おととい(【前編】2202第19話「ヤマトを継ぐもの、その名は銀河」に寄せて)の続き。
宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち
の陳腐さや矛盾は挙げて行ったらキリがないが、
おとといのペースで続けていくといつまで経っても終わらないので、
今回はスタッフの適性に的を絞ろう。
「2202」音楽の問題
19話は、劇場公開時のプロモーションで、
冒頭11分が恒例の先行公開されたので、
同じ場面を何度か見たのでようやく気づいたが、
新戦艦銀河が登場する時に流れる音楽って、
「交響組曲ハーロック」とか、
「宇宙空母(バトルスター)ギャラクティカ」
をニコイチアレンジしていた。
宮川彬良って、一応作曲家の肩書きだけど、
しょせんは編曲家(アレンジャー)どまりでしょ。
つくづく才能がないよね。
才能のある人が誰も参加していないこと。
タイトル創始の頃は、
- 『2001年宇宙の旅』(1968)
- 「宇宙戦艦ヤマト」(1974)
- 『スター・ウォーズ』(1977)
- 「機動戦士ガンダム」(1979)
- 『ターミネーター』(1984)
等々を見た人は、
「こんなすごい作品を作った人は誰なんだ?」
と驚き、
- スタンリー・キューブリック(クーブリック)
- 松本零士/石黒昇/藤川桂介
- ジョージ・ルーカス/ジョー・ジョンストン/ジョン・ダイクストラ
- 安彦良和/大河原邦男/富野 喜幸(旧表記/本名)
- ジェームズ・キャメロン/スタン・ウィンストン
上田慎一郎氏まで受けつがれている。
ところがシリーズ化とタイトルの安定後は、
個人スタッフ名よりも作品名が優先される。
つまりタイトルに値する具体的で満足いく仕事を持ちあわせず、
だから当然「これをやりました」という実績がなにも示せず、
「この作品のスタッフでした」という漠然でまかり通ってしまう。
この傾向はいつからかというと、
SW新三部作、つまり『エピソード1・2・3』(1999・2002・2005)
で顕著になり、
公式サイト等で新スタッフに作品公開前から根拠なく陽の目があたり、
「この人がホントにモノになるかは、映画本編を見るまでわからないだろ」
と思っていたら、
案の定ダメダメだった。
ところが、「優秀だから(才能が認められて)抜擢された」という建前にだまされて、
だまされない私がスタッフの仕事ぶりの至らなさに文句を言っても、
「自分が参加できなかったやっかみだろ」
と邪推されて、聴く耳を持たれなかった。
それでもかまわず具体的な代案を提案すれば、
私の案は却下されたからダメで、
公認のオフィシャルには遠く及ばないという結果論からの逆読みで、
「この程度の実力で挑戦とは笑止」と陰口をたたかれた。
私は具体的な創作活動を完成させて提案しているのに、
常人にはおいそれと成し得ない成果はことごとく、
「どうせ駄作でしょ」と値踏みされ、
まるで中二病のなれの果てとさげすまれ「ウププ」と冷笑された。
1枚の絵も描けず、
1本の小説も書けず、
1本の脚本も書けない人々に、
それらをコンスタントに生み出し続ける人間を蔑(さげす)まれても、
「できんのかよ? やってみな」
「創作活動を蔑むお前らの方がウププだろ」
としか受け取れませんが?
「やっかみ」説を突き詰めれば、
たとえば現政権に批判めいた発言をしたら、
「議員になれないやっかみで毒づいてるだけ」
と受け取られてしまうんだろうか。
副監督のズォーダー的傲慢さ
18話のコメント再掲。
星野悲鳴
なぜ加藤が反波動格子のスイッチを持っていたのか?
第五章を劇場で観た後で、私もADDICTOEさんと同じ疑問を抱き
ネットで検索していたところ、Yahoo!知恵袋でも取り上げられており
回答の中に興味深い内容がありましたので、転記します。
>副監督のありがたいお言葉
>「良心的に解釈しろ」
>
>……いや、まじでツイッターで疑問を投げかけたファンに対して、
>上記のようなことを言い出しましたから。
私も副監督"様"のツイッターを拝見することが出来ないので
この回答に書かれていることの裏付けは取れないのですが、
この辺が観客置いてけぼりとなっていることの要因でしょう。
送り手/商売人はどの分野であろうと、
常にお客さん本位でいるべきで、
送りだし側は傲慢であってはならないという具体例では、
たまたま夕食時にテレビで放送されていた話。
寿司屋の店主が急死。
息子が見よう見まねで跡を継いだ。
父の代からの常連客は、
その店のしきたりで七貫だされた寿司を三貫だけ食べて、
その後しばらく来店せず。
跡継ぎ店主はオカラをシャリに見立て、
コンニャクをネタ代わりに閉店後も修行を積んだ。
久々の客は、五貫まで食べ、
次の来店で七貫のこさず食べてくれた。
「あの客に育てられたからこそ、今がある」
もしもこの店主が、
「味のわからない客がバカ」
と見かぎって職人技を磨かなかったら、
『復活篇 ディレクターズカット』に登場した波動実験艦ムサシを、
名前だけ銀河に改名して「2202」に登場させ、
ヤマトとムサシの中間型のデザインを描き起こさない誰かさんのようになってしまうよ。
Doburokutao
これがあるからこそ主力戦艦やアンドロメダが 新生地球艦隊の最新艦として映えたうえ、地球側の傲慢さ象徴として機能したと思うんですね(帰還する護衛艦に航路を譲れと脅すアンドロメタ)。だからこそ「さらば…」でヤマトの登場したら それまで預けくらっていたので盛り上がった。
それに比べ「2」は1話からヤマトが出てきてありがたみがない。更に2では「宇宙空母」(艦載機を前面に展開させるか不明)「雷撃挺」などデザインの統一感の無さで 地球艦隊のデザインが陳腐化したと思っています。
結局 「さらば…」以降 残ったデザインは「コスモタイガー2」だけで あとの艦艇のデザインラインは後の作品に受け継がれることなく、毎回違うデザインラインが出てきてしまうはめに…
と、昔のヤマトで思い出したことをだらだら書きましたが… 2202のメカ描写の不満は デザインを対比させて新旧や強弱を表現したり、出すタイミング(視聴者の期待を貯めこむ事が出来ない)と量の調整が下手なところだけ、ヤマトの旧シリーズをパワーUPして受け継いだのが理由では…と思う訳です。まぁ偏見かもしれませんが…
追記…西崎氏がアニメ業界入りするまえの仕事が作品作りに影響したのでは…と前回のコメントした理由は 以前半年だけですが仕事で劇場の楽屋係をし、歌舞伎や歌謡ショーの観客・出演者・舞台関係者から受けた印象ですので まぁこれも個人の偏った印象かもしれません