船舶設計図面を手がけた2人/蒼きヤマトへの憧憬(56) | アディクトリポート

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これ(船舶設計図面の真実/蒼きヤマトへの憧憬・55)の続きです。

そもそも、この総計30枚以上の図面は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-っっっp
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誰が、何の目的で製作したのか?

図面製作の依頼主(クライアント・発注元)は、「宇宙戦艦ヤマト」プロデューサーの西崎義展(にしざき・よしのぶ)氏。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-nisipi

これを受けて、設計と製図を担当したのは、
籾山(もみやま)船舶模型製作所の、
籾山蔵太郎(もみやま・くらたろう/※名の読みは推測)と、
モリ・アート・デザインの
森恒英(もり・つねひで/※名の読みは推測)

というのは、その図面を収録した、
「宇宙戦艦ヤマト大事典」にも記述がある。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-135

ある…んだが、その実態は、正直よくわからなかった。

2012年3月7日に、船の科学館の飯沼一雄氏が講演された内容が、
後日ネットに「籾山模型の魅力」として公開されるまでは!

なにしろ、「籾」という漢字からして読めない。

この籾山という姓は由緒正しく、なんでも

(以下・無断引用/一部編集)

 籾山家の先祖は、三河国の住人でそもそも百姓を生業にしていたという。
 元亀3年(1572)、徳川家康が「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に敗れたとき、敗走する家康を祖先が機転を利かして、庭先にあった脱穀作業中の籾穀(もみがら)の中に隠した。


↓江戸時代の足踏み式脱穀機(一例)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ko
↑籾山=籾殻の山


 武田勢は、執拗に家中を探し回り籾穀も槍で突いて確かめ、突いた槍は家康の脇腹をかすめて血が吹き出たというが、幸いにして血が籾穀に吸い取られ気付かれること無く難を逃れることが出来たという。

 家康はこれに大いに感謝し、
籾に助けられた因縁から祖先に籾山姓を与え
名字帯刀も許し士族に取り立てた。 
 そして、後に家康に従って江戸に移り住み、徳川家の直参、幕府御家人に取り立てられることになったという。

----とのことだから、その劇的な姓の由来に驚くと共に、ようやく去年ネットに開示された情報に行き着いて、かなり得した気分。

籾山船舶模型製作所は、『経歴書』によれば、明治45年(1912)1月1日に、蔵太郎氏の父、籾山作次郎(さくじろう/※読みは推測)氏が創業した、籾山艦船模型製作所が前身である。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-じぇいぺ
現存する模型の名板に今も残る、「艦船模型製作所」と、創立者の「籾山作次郎」の銘

 蔵太郎氏は、大正10年(1921)3月30日生まれ。
 父をはじめ模型職人に囲まれて幼少期を過ごし、製作所を継ぐため旧制官立東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)で木材工芸を専攻、戦時下の繰上げで昭和18年(1943)9月に卒業した。
 その後は海軍を志願、翌年には海軍技術少尉となって終戦まで横須賀海軍工廠に勤務した。

 終戦後は、昭和21年(1946)1月より蔵太郎氏が代表を務めることになり、社名も籾山艦船模型製作所から籾山船舶模型製作所に改めた。

 昭和35年(1960)7月19日、作次郎氏が73歳で逝去され、以降、当時39歳だった蔵太郎氏が一人で籾山船舶模型製作所をきりもりしなければならなくなった。

 しかし海軍と共に戦前・戦中を歩んだ同製作所は、戦後はその存在意義を失い低迷。

 ようやく昭和40年代に入って、新たに東京に海事博物館(後の船の科学館)建設の話が持ち上がり、籾山船舶模型製作所の真骨頂が発揮できる機会が再び訪れた。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-49

というわけで、そのスジにことさら敏感に鼻のきく西崎氏は、「もしもヤマトが現実に存在したら」という構想で、宇宙船ではなく、本格的な船舶(艦船)としての設計/製図を、籾山蔵太郎氏に依頼。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-じき
製図の発注は、おそらく映画「ヤマト」(1977)ヒット後なので、この時期、蔵太郎氏は多忙を極めていた。

籾山氏はしかし、(おそらく)独力では全ての図面を手がけるのは無理と判断して、森恒英氏に応援を依頼し、二人で分担し合って、全図を完成させた。

森恒英氏は、ニチモ(日本模型)の金型設計部門に在籍して、名作として名高い1/200戦艦大和、1/300航空母艦信濃を始め、 各スケール・シリーズ艦船モデルの設計に携わり、「艦船のニチモ」のブランドイメージ作りに寄与した。


同氏はニチモを退社後独立し、タミヤの「軍艦雑記帳」の解説や軍艦関連の本の出版に携わった。

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籾山船舶模型製作所は1993年に閉幕、2代目社長の蔵太郎氏は2003年に逝去。

創業から100年にあたる2011年12月3日から2012年4月1日まで、横浜の日本郵船歴史博物館で 企画展 「籾山艦船模型製作所の世界」 が開催され、そこでの講演内容が、日本船舶海洋工学会関西支部 造船資料保存委員会によってネット公開、門外漢の自分にも容易に情報に行き着けるようになった次第。


そんなこんなで、
↓このヤマト図面集は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ki
実在の艦船を知り尽くした、二人の模型エキスパート、
金属製模型と木製模型の大家の籾山氏と、
プラモデルの専門技師の森氏の
コラボだったというわけ。

次回は、この図面を元にした立体製品について。