来年はもっと、違いを楽しめるようになりますように! 続き | 艶(あで)やかに派手やかに

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先日の記事「「来年はもっと、違いを楽しめるようになりますように」に引用したこの記事「ウォール街、「#MeToo」時代の新ルール-とにかく女性を避けよ」の続き。

 

#MeToo 怖い男たちへ、ゴールドマン出身NY市当局者が助言

 

先日その記事を読んで、編集者に書簡を送ってきて、そのような男性の行動は「皮肉で不快」だと訴えた人がいたのだとか。書簡を送った人は、男性が女性の同僚と関わることの大切さを訴えるアドバイスをしているとのことです。

 

ごく稀に、本当に行っている人が存在することも忘れてはいけませんが、あれだけ騒がれて法律が出来て対策が取られるようになった今はむしろ「セクハラだと言われたくない」というのが本音になってきています、アメリカでも日本でも。

じゃあどうしたらいいんでしょうか。
セクハラに限らずだけど、この手のマイノリティへの虐待を防ぐには当事者を交えて考えることが効果的。

どのような行為や言葉に強いストレスを感じるかは、当事者に聞いてみるしかありません。

その人の特性を知れば知るほど、起きにくくなります。

「セクハラをしない」ではなく「セクハラだと感じさせない行動」を心がける。その心構えは、女性に好意的に伝わります。

これは上の書簡を送った人のアドバイス内容とも通じます。「その場に当事者を交えるようにすることが非常に重要」ということです。

これは実践的なことで、決してきれいごとではないはずです。

 

 

タイトルにつられて一気に読んだ本。

「今後、障害者差別・虐待も、セクハラ問題と同じようなルートをたどるでしょう」p165

この2つはよく似ている部分があるからです。セクハラ問題では、女性は弱い立場で、被害に遭うことが前提となります。極論すれば、そんなつもりがなくても女性が嫌な思いをした時点でアウトです。

障害者問題でも、障害者は弱い立場で、法律で固く守られています。障害者虐待防止法は虐待を疑われる行動を発見した人に通報義務を課しているし、通報を受けた公的機関は虐待が行われた前提で調査をすると決められています。この法律は、女性以上に声を上げられない障害者が多いと考えていて、見て見ぬふりを禁止し、虐待ありきで調査しろと促しているのです。

 

時には、女性や障害者が事実を拡大解釈して「ひどい目にあった」と感情的な訴えがなされたり、何十年も経ってから訴えがなされたり、公の場で声高に叫ぶ人が出てくることもありえます。しかしながら、その人がそのような訴えをするには、その人なりの理由や生きてきた背景があるのです。女性のなかには「自分は男性社会の弱者で、いつも虐げられている」という意識を常に持っている人もいるからです。似たようなことが障害者についても言えます。また本当にセクハラや虐待を行っている人がいることも忘れてはいけません。

そんなわけで、男性は「これはセクハラではない」と言いにくくなりました。それと同様に、健常者も「虐待ではない」と言いにくくなっていると感じます。

 

#MeToo運動が広がるにつれて、「女性に何をしても(しなくても)セクハラや差別と勘違いされやしないか」という過剰な思い過ごしが生まれるようになったのと同様、

障害者雇用は社会的責任という意識が広がるにつれて「障害者に何をしても(しなくても)差別と思われやしないか」と思われるようになるかもしれません。

じゃあどうしたらいいんでしょうか。その方法は、繰り返しますが、いずれも「当事者を交えて考える」ことです。

 

「本書を読まずに障害者を雇用してはいけません!」には、「差別! という訴えにどう対応していくか」など、障害者雇用のトラブルについて色々な解決策が紹介されています。

他にも紹介したい箇所は色々ありますが、それはまたの機会に。