【注】ネタバレ全開です!
『エイリアン:アース』(ディズニープラス)を全話(全8話)鑑賞した。
海外では、おおむね評価高めの本作。
しかし、こと日本では賛否両論(否が多め)が巻き起こっている。
エイリアン=ゼノモーフが(従来の「絶望感」から比較すると)怖くない、物語のテンポが遅い、登場人物に感情移入がしづらい、主人公・ウェンディ(人間の意思を移植されたアンドロイド=ハイブリッド)のチート能力に引いた、話が完結しない…などなど。
まあ、たしかに、そのとおりである(笑)。
しかし、結論から言うと、私はこの作品をすごく楽しめた。
この作品を観ている間の充実感、ワクワクは、私にとって、上記のマイナス要素を余裕で上回るものだった。
だから『エイリアン:アース』は、私にとって間違いなく「面白い」作品だったし「好きな」作品だ。
しばしば見かけるのが「こんなのエイリアンじゃない」という意見。
おそらく、
「こんなの(俺が知ってる)エイリアンじゃない」
「こんなの(俺が求めている)エイリアンじゃない」
ということなんだろうが、それを、イコール「作品の評価」とするのはどうなんだろう。
まあ、映画ファンにとってはそれはどんな作品にも言えることだし、気持ちはよくわかるのだけれど。
ノア・ホーリーの『エイリアン:アース』は、リドリー・スコットが『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』で『エイリアン』という<容れ物>を使って、アンドロイドのデイヴィッド(神になりたい男)の物語にしていった系譜と連なるもの(ストーリー的には連ならない可能性大だが)。
そこが『エイリアン:ロムルス』とは決定的に違う。※追記
だから、「こんなの(俺が知ってる)エイリアンじゃない」は至極真っ当な意見だとも言える(笑)。
話が完結しない件に関しては、配信ドラマシリーズでは、よくあること。
クリフハンガーの状態で、このまま、打ち切りになった漫画の最終回のような終わり方で(笑)終了するのも悪くはないとは思うが、もちろん「シーズン2」を待望する気持ちは絶大だ。
支配するもの、されるもの。
利用するもの、されるもの。
作ったもの、作られたもの。
そして「人間」と「そうでないもの」の境界とは?
「人間」とは?「人間らしさ」とは?
これらの問いにおいては、それが「有機物かそうでないか」は、もはや大きな問題ではない。
それこそ、リドリー・スコットが『ブレード・ランナー』の時代から繰り返し描いてきたテーマでもある。
見かけは大人、中身は子供という逆コナン状態(笑)のハイブリッドたちの成長の物語(無邪気→反抗期→自立)となったシーズン1。
「エイリアンは正直。でも人間(大人)はウソばかり」というウェンディの「正論」は、今後どのようなストーリーを紡ぎ出していくのか。
モローやカーシュといったサイボーグ/アンドロイドの今後にも興味津々(AIが人間を超えるシンギュラリティが目前とされる現代において、彼らの物語はもはや他人事ではない)。
ついに科学者に寄生した“目玉型”はもちろんのこと、ゼノモーフ以外の新エイリアン(タコのように移動する“植物型”がお気に入りです。笑)の生態も超気になる。
そして、シーズン1では脇役に甘んじていたウェイランド・ユタニ社がいよいよ凶悪な正体を明かすことになること必至。
やはり「シーズン2」がないと困ります(笑)。
余談だが、11月に公開される映画『プレデター:バッドランド』に登場する下半身を失ったアンドロイド少女ティア(エル・ファニング)はなんと、ウェイランド・ユタニ社製! 今後『AVP』的な展開もあり得るのだろうか??
そこが『エイリアン:ロムルス』とは決定的に違う。※追記