先日の「慣れが大切 差別についてのある人の考察①」に対し、思わぬコメントがありました。
素朴な疑問
そんなにあなたは偉いの?
あなたは「差別のない社会へ」と言いながら無意識に差別というものをしていますよ。
私は、「それについては正直分からない部分もあるし不完全」というのもひとつの立場だ、と考えます。
でも、そういう立場の人に対しても批判をぶつける人がいます。
とにかく、考えたことに対して真っ向から否定する人、人間性を叩く人。
なんだか本当に「ご苦労様」です。
それにこういう人は、下手に距離を取れば、「逃げたな!」とか言い始めたりしかねません。
こういうことが続けば、次第に考えを発信することに恐怖を覚えます。
だからめんどくさいと黙る人も多いのがわかります。
一昨日と昨日と、私が発言を引用した方も、まさに同じことを言っていたんですね。
生きづらさを抱えた者、少数派同士が「あるある」と生きづらさ体験を共有し横に連帯することの肝要さを感じるこのごろ。
しかしながら現実はその逆で、生きづらさを抱えた者、少数派同士が、互いの矛盾や粗を探し合っている。「マイノリティの敵はマイノリティ」でしょうか…。
どんなにあるべき姿でも、めんどくさいものからは人は離れていくし、市場が成り立たないのは理解できます。
それより、いまを楽しく生きたいし、矛盾も粗もある程度は許容して、試行錯誤して、長期的には確かなもの、Matureな(成熟した)ものを目指していきたい。