明日12/28から公開!
『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』
2018/10/15 試写にて(六本木)
今年2018年は、
こちらの「こんなもんだろう」という想定を越えてくる映画がたくさんあった。
以下、2018年の映画総括の意味も込め、
各作のネタバレ、本筋に触れています。
邦画では『カメラを止めるな!』
最初は何もわからず観ていて、
途中から「そういうことか」
最後に「なるほど」
世評の良さはホンモノで、
楽しみながらもしかし、
「ワンカット撮影にこだわり抜いた映画監督のドラマ」にしては、
「映画開始たちまち、演技止めとる(撮影中断しとる)やないかーい!」
という自己矛盾もはらんでおり、
とにかく低予算、無名監督や俳優の映画にヒットなしという常識を覆した。
低予算映画の限界突破といえよう。
次に『累-かさね-』
脚本に書かれた文字面(もじづら)と、
役者が口にするセリフの差を見せつけられた思い。
演技って、あらためてつくづく、すごいんだなと。
役者の演技で見せる映画の限界突破である。
洋画では『ミッション:インポッシブル フォールアウト』
アクションシーンを撮りだめして、
それに合うように話を変えていったらしい。
なのでプルトニウム周辺事情はグダグダ、
予告CMにはあるヘリコプターアクションが、本編に含まれなくても全然オーケー。
「スパイアクション映画の限界突破」と言えるが、
どうしてトム・クルーズの身の上を案じて、
ハラハラドキドキしっぱなしなんでしょうか?
チンチクリン(身長170センチがアヤシイ)が惜しいがイケメンだから?
いえいえ、私は男性で、そこにトムの魅力を強く感じるわけではない。
裏切りが当たり前で、
敵味方の形勢が逆転しまくり、
誰も信じられないのに、
観客はなぜ心理的にトムが演じるイーサン・ハントを応援するのか?
答は、彼だけは観客を裏切らないと約束されているから。
『フォールアウト』の中盤に、とばっちりで撃たれた婦人警官をハントがいたわる場面がある。
これは意図的に挿入されたシーンで、
観客も裏切られる可能性の只中に身を置くからこそ、
裏切られ続けるハントの行く末に、自分を重ね合わせて固唾を飲んで見守るわけ。
もっとも鑑賞中は、とてもそんなことに思い至る余裕はないけど。
どんな映画でも、
「そう思う」「そうは思わない」の対極があり、
全員が「そう思う」わけはない。
『ボヘミアン〜』への低評価には、
「こんなの、クイーン(フレディ・マーキュリー/ボヘミアン・ラプソディ)じゃない」
という、「知りすぎたために楽しめない」悲哀を感じた。
だがそれとは別に、
「タイクツで途中退席」
というクライマックスを見ない評価を見つけると、
「さすがにそれはないだろ」と呆れてしまう。
映画を論ずる(評する)前に、
そもそも自分が映画を評する資質に欠けるとは考えないんだろうか。
映画を云々するよりも、
自分を云々(分析/診断)した方がいいんでは。
とにかく『ボヘミアン』は、
伝記映画や音楽映画の枠組みを超えた、
「限界突破」の1作であることに間違いはない。
さて、ようやく『アイ・フィール・プリティ!』について述べると、
さすがに
『カメラを止めるな!』
『累』
『フォールアウト』
『ボヘミアン』
ほどのレベルには達さないけど、
ある意味これも「限界突破」な作品だった。
主人公の女性が、
容姿にすぐれないコンプレックスから、
勘違いで脱却。
この後も、ずっと女性の勘違いだけで話がドンドン展開していく。
やせてきれいになったと思い込む場面でも、
別にVFXや特殊メイクが使われず、
ただ、その気になっている女優の演技だけで乗り切る。
途中までは、「おいおい、いくらなんでも…」
と批判的にながめていたが、
かまわずそのまま突き進むので、
その突き抜けぶりと迷いの無さに、
後半は笑い通しだった。
吹替版を試写鑑賞という珍しいパターンだったが、
怒濤の長ゼリフ連発を、芸達者の渡辺直美が見事にこなし、
とても満足。
「コメディ映画の限界突破」一つの形と言っていいでしょう。
いや、先例4作ほどの水準ではないですけどね。