「障害者が外に出る」という視点で平成の時代を顧みると、バリア解消は大きく進みましたが、道半ばです。特にソフト面での「こころのバリアフリー」については。
「こころのバリアフリー」に絡めて、「障害者が直面する健常者社会の壁」(障害者に対する健常者の偏見、差別、理解不足など)といった問題がよく取り上げられます。
時折これに乗っかって、日本社会・国・企業・学校などに対して非常に批判的な主張をしたり、健常者の言葉を一つ一つ被害的に受け取る障害者もいます。
健常者にはそれを聞いて「何かしなければ」と思っている(でも多くの場合何をしたらいいのかわからない)人もいます。
その一方で、「差別者扱いされ要求されている(そして年々要求水準が上がっている)ようで、嫌な言葉」と受け取る健常者もいるかもしれません。
障害者でも「健常者攻撃や社会批判の言葉のようで、控えなければ」と思う人もいるかもしれません。
以前に比べて障害者と健常者が関わる機会が増えたのは良いことです。しかしながら、双方が互いのことを知らないがゆえに、互いに遠慮しすぎたり、逆に互いに都合を押し付けたりして、うまくいかないことがあります。
健常者は、「障害者はできないことが多くつらい思いをしてきたから」「無理させてはいけないから」と思い込んで、真綿にくるんで傷つけないように接することがないでしょうか? また、このような扱いがいけないからといって、障害者本人の希望や経験の違いを斟酌せず「障害あっても関係なく健常者と同じように扱います」と言って、厳しすぎる態度をする健常者もいるのではないでしょうか?
逆に障害者は、「健常者は順風満帆に生きている」と思い込んでいるのではないでしょうか? 自分が困っているにも関わらず、必要のないことまで頑張りすぎたこと、障害ゆえに、経験がないゆえに、できない自分を責めたことはありませんか? また、このように自分を責めなくていいからといって、開き直ったように、周囲の健常者に対し理解を強く求めすぎる障害者もいるのではないでしょうか?
さて、これから私たちはどこへ向かうのでしょうか?
インターネットでかわいらしい漫画・イラスト作品を発表している車椅子当事者の茶豆和菓子(ちゃまめ・わかこ)さんという方が、「双方向バリアフリー」という考えを語っています。
茶豆さんは、「元気な人が不自由な人を思いやって、助けてもらう側もその優しさに感謝をして助けてくださる元気な人々の苦しみを想像して寄り添ったら・・・ほら、優しさの天秤が釣り合いますよね・・・! 健常者は障害者の、障害者は健常者の、お互いがお互いのツラさを思いやり、臨機応変に譲りあうことこそが大切だと思うのです!」と伝えています。
茶豆和菓子のおは・きな・ずん!(イラストはこのリンク先より引用)
こころのバリアを健常者社会の側の一方的な問題として考えるのではなく、障害者と健常者の両方に関係する双方向の問題として考えよう、ということです。「建設的対話」ですね。
このことは、人間関係のダイナミズムや、人間の多様性の問題につながります。「障害者」を「多数派と異なる事情を抱えた人」に置き換えてみましょう。「(男性社会に対する)女性」も、「LGBT」も、「外国人」もそうです。
平成は1989年1月8日から2019年4月30日まで30年113日間続きました。これから30年後、新元号「令和」の時代をそれぞれの当事者はどのように振り返っているのでしょうか?
番外編:手話で「令和」(動画)
なかなか素敵です。