追加撮影の真相/週報ローグ・ワン〈第7号〉 | アディクトリポート

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今回は、『ローグ・ワン』の再撮影について。


一説には、
全体の40パーセントが撮り直しで、
監督のギャレス・エドワーズが当初に納品したバージョンは、
予告編に痕跡をとどめるのみ。



しかも再撮影の現場には、
エドワーズはおらず、
かわりに名だたる面々が集結し、
よってたかって、強引に完成させたらしい。

しかしなんだって、それほどムキになって、
余計に手間も人手も予算もかかる、
撮り直しなんぞを、
公開の半年前のギリギリに、あえて行ったのか。

『ローグ・ワン』(「ならず者」or「はぐれ者」)は、題名どおり、
内部造反、
つまり旧来からのルーカスフィルムのスタッフが、
ディズニー新体制のSW再起動に、異を唱える動きだった。

旧来のスタッフが新シリーズを苦々しく思い、
否定するような作品をぶつけた先例には、
宮崎駿がいる。

「ルパン三世」PART2の質の低下と、
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それにもかかわらず人気が続き、
最終的に3年以上(1977/10/3〜1980/10/6)も続く成功を収めたことを嘆かわしく感じていた宮﨑は、
テレビ放送2年目の1979年に、
映画『カリオストロの城』で、
たいかく
「赤ジャケのルパンなんてニセモノだ」と示し、
さんせい
第145話「死の翼アルバトロス」では、
こま
本物のルパンは、日本にはおらず海外を放浪。
最終155話「さらば愛しきルパンよ」で、
はた
本物が日本に帰国、
ニセモノを駆逐する。
にせ
つまり、新スタッフが3年かけて築き上げてきたことを、
宮崎駿はあっさり否定。
全てを「なかったこと」にして、
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強制的に、1作目に差し戻したというわけ。

『ローグ・ワン』で、この宮崎駿の役割を担ったのは、
ILMのジョン・ノール。
ひひひて

ノールの危惧は、
ディズニー新体制で製作公開された、
『フォースの覚醒』が、うわっつらだけ旧三部作をまねて、
SWの本質から大きく逸(そ)れていたこと。

おまけにあろうことか、分家に過ぎないディズニーは、
『フォースの覚醒』がこれまでの六部作と辻褄が合わない内容になったからと、
本家たる『エピソード1・2・3・4・5・6』の方を、
カノン(正史)からレジェンド(作り話)へと格下げするという本末転倒ぶり。

これってあたかも、
赤ジャケのルパンが、緑ジャケの元祖ルパンを、
「あんなの、ルパン三世じゃねえよ」
と否定するようなもんで、
もはやメチャクチャである。

この状況に大いなる危機感を覚えたノールは、
こう考えた。

ここは本家の意地を見せ、
見かけや作風こそ、既存作とは異なれど、
見終われば、これもまさしくSWと示せるものにしなければ。

こうして納品されたギャレス・エドワーズ版『ローグ・ワン』はしかし、
ルーカスフィルム新社長、
キャスリーン・ケネディの逆鱗(げきりん)に触れた。
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これは『フォースの覚醒』の全否定であり、
自分が乗っ取った新体制への批判ではないか。

このままの形で公開したら、
自分の非を認めることになる。

あるいは、自分の目は節穴で、
あからさまな造反を見過ごしたことにさえなりかねない。

彼女は狡猾な策士ではあるが、
バカではない。

そこでフランク・マーシャルとの共同会社、
マーシャル/ケネディ社で育てた人材、
『ボーン』シリーズの脚本家、
トニー・ギルロイ等の、自分の手の内の者を大量投入。

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自分抜きでのSW新作などありえないと、
その存在を鼓舞(こぶ)した。

かくして、
当初のバージョンは、
エドワーズの前作『GODZILLA』同様にスカスカな構成で、
具体性のないイメージカットの羅列だったのが、
145
タイトな構成でぎっしりと要素が詰まったものに様変わり。

その補充要素の大半は、
『フォースの覚醒』同様に、SW既存作に寄せたものになった。

当初はほんとうに、
SW映画で初めて、ライトセーバーの出て来ない作品になるはずが、
ご存知の通りのラストの大盤振る舞い。
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後述する理由により、
前半は退屈と感じた観客も、これにはやんやの拍手喝采。
ケネディの決断は吉と出た。

それでも『ローグ・ワン』は、
『フォースの覚醒』に浮かれたファンに、
「いいかげんに目を覚ませ」と、冷水を浴びせるような作品であることに変わりはない。

ジョン・ノールは相当な才人であり、
クリエイターと言うよりはタクティシャン(理論戦術家)。
当然、その戦術を読み取る頭がなければ、
彼の仕掛けは読み取れず、その面白さはわからない。

というわけで、
『ローグ・ワン』がつまらなかったという人は、
その程度の頭なだけだが、
中には「どうせ私はバカですよ」と心理的反発を覚えて、
叩く方に回る者もいる。

SWは、そんなにお高くとまった高尚なもんじゃない。
万人の童心に訴える大衆文化なんだから。

しかし1作目から40年。
40歳トシを取った、大人に向けたSWがあったっていいじゃないか。

大衆食のラーメンでも、老舗(しにせ)の高級中華料理店では、
ハンパなものは出せるわけがない。

それが老舗の意地というもの。

『ローグ・ワン』に怒っている人は、
横浜中華街で出されるラーメンを、
「こんなのオレは、ラーメンとは認めない。
やっぱり環七沿いの、ガッツリ系でなくちゃ」
と文句を言っているようなモンである。