『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング』 | アディクトリポート

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僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング

2020/1/20 イオンシネマ越谷レイクタウン スクリーン9 C−8

 

『リチャード・ジュエル』鑑賞でポイントが貯まったので、

『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』

 

とどちらにしようかけっこう悩んで、

マクガイヤーチャンネルを頼りに、

「そんなにいいなら、観てみるべ」という経緯で、

公開からちょうど1ヶ月が経過したアニメをようやく鑑賞。

 

ジャンプの漫画と言えばアニメは東映動画だと思っていたが、

『ヒーローアカデミア』冒頭に東宝マークが出て、

時代も変わったなあと。

 

厳密には、『真救世主伝説 北斗の拳』

  • 第一部 (映画・2006)真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章(1)
  • 第二部 (OVA・2007)真救世主伝説 北斗の拳 ユリア伝(2)
  • 第三部 (映画・2007)真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章(3)
  • 第四部 (OVA・2008)真救世主伝説 北斗の拳 トキ伝(4)
  • 第五部 (映画・2008)真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝(5)

トムス・エンタテインメント制作だけに、

東宝配給でしたし、

 

『劇場版BLEACH』も東宝配給でしたけどね。

小学館プロダクションが、
2008年6月10日に集英社からの出資を受け、社名を小学館集英社プロダクションに改称、
の影響で、
小プロ体制の常套手段、
東宝配給の『ドラえもん』『名探偵コナン』シリーズ安定ヒットを、
ジャンプ漫画にも応用したのではと言う憶測は、
 
2009年に増資を行い白泉社が資本参加。
アニメで取り扱う作品は小学館の作品がほとんどであったが、
2010年10月から放送の『バクマン。』を皮切りに集英社系列の作品も取り扱うようになった。

とのことで時期的に外れ、
近年の、ジャンプ漫画=映画は東宝というのは、
実写「DEATH NOTE」(映画は1・2作目ともに2006)の、
いっさくめ
らすと
ワーナーブラザーズ製作+松竹配給あたりから、
東映独占が崩れた模様。
 
 

でもって、『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE』の感想は?

 

いや、はじめからわかっていたので、

それを言うのも「今さら」ですが、

『僕のヒーローアカデミア』の初体験がこの映画って言うのは、さすがにきつくて、

かといって自分はジャンプ以前の旧世代なため、

 

↓宮崎駿と同様、

なんだ

ジャンプ漫画蔑視の姿勢は変わらず、

たった一本の映画のために、

漫画やテレビアニメで予習なんてありえないんで、

相当な力作、意欲作と、ほめておくのが無難じゃないかと。

 

 

ただ、私はけっこうウトウトしたし、

終映後に出口の別観客の中にも、

「途中で眠くなった」「えっ!この映画のどこで?」

というやり取りがあったから、見ていて眠くなるのは私だけではないらしい。

 

いや、全編力が入りまくりの力作で、

手抜きのない制作姿勢には頭が下がりますよ。

 

 

ですけど、全力疾走でフルマラソンを走るみたいに力みすぎで、

一本調子で駆け抜けるため、

「おいおい、ずっとこの調子かよ」とさすがに飽きる。

 

結局、具体的なドラマが欠如しているのを、

見た目の派手な戦闘シーンでつないで水増ししているので、

肝心のドラマが停滞して、なかなか具体的な話が進まないので、

「そこはもういいいから、早く話を進めてくれよ」と、見ている方は退屈して眠くなってしまう。

 

でもって鑑賞後は、

「やっぱり、ジャンプ漫画のなれの果てだよな」

が、正直な感想。

 

ではそこから転じて、

どうして私は週刊少年ジャンプに懐疑的なのか?

じゃんぷ

少年ジャンプ・創刊号/隔週刊=毎月2回発行

↓復刻版の表紙

 

これは『キン肉マン』(1979年22号=1979年5月28日号から1987年21号=1987年5月4日号まで連載)

(アニメ放送期間:1983年4月3日 - 1986年10月1日)

に夢中になったオードリー、

o-runaito

若林正恭1978年9月20日生まれ)春日俊彰1979年2月9日生まれ)

 

『北斗の拳』(東映動画版)や

kenn

(漫画連載=1983年41号 - 1988年35号/テレビアニメ「北斗の拳」:1984年-1987年「北斗の拳2」:1987年-1988年)

『ドラゴンボール』に、

(漫画連載=1984年51号 - 1995年25号)

ドラゴンボール
1986年(昭和61年)2月26日 - 1989年(平成元年)4月19日。全153話。
原作のうち、連載開始から第23回天下一武道会までのアニメ化に当たる。
後に『ドラゴンボールZ』などとの区別のため、東映公式では『元祖』と略称されることもある。
ドラゴンボールZ
1989年(平成元年)4月26日 - 1996年(平成8年)1月31日。全291話・通算444回 + スペシャル2話。
サイヤ人編から原作の最終話までのアニメ化作品。シリーズの中ではもっとも高い人気を博し、人気の面で絶頂を迎えたといえる作品である。
タイトルの「Z」には鳥山の「これで最後にしたい」という思いが込められている。
ドラゴンボールGT
1996年(平成8年)2月7日 - 1997年(平成9年)11月19日。全64話・通算508回 + スペシャル1話。
『ドラゴンボールZ』の続編として放送された。前作『Z』の最終話から5年後の世界が舞台のアニメオリジナルの作品。
ドラゴンボール改
第1期:2009年(平成21年)4月5日 - 2011年(平成23年)3月27日。全97話 + 未放送1話。
第2期:2014年(平成26年)4月6日 - 2015年(平成27年)6月28日。全61話。
『ドラゴンボールZ』のデジタルリマスター版。ストーリーを原作漫画の構成に近づけて再構成している。
ドラゴンボール超
2015年(平成27年)7月5日 - 2018年(平成30年)3月25日。全131話。
『ドラゴンボールGT』以来18年ぶりのオリジナルストーリーの完全新作で、原作者の鳥山明のストーリー原案による初のテレビシリーズ。

子ども時代で夢中になった人にはわからないだろう。

 

これについては、たしか前に書いたはずだとたどってみたら、

この記事(ONE PIECE FILM Strong World=2010/1/27)で、

 

で、私は現在のジャンプ世代でなく、「ドラゴンボール」も「キン肉マン」もスルーした方で、たぶんそっぽを向いたのは、それが「ジャンプのマンガ」だから。
つまり編集部と作者が共同で、作品としてでなく商品としてマンガを作っていて、それは同様のテイストでアニメにはなっても、実写にはなり得ない、荒唐無稽なものばかりだから。

 

それと作品の創作上の必然ではなく、人気に呼応して、支持されればいくらでもダラダラ続くっていうのも、大人の目からすると興ざめする。

たとえば今回、一番しらけたのは、主人公達が本来は何をやっているのかが、結局どうでもいいというか、ないがしろにされているというか、海賊が本業のはずが、単なる舞台背景とか「ごっこ」に成り下がってること。

とはいえ、こういうマンガは多い……というより、最近はそんなのばっかだし、その影響ではないけれど、人気があればダラダラ続くという事情が通じる、アメリカの映画とかテレビ界の作品にも似たようなやつがある。

 

またこの記事(ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2=2011/9/21)では、

 

10年も引っ張り続けただけの中身があって、きちんと完結したことが何よりもすばらしい。

原作の読者も、映画版の観客も、裏切られなかったところにこそ、感慨と感動がある。

 

このことに気がついてない、クリエイターもどき(えせ作家)が多すぎる。
謎で引っ張り続けるけど、最後までその謎を解き明かさなかったり、

語りかけた物語をきちんと語り終えずに、途中で「続く」のままで終わらせちゃって、

そういうのが、「芸術として高尚だ」と勘違いしてる人が多すぎる。

もっとも「ジャンプ」の漫画と、

アメリカのテレビドラマは、成立条件からして、それもむべなるかなとは思う。

 

人気の有無で継続か打ち切りかが決まるため、成功の指標が「続けること」になってしまい、終わらせることは失敗を意味するため、

ストーリーの継続こそが求められ、完結なんて、もってのほか。
よしんばしっかりエンディングを考えていても、
視聴率やアンケートといった、作家本人の意志だけではどうにもできない事情で、

語り終えずに打ち切りになってしまうことも、しょっちゅう。

 

そうなると、真の作家なら、テレビドラマや「ジャンプの漫画家」という表現手段は選ぶべきではないということになる。

——と分析していた。

 

同年同月同日に創刊された少年向け漫画誌

「マガジン」(1959年3月17日創刊)

「サンデー」(1959年=昭和34年3月17日に、同年4月5日号として創刊)

に遅れること9年。

1968年7月11日に『少年ジャンプ』の名称で同年の8月1日号として創刊。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化された。

 

「マガジン」「サンデー」両誌連載の人気作家を起用できないジャンプは、

独自の新人作家を育てる必要に迫られ、

まだ駆け出しのドシロウト新人漫画家を編集部が育てる体制を築いた。

 

そのため、ジャンプの漫画はキャラ主導でドラマは後回し。

編集者は作家ではないので、助言が必ずしも正解という保証もなく

それでも長期連載作品の連発、

部数の躍進で、「ジャンプのやることは全て正解」とされた。

 

これを「違うだろー!」と懐疑的だった私は、

潜在的な作家的視点で事態をながめていたんだなと、

今にして改めて思う。

 

前出の宮崎駿氏発言については、

Yahoo!知恵袋で、

 

2018/8/25 00:31:51

宮崎駿「私は少年ジャンプ載ってるようなくだらない漫画を描くために漫画家になったんじゃない」

この発言は本当ですか?それともデマですか?
私はこれを見て衝撃を受けたというかとても悲しくなりました。
僕は宮崎駿作品が大好きだし、それ以上にジャンプが大好きです。
ジャンプは僕の人生です。
ジャンプとともに成長しました。
もしこの発言が本当なら宮崎駿が大嫌いになるかもしれません。

 

ベストアンサーに選ばれた回答

2018/8/2508:41:54

「風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡」持ってる人の投稿をお待ち下さい。
そこに「こんな漫画描くために勉強もしないで漫画描いてたのかってのあるじゃないですか。少年ジャンプとか」とあるらしいです。それに尾ひれがついたもの。
全体読まないとジャンプの大作・名作への嫉妬なのか末端掲載作品群にあきれたものなのかは不明です。通常「ヤシの木を10本持っている者は5本しか持っていない者を怒らない」のでアニメ映画ナウシカが逆立ちしてもで勝てなかったキン肉マン超人気に嫉妬した負け犬の遠吠えとみるのが普通。しかし宮崎の嫉妬は30本持っている売れっ子漫画家にも5本しか持っていない泡沫漫画家にも自分以外が注目されれば同じ様に発動するので、読めない。

まあ世界名作劇場でも地味だがファンの多い「ペリーヌ物語」や、シンボルキャラクターにもなっている「あらいぐまラスカル」を「ゴミのような作品」と言い、世界名作劇場制作会社を「良心的なものを作っていると評価されているが要するに他のことで稼げない無能な連中」と言い、アニメに国民が来て評論家が侮蔑せず虚心に評価する時代を切り開いてくれたいわばナウシカ7億稼げ評論家にも正当に評価された恩人たる松本零士を「描きたいものを何も持っていない人だね。ムードとかそういうのだけだもんね」と言い、アニメ声優を「娼婦ども」と言い、日本映画をリスペクトしているカンヌ映画祭の記者たちに「日本映画のような下らないものを見ている馬鹿共」と言い、ジブリに金を落してくれている最大顧客である児童の親たちを「私の作品を観に劇場に来る醜い豚ども」と言うなど、暴言の塊のような人で、そういうところは宮崎ファンだって「象のウンコは蟻のウンコより巨大で臭うのは当たり前。そこにしびれる憧れるぅ」なんて評価せずに「クサイものはクサイ」と大嫌いでいるんですから、ジャンプファンならもっと大嫌いになって下さい。

 

——には、「自分の好きなものをけなされたので、感情的反発に理屈をかぶせている」としか思えず、逆に宮崎発言はかなり的確だと感じる。