時代を切り開く作品 | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

ココライフ女子部で編集もしているフリーライターの和久井香菜子さんが、マンガ新聞にこんな投稿をしています。
 
もはや脅威ではなくなった HIV の初期の歴史が垣間見える『TOMOI』
以下、リンク先より引用。
 
ストーリーを簡単にすると、愛し合ってるゲイカップルの片方がエイズになり、なんやかんややって厳しい展開になっていく話です。
主人公の友井さんは、慶應の医学部を卒業して、アメリカでお医者さまをしています。同じ病院に勤めるマーヴィンと愛し合っていますが、彼には妻がいます。世間体を気にしてマーヴィンは結婚をしたけれど、友井さんと出会って彼女と別れることを決意します。そんな矢先、マーヴィンは自分がHIVに感染していて、エイズを発症していることに気付くのです。 その後は、2人の関係に気付いたマーヴィンの妻が激怒して病院に乗り込み、なんやかんややって友井さんはアフガンの前線に赴くなど、壮絶な人生を歩み始めます。
(略)
現代では『TOMOI』の基本設定である「ゲイであり、エイズを発症したゆえの悲劇」が、現在ではまったく成り立たないんです。  今なら、そもそもマーヴィンは偽装結婚をしなかったかもしれないし、友井さんとも堂々と恋愛ができたかもしれないし、HIVに感染したとしても発症はしなかったかもしれない。友井さんはアフガンに赴くこともなく、2人は幸せになっていたかもしれない。 そう思うと、今となっては古くさく思える展開の数々が、いっそう切なく思えてきます。間違いなく『TOMOI』は当時最先端のトピックを詰め込んだ作品です。
そして、もう同じような作品を作ることが不可能なのだと思うと、やっぱり時代を切り開いていく少女マンガってすごいよな、と思うのですよね。
 
 
私は『TOMOI』という作品を読んでいないですが、和久井さんの伝えようとすることはわかります。
そして、和久井さんの寄稿を読んでいて、私が浮かんだのは、未診断発達障害者の生きづらさです。
いま、発達障害の当事者が描いた実録マンガはいくつもあります。そのなかには、「生きづらさの原因がわからず漂流し、のちにそれが発達障害とわかった」というものもあります。
私自身も、発達障害に気づかないまま大人になりました。その経験をもとに「艶やかに派手やかに」を書いたのですが、そこにもヒロインが発達障害を見過ごされたまま大人になり、対人関係につまづく悲劇があります。話が長引くおばさん客に「長いこと話すのはやめて下さい」と言ったことで「客を見下した態度」ととらえられて退職に追いやられる、という展開です。(発達障害は対人関係の認知にバグがあり、いわゆる空気を読みつつ長引くおばさん客の話を切り上げることに度々失敗する)
いまでは発達障害の早期発見が進み、子供時代に診断されることが増えました。
大人になってからどうにもならなくなって診断された人と、物心つく前に診断された人では、経験に断絶が出てきます。
前者は、上のヒロインが経験したようなことをそのままなぞり、生きづらさを抱えてきました。後者は、未診断でどうのという生きづらさを経験しないんです。
今後はこういうトラブルは考えにくくなるだろうし、そもそもヒロインは接客なんかやらずに別な仕事をするかもしれません。
「ゲイで、HIVに感染しエイズに発症する生きづらさ」というマンガは80年代にしか描けなかったように、「生きづらさの原因がわからず漂流し、のちにそれが発達障害とわかった」というメディア作品は私(81年生まれ)の年代までしか作れないでしょう。
数十年後にはもう同じ作品は書けないのか…。