耳の痛い意見を言ってくれる人は信用できるか | 艶(あで)やかに派手やかに

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私などがそうでしたが、発達障害を持つ人は、親をはじめとする周囲の大人から「耳の痛い意見を言ってくれる人が本当にいい人なんだから、人のアドバイスを素直に聞きなさい」と言われることが多いです。
 
本来このアドバイスには悪気はなく、「悪い人に騙されないように」と心配して言っていることです。
ただ、このようなアドバイスを聞かされていくと、ある誤学習をしてしまうことがあります。
「耳の痛い意見を言ってくれる人=いい人、ほめてくれる人=お世辞だけの信用できない人」という。
 
しかし実社会に出てみると、耳の痛い意見を言ってくれる人のなかには、おかしな人も多々混じっていることに気付きました。
正論ばかり振りかざし、弱い立場の人に配慮することのできない人。
「私に合わせなさい」と相手を責め、周囲を振り回す人。
こちらが理解できない独り善がりな主張ばかりする人。
物事を何でも根性論でとらえる人。
障害特性からくる困りごとを理解できず「わがまま」としかとらえることのできない人。
彼らの殺し文句は、「これだけ耳の痛い意見を言ってあげているから、いい人でしょ?」

他人のアドバイスを聞こうとする真面目な人ほど、このような人のいいなりになってしまいそうです。


以前、「発達障害の「理解者」「支援者」について思うこと」で、「あなたはあなたのままでいいのよ」という支援者に辟易していることを書きました。
それとは逆に、ずけずけと注意するタイプの人もいます。
これはこれで疲れます。


「耳の痛い意見を言ってくれる人」と「ほめてくれる人」は、そうきれいに分かれないものです。
いま現実に私の周りにいる人たちは、ほめてくれるけれど、耳の痛い意見を言うこともある。
それならばお世辞だけの信用できない人ではありません。そのように勘ぐる方が、彼らにとって失礼なことです。

私は、このような人間力の高い人々を大切にしたいと思います。
それとともに、おかしな人をおかしな人と見抜き、スルーする、穏便に立ち去り泥沼化させない、適度な距離を保つ、というヒューマンスキルを高めていくことです。



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