきこもりや精神障害の家族を何とかしたい人は、こちらで情報を得てみるのもいかがでしょうか。