「私はADHD。だけど、隠さない」体操女子金メダリスト、ドーピング疑惑に毅然と告白
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/13/simone-biles-opens-up-about-adhd_n_12001064.html
反ドーピング機関(WADA)がハッカーに攻撃され、リオ五輪で金メダル4個を取ったアメリカのバイルズという女子体操の選手の服薬に関する情報が漏えいしたというニュースがありました。ところがその薬、実はADHDの治療薬だったということでした。同選手がそのことを説明しています。ま、それが違法であったなら、とっくにメダル剥奪されていたはずです。
マイケル・フェルプス選手のことを連載エッセイ第45回で書いたし、もうこのようなニュースを見ても驚かなくなりました。
しかし、ADHDと診断された選手が、パラリンピックではなく健常者のオリンピックに出てあれほど金メダルを獲っているのを見ると、障害って何だろう、と思います。障害観が昔と変わり、障害と認定されなかったものが障害と認定されるようになったという事情もありますが。障害者がパラリンピックではなくオリンピックを目指すことがあってもいいんじゃないか?逆に健常者が車椅子を運転して競技に出たいと思ってもいいんじゃないか?
(片腕など比較的軽度の障害を持つ選手がオリンピックに出たり、またオリンピックとパラリンピックの両方同時に出た選手はいるようで、それはルール上可能のようです)
いま行われているパラリンピック、新聞でもスポーツ面まるまる使って、いままでにないくらい大きく報道されています。
パラリンピックが障害者の活躍の場になっていることは誰もが認めますが、それは同時に障害者(それもごく限られた人々)しか参入できないという閉ざされた性質も持っています。 正直、私もこの世界のことはよくわかりません。発達障害者は基本的にパラリンピックには出られません。パラリンピックに発達障害の部はないからです。ただ、発達障害のなかでも知的な遅れを伴っているタイプの人には開かれています。その場合は発達障害者としてではなく、知的障害者としてエントリーします。
パラリンピックはこれからも続けられていいと思うのですが、それとは別に障害のあるメンバーとそうでないメンバーが混じって参加するスポーツ大会ができると、心のバリアフリーがより進むのでは…と思います。
私の関わる「ダイバーシティ駅伝マラソン」は、「チームに障害のあるメンバーが一人以上」というルールで行うリレーマラソンです。
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