25話「終わりなき戦い」に寄せて「宇宙戦艦ヤマト2199」 | アディクトリポート

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またいただいたコメントは、諸般の事情により、こちらに好意的、賛同的なものでも、また貴重な情報提供であっても、掲載を見送らざるを得ない場合があります。

そのようにご理解ください。



25話は、これまでで一番出来が良かった。

ひたすら本筋を語ったからね。

ずっとこうやっときゃ、よかったのに…。

オリジナルではわずか1話だった帰り道を、2話分に拡張。
それでも水増し感はなく、ギッシリ中身が詰まっていた。


*本タイトルで新たに広げまくった風呂敷(空間通路・実体弾の効能等)をたたみ、

*初期設定のハーロックの要素を、(はみ出し者を取り込むことまで含めて)フラーケンに集約

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-harokku

*デスラーのヤマトへの乗り込み場面は、
「さらば」や「ヤマト2」の類似場面からも、多数移植

*これまで語られなかった要素(デスラー侵略の動機・雪の戦いの否定)を、ようやくここに盛り込んだ

特に文句をつけるところはありませんでした。

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さて今回は「戦略」(プロモーション)について。

これまでいただいたご意見の中で、
「なんだかんだ言っても、ヒットしたんだから勝ち」
「最後まで見た方が負け」
「文句あんなら見るな」
系があったが、それはある意味正解である。

なぜなら「2199」は、民放地上波での、無料のテレビ放送の前に、
全国の劇場で、7回に分けた限定公開があり、
DVDとブルーレイの発売があり、
どちらも好成績を収めたからである。

ただしこれをもってして、作品の中身の素晴らしさが証明されたということにはならず、むしろ事態はまったく逆だ。

なぜなら、作品の善し悪しは見るまではわからないから、
見終わった時には、ひどい作品だったところで、後の祭りである。

オリジナルは、テレビでいくたびも再放送されて、
ただで何度も見ていた作品の再編集版を、
わざわざお金を払って劇場で見る人がたくさんいた。

時代が違うので、ありえない仮定だけど、
「2199」が同じプロセスだったら、テレビの無料放送後に劇場で再公開しても、どれほどの人が足を運ぶか。

とにかく最初の限定上映の1話と2話をみれば、おおよその察しはつくが、
それを「良い」と感じて最後まで酔いしれる人もいれば、
あまり感心しないでも、
「まだ始まったばかり」
「最後まで見なければわからない」
と、先行上映や、わざわざソフトにお金を払って、最後までつきあい続けた人もいるだろう。

公式に「宇宙戦艦ヤマト」の題名を冠し、そのタイトルを公開できる会社から発表されたんだから、ちゃんとしてるに決まってると、まったく疑念を持たないまま、最後まで気に入り続ける人だっているだろう。

だけどもちろん、これは看板に偽りありだなと、気づく人だっている。

こうした作品への疑念を晴らすカモフラージュのつもり…はないのかも知れないが、
堂々と胸を張れる作品として、作り手が登壇する催しが幾たびもあった。

個人的には、ジャイアンのリサイタルに金まで取るな、

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-でか

と思ったが、ジャイアンもお金を取っていたらしい。

最後の頃には、「感無量」「出来はパーフェクト」だったそうだ。
全26話を完走した、偽らざる実感なんだろう。

しかし別の観点からすると、「パーフェクトな出来(完成度)」に、うなずけもする。
というのも、演出最有力候補が起用できず、
あくまでも代理起用だったから、本作でお役御免になる可能性があったのを、
たくみにそれを回避したからである。

ただし作品の出来そのもので、ではなく、
大幅な改変が実行されてしまった以上、
この続編は、改変の延長上で作らざるを得ず、
それをやりたいと思うのは、改変した当人以外にはありえないからだ。

というわけで、老人2人が、懸命に権利を争っていた作品を、第三者がまんまと、自分のものとして、せしめた(私物化・自分の好き勝手に作り続ける権利を得た)わけである。

たしかに故プロデューサーの存命中に、同意の上で企画は開始されていても、
その人が亡くなった今、意向どおりの作品だったかは、誰にもわからない。

個人的には、次週放送の最終26話まででも、まんまと乗せられた(およそ自分がタイトルから期待するものとは別物を見続けた)と悔いているから、新キャラの名前すら覚えたくないし、
当然続編は見ないけど、少なくともこの人は仕事が続くよね。

だって今後も「ヤマト2XXX」は、ずっとこの人が総監督するしかなくなったんだから。

その意味では、次回作までつながる形で、作品が機能してくれたんだから「パーフェクト」で、それが達成されたことに、「感無量」なんだろう。

いや、あくまでも続編があったら、の仮定で、これっきりだったら、私の予想はハズレです。

さて、「まさに俺たち若い世代に向けて、作品を作ってくれてありがとう」
と絶賛の風潮や、その信奉がカルト化し、異を唱える者に攻撃的になっている事実には、以下の例を参考に示しておきたい。


作り手の本音は、はからずも作品に現れる。

『SW エピソード1』(1999)にジャージャー・ビンクスが出て、周囲は一様に「なんでこんなキャラを出す?」といぶかしんだが、

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-じゃあ

そこにはジョージ・ルーカス監督本人の、当時の心情が反映されていた。

旧三部作の優秀なスタッフ(脚本のローレンス・キャスダン、デザイナーだったジョー・ジョンストン)に声がけして、のきなみ参加を断られ、「よりによって、なんでこんな奴と?」といった代理と組むしかなかったルーカスの「しかたないだろ。責任を与えれば、意外と活躍するかもよ」の期待を、このキャラと劇中での抜擢ぶりに重ねたように見て取れた。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-mlml

もちろん「そうだったんですか?」なんて聞いたって、「そうだよ」なんて認めるわけないが。

さて、「2199」には耳のとがった種族の女性が出て来て、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-sora
総統に子供時代に救われたことに、大変な恩義と忠誠を感じている。

ところが、「他のヤツのことなんて知るか! とにかく自分の身の安全を確保しなくちゃ」と、自分のことしか頭にない総統は、あっさり彼女を見捨ててしまう。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-nobori

そしたらくしくも、今日の25話で、「それでもついていきます」という忠誠は、よりによって総統の返り討ちに遭い、ついにはトンガリ耳の女性は、その運命を閉じてしまった。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-みみ

自分のエゴ(デスラーの場合、女へのミエ)だけで行動し続ける人物に、全てを託してしまったために。

なかなか象徴的だなあと感じてしまう、今日この頃。


今週は別の観点で、2回関連記事がある予定です。