8チャンネルの「Q」と「マン」/フジテレビのウルトラ志向(前編) | アディクトリポート

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今回はこれ(有言実行ガラモン)の続きですが、内容は
「ふぞろいの怪獣たち」でも、
「GPV」(ガラモン/ピグモン・バリエーション)研究
でもありません。

1993年に「シュシュトリアン」とウルトラマン、
しゅしゅ
およびウルトラ怪獣との共演が、
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(※たとえ同時期放送のTBS番組のお下がりであろうと)
フジテレビで果たされたのは、しみじみと感慨深い。

「有言実行三姉妹(ゆうげんじっこうシスターズ)シュシュトリアン」は、フジテレビ系列で、毎週日曜日、朝9時台前半に放送されていた。
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製作は東映とフジテレビの共同。


なぜならフジテレビにとって、TBSの「ウルトラ」シリーズは、
当初から、倒すべき強力なライバルであり続けたからだ。

「ウルトラQ」(1966/毎週日曜日の午後7時から放送)は、
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フジテレビのアニメ「W3(ワンダースリー)」を駆逐し、
この先、「W3」に触れる機会もないだろうから、話ついでに触れとくと、
↓ワンダースリーの乗物、ビッグ・ローリーは、
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『シスの復讐』(2005)のグリーバス将軍のホイール(ウィール)バイクや、
『メン・イン・ブラック3<』(2012)のモノウィールに影響を与えた他、現実社会でも開発、研究が盛ん。
モノウィール(自走タイヤ型単輪車)の研究は、「ワンダースリー」以前より長い歴史があるが、アメリカでは、“THE AMAZING 3”のタイトルで1965年に放送されたので、その影響も考えられる。


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さしもの手塚治虫も、
負けを認めざるを得なかった。

W3とウルトラQ

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放映開始からしばらくは常時20%台を維持する好視聴率をマークしていたが、その後TBSが同時間帯に円谷特技プロダクションの特撮番組をぶつけてくることが判明し、円谷の特撮技術をよく知っていた手塚治虫は番組の前途を危惧した。その番組『ウルトラQ』が始まるや、『W3』の視聴率は急落、月曜19時30分枠への時間帯変更(正確には『快傑黒頭巾』との枠交換)のやむなきに至った。手塚は『ウルトラQ』第1話の放映を見たとき、息子である手塚眞の興奮ぶりが「すごいものであった」と記し、クライマックスが終わってから『W3』にチャンネルを変えたとき「ああ、これで負けた!」と感じたという。

一方手塚眞は著書『天才の息子』(ソニーマガジンズ、2003年)の中で、以下のように記している。珍しく手塚が家族と夕食を共にした席で『W3』が放送される時間に、妹とそれぞれ別の番組(名前は明記されていない)が見たくてチャンネル争いをしていた。それを見かねた母親(手塚夫人)は「お父さんの番組を見なさい」と叱ったが、そのとき手塚が「子供の観たいものを観せなさい!」と怒鳴り、眞と妹はびっくりして声も出ず、母親は驚いて泣き、気まずいムードになったという。

円谷特技プロダクション創設者である円谷英二の息子であり、当時フジテレビ映画部に所属して『W3』を担当していた円谷皐は、ウルトラQが始まり、W3の視聴率が一気に一桁台に急落して複雑な気持ちだったと述懐している。


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フジと手塚治虫の、対「ウルトラ」作品は「マグマ大使」で、
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放映初日は『ウルトラマン』に13日先んじて、
日本初の、全話カラー放送された特撮ドラマ
の栄誉に輝いた。

ピープロとしても初の実写特撮番組でもあり、放映開始に先立ち、うしおそうじは師匠の円谷英二に挨拶をしている。その後円谷は『ウルトラマン』の放送準備で円谷特技プロダクションが大わらわになっている中、「鷺巣(うしお)くんところのマグマ大使は大丈夫かな」とウルトラマンそっちのけでマグマ大使の心配ばかりしていて、息子の円谷粲らが「親父、少しはウルトラマンの心配をしてくれよ」と頼んだほどだった。

放送日時を月曜日の19:30 - 20:00(39話まで)、
つまり変更後の「W3」を引き継ぐ事で、
「ウルトラ」の日曜7時との直接対決を避けた
フジの「マグマ大使」(40話からは19:00 - 19:30)は、
↓東大寺大仏殿を襲うストップゴン。「マグマ大使」は、実在の建築物造形に抜きんでていた。
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↑大阪城を背に戦うゴモラとウルトラマン。周囲はこんなに空き地だったのか???

TBSの「ウルトラマン」との相乗効果で、
怪獣ブームの牽引役として大ヒット。

内容もライバルに劣らず充実していて、
原作者の、あの手塚治虫に後年、
「当時の予算と技術力としては最高水準の出来栄えであり、本当に素晴らしい作品だった」
と言わしめたほどである。

子ども騙しじゃないぶん、
今じゃ放送できないけどね。

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TBSで「ウルトラセブン」
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終了直後の1968年4月6日、
フジでは満を持して、円谷プロの「マイティジャック」の放送が開始される。
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しかし大人向けの1時間特撮ドラマは、
想定ターゲットに見向きもされず、
急遽30分+怪獣が出てくる「戦え!マイティジャック」に路線変更。
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というわけで、フジテレビと円谷プロの関係は、
残念ながら発展しなかった。

そこで今では考えられないことだが、
フジテレビは再放送枠で、
「ウルトラQ」「ウルトラマン」を放送したことがある!


「たしかそうだったよな」と思って検索したら、
またしてもQちゃん氏の「光跡」の、このページ(再放送の光跡)に、詳細な証拠が!

〈例その1〉
1970年(S45)5/4~7/17
月~金曜日 夕方6時枠で、
「ウルトラマン」の帯放送。
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TBSは同時刻に「怪物くん」(もちろん最初のTBS放送版)「ウメ星デンカ」を再放送していた。

〈例その2〉
1970年(S45)10/28~1971年(S46)1/4
夕方6時枠で、「ウルトラQ」の帯放送。
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しかもTBSは同時刻に「ウルトラセブン」を再放送していた!

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そしてこれが呼び水になったかのように、
この71年末には、円谷プロの「ミラーマン」が、
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円谷プロ作品としては「戦え!マイティジャック」以来、まるまる3年ぶりに、フジテレビで放送されるに至った。

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ただしその経緯には、「Q」「マン」のフジでの再放送は影響を与えていない。

本作の企画は、金城哲夫が円谷プロダクションへの置き土産として執筆した原案を基に、田口成光や満田かずほが1969年に本格的な番組案とした企画書がそもそもの発端で、これを基に小学館が発行する学習雑誌などの児童誌におけるマンガ連載が行われ

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また東京12チャンネルなどへの番組売り込みが並行された。

こうした経緯を経て、一度は旭通信社を通して、よみうりテレビの土曜日19:00 - 19:30枠における『巨人の星』の後番組として候補に挙がっていた時期もあったが、結局実現しなかった。

ちょうどその頃フジテレビでは、旭通信社の担当枠(日曜日 19:00 - 19:30)で、新番組企画『長くつ下のピッピ』が、原作者の許可が得られずに制作中止に追い込まれていた。そこで急遽、旭通信社は代替企画として『ミラーマン』をフジテレビに売り込み、9月3日のフジテレビ企画会議において、1971年12月から、同枠での放映が決定することとなった。こうして、最終的に本作は円谷プロダクションが企画と制作を兼ね、広告代理店は旭通信社が担当、提供スポンサーは大塚製薬グループが単独で務める形となっている。

設定については、満田が各局に売り込んでいた『戦え! ウルトラセブン』の企画書における、スライサーV、同Hなどの必殺技なども流用することで、細部が固められていった。また放送決定に先駆けてパイロット版も制作されていたが、出演者やヒーローのデザインなどが異なっている。

円谷プロとしても、同時制作されていた『帰ってきたウルトラマン』との差別化のため、
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「シャープで硬質なドラマの制作」が掲げられ、ストーリーは、御手洗(みたらい)博士を中心とする科学者専門家チーム、異次元人との混血児である主人公京太郎の出自が及ぼす心の葛藤による彼の内面的な弱さ、インベーダーの不気味さが強調されており、同時期のヒーロー番組としてもリアルでダークなムードのドラマが展開された。


↓1、2話の」アイアン初戦、キティファイヤー初戦のみ、ミラーマンの目の色はブラック。
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↑2話のダークロン戦から電飾が施され、オレンジに。


……。

あれ、なんの話だっけ?

と…とにかく、「シュシュトリアン」より20年以上前の1970年に、
フジテレビで「ウルトラ」シリーズは、
TBSのおさがり/再放送コンテンツとはいえ、
しっかりと放送実績はあったわけ。

だから「シュシュ」が画期的だったのは、
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ひとえにそれが初放送だったこと、といえる。

この話には後編があります。