『ノック 終末の訪問者』 | アディクトリポート

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『ノック 終末の訪問者』
2023/4/18 イオンシネマ浦和美園 スクリーン6 Cー7
 
公開のたびに賛否両論渦巻き、
作品の出来や観客の満足度が激しく上下する、
Mナイト・シャマラン監督の最新作。
 
『シックス・センス』(1999)以来、
最注目の監督だった頃には欠かさず観ており、
『アンブレイカブル』(2000)は、
サミュエル・L・ジャクソンの演じるアメコミマニアが、あまり感心できない絵柄を高く評ずるなど「んなわけねえだろ」を散見し、
『サイン』(2002)
『ヴィレッジ』(2004)
※同題の2023年4月21日公開作ではありません。
 

2023/04/20
 

2023/04/21
 
『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006)
ーーの3作にはいたって満足。
 
とくにシャマラン作品は音楽も傑出しており、
それこそ『シックス・センス』以来ずっとジェームズ・ニュートン・ハワードが担当。
特に『サイン』と『ヴィレッジ』『レディ・イン・ザ・ウォーター』の3連作には圧倒された。
 
ところが『ヴィレッジ』の頃から町山智浩氏のシャマラン批判・糾弾が目立ちだし、
その粘着質で執着激しい攻撃姿勢が極化していき、
『レディ・イン・ザ・ウォーター』について肯定的な評をSNS(当時はミクシィ)に挙げようものなら、
「興収的には失敗だったから、シャマランよりもディズニーの見込みが正しかった」と食いつかれ、
「この人は自分と意見が合わない評を探しては殴り込んでくるのか?」と恐怖さえ覚えた。
 
「お盛んな」同氏は、私の『キングダム/見えざる敵』(2007)評にもそれはしつこく絡んできてまいったし、
ドリー尾崎氏にも『大統領暗殺』(2006・日本公開2007)評で噛みついてたし、
この2例はミクシィ内部で済んだけど、
ラジオ討論でも相手の言い分は聞かず自分の論だけをぶちまけるわがままさだけを露呈して、世間の「わかる人たち」にはドン引きされていた。
 
どうやらよほどヒマだったんだろう。
 
と、ここで気を取り直してシャマラン作品に話を戻すと、
『ハプニング』(2008)で、
植物の人間への警告と報復という筋立てにはさすがにどうかと思い、町山トラウマ効果もあり?これ以降はシャマラン作品を追わなくなって、ようやく今回の『ノック』が個人的には15年ぶりのシャマラン作品鑑賞となった。
 
でもって私の『ノック 終末の訪問者』感想は、いつものシャマラン安定クオリティを久しぶりに堪能。
 
似た題材の映画で行くと、ニコラス・ケイジの『ノウイング』(2009)だって、
世評は芳しくなくても自分はそこそこ楽しめたので、本作も問題なかった。
 
だけど心理的抵抗で、この手の話を受け入れない人はいるだろうし、
そういう人は「ここをもっとこうすれば」な部分があったとして、
そこが改善されてもまた別のところが引っかかって、
永遠に受け入れることを拒むだろう。
 
それでは鑑賞が無意味になるので、
私はすんなり受け入れる姿勢でいたが、そうでなくても自然に画面と展開に引き込まれ、
シャマランの狙ったとおりに画面とドラマ展開に没頭して最後まで鑑賞する人が多いのではないか。
 
(以下内容に触れています=プチネタバレ。鑑賞後にお読みください:赤文字)
 
ただし『シックス・センス』が強烈すぎて、シャマラン作品にラストのドンデン返しや大ネタぶっ込みを期待しても最近はもうその手法からは脱却していて、今回もバッタで話が始まりこそすれエンディングまでそれが立ち帰られたり、ストーリーに絡んでくることはない。
 
ヴィジョンに突き動かされた4人組が、ゲイの夫婦と口蓋裂傷の痕が残る養女の3人が世間から隔絶されたロッジに引きこもっていたところを襲撃、3人は思いもよらぬ過大な使命を課せられる。
 
襲撃犯の動機は大災害のヴィジョンに突き動かされてここに辿り着いたわけだが、解決策=災害の回避方法が、どういうヴィジョンで示されたのかはわからずじまい。まあそれが具体的に示されようがしまいが、映画の大意に違いはないけど。
 
彼らの進言を狂人の戯言と断じて抵抗を続ける立場と、自らのヴィジョンと突き合わせて嘘ではないと気づく立場の対立と最後の同意(和解)に、大いに感じ入り、満足な鑑賞体験でした。
 
偏見の視点についてもう少し語ると、学校の教員役が両腕にタトゥーだらけで、「そんな先生はいねーよ」と心の中でツッコんでたが、これだって日本人のタトゥーに対する偏見の意識が根底にあってこそですからね。
 
世間的には「いないことにされている」あるいは「いてもいなくてもどうでもいい」とされている人にこそ、重要な人生課題が課せられるというのが象徴的で、原作小説『The Cabin at the End of the World』(邦題が「終末の訪問者」だとか)からの引き継ぎだろうが、

 

 

とにかくヴィジョン(啓示)に導かれた人でなければ心の底から納得はできず、
受け入れられない筋立てかも知れない。
 
私はヴィジョンに従って行動したし、その結果がどうであれ悔いてはいない。
 
なぜならそうするしかなかった=他にどうしようもなかったからである。
 
信仰とか信者とかは冷笑されがちだが、具体的に目には見えないものや、理詰めでは説明つかないことでも信じることこそ信仰や信者の基本であり、選択は個人の自由なので、どちらの立場も尊重すべし。
 
私にとって、『ノック 終末の訪問者』鑑賞は意義深いものでした。
 

2023/04/16
 
ところで私ごときでは公開される映画全てにあたる事はできないので、
を常にチェックされることをオススメします!